金曜日。
兄が、またもや――愛兄弁当を作ってきた。
× × ×
「――先輩? あすか先輩?」
第2次愛兄弁当ショックで、放課後までボーッとしていたら、とうとう、部活でソラちゃんに声をかけられていることすら、気づけなくなっていた。
「ごっごめんね、ソラちゃん、わたし、あたま真っ白になってた」
にわかに心配そうな顔になって、
「あたま真っ白って……だいじょうぶなんですか……!?」
「…だいじょうぶだよ。調子悪いとかじゃないから」
「悩みごととか……」
「悩みごととは――ちょっと、違うんだ」
兄が弁当を作ってくれた。
昼休みに――兄手作りだとは、さとられないように――その弁当を食べた。
たったそれだけのことなんだけど、たったそれだけのことが、じぶんのなかで、うまく消化できていない。
部活に集中してないのは愛兄弁当のせいだなんて、言えるわけがない。
「……やるね、部活。部長がまったく活動していないなんて、あっちゃならないし」
そう言って、パッと立ち上がろうとした。
そしたら、少しよろめいた。
「あ、あすか先輩っ! ほんとに、だいじょうぶじゃないんじゃ……」
ソラちゃんが本気で心配してる。
「がんばりすぎなんじゃないですか!? あすか先輩、あたしたちの何倍も記事書いて、取材してるし」
ヒナちゃんもうろたえ始めちゃってる。
「がんばりっぱなしは、よくないんでは……適度に休憩することも、部活動のうちなんではないかと思うんですけど」
いたわるように、会津くんが言う。
「いいこと言うね、会津くん。正論だよ……。でも、疲れてるのとは、ちょっと違う状態だから」
わたしは強がる。
強がってしまうわたしを見かねたように、こんどは加賀くんが、
「会津の言うことに同意だな。休むことも必要だ」
「加賀くん……」
「だってそーだろ、あすかさん。疲れてないにしても、いつもと様子が違うのはハッキリしてんだし」
強がりを、重ねるように、
「わたし……保健室に行ったりは、しないよ」
「そこまでひどくなくっても、部活がんばれるような状態じゃねーだろ。それに…あんたひとりで新聞作ってるわけじゃあない」
「加賀くん……」
「また『加賀くん……』って言った。リアクションがワンパターンになってる。いつものあんたじゃない証拠だ」
「加賀くん……」
「……ぜったいだいじょうぶじゃねーだろ」
× × ×
うまく新聞作りに……参加できなかった。
わたしが主体にならずに新聞が作られるのは……今年度、初めて。
後輩4人のおかげで、新聞が仕上がった。
加賀くんもいつになく働いていた。
帰り道を歩きながらも、まだモヤモヤとしている。
愛兄弁当のせいで、部活もうわの空だった――なんて、思いたくはない。
なんだかんだで、兄を呪いたくはないのだ。
兄は悪くない。
わたしのために、お弁当を、今週2回も。
わりと美味しかったし。
わたしのために作ってくれたのが予想外なら、中身が美味しかったのも予想外。
だけど、それが、かえって――わたしをますますモヤモヤにさせる。
まっすぐ邸(いえ)に帰って、兄に面と向かうのを――ためらう。
本能的に。
兄の待つ邸(いえ)に直行するより、どこかに立ち寄って、気持ちを落ち着かせたい。
そうすれば――兄と面と向き合える余裕も、出てくると思う。
スマホの電話帳を開いて、お母さんの携帯番号を押した。
× × ×
少し前にも、こんなことあったな。
お母さんに、『晩ごはんは外で食べる』って伝えたこと。
…そのときと同じく、『笹島飯店』に来ている。
「きょうは、あすかちゃんひとり、か」
マオさんがお冷やを置く。
お冷やを置くなり、
「お兄さんと、ケンカでもしたの?」
ケンカじゃない。
ケンカの逆、ともいえるかもしれない。
「…違うんです」
弱々しく答える。
わたしの弱りを感じ取ってくれたのか、それ以上追及することなく、
「なにが食べたい?」
と優しい口調で訊いてくれる。
「ラーメン」
素直に、いまいちばん食べたいものを言う。
ラーメンは……弁当には、なり得(え)ないから。
愛兄弁当の、反動で……弁当とは住む世界の違う料理を、食べたかった。
だから、ラーメン。
× × ×
「はじめっから、わたしに相談ごとをするつもりで、来たんでしょ」
「……バレちゃったか」
「バレるよ。雰囲気で」
「雰囲気……」
「神妙な面持ちで、『ラーメン』って言うんだもん」
マオさんの部屋に、マオさんとふたり。
窓の陽(ひ)が落ちかけている。
勉強机の椅子に腰かけたマオさんは、ベッドに座りこんでいるわたしに向かって、ニコニコとしている。
「人生相談?」
「いいえ、そんな大それたものでは」
「お邸(やしき)のだれかとトラブったとか。…あー、でも、お兄さんとケンカしたわけではないんだよねぇ」
「トラブルとも、ちょっと違うんですけど」
「フム」
「兄がらみなのは……事実で」
「え、けっきょくお兄さんなの?」
ゆっくりとうなずき、
「ワンクッション、置きたくて」
「ワンクッション?」
「マオさんの部屋を、『逃げ場』にするみたいで……ごめんなさい、なんですけど、まっすぐ邸(いえ)に帰るより、気持ちを落ち着かせられる場所がほしくて」
わたしの弁明を聴いて、少しのあいだ考えるようにしていたマオさんが、
「――アツマさんが、いつもと違った、とか?」
「……はい。なんだか、違いまくりで」
「いつから?」
「おとといの……わたしの誕生日の、朝から」
「誕生日が関係してそうだねぇ」
「……」
「やっぱり、そうなの?」
「いきなり、お兄ちゃん、わたしに……お、お、おべんとーを」
「え~っ!! ステキじゃん、アツマさんのお手製弁当!?」
「誕生日祝いだ、とか言って……。誕生日だけで終われば、まだよかったのに、また、今朝も……」
「うれしくないの!? わたしがアツマさんの妹だったら、とってもうれしくなると思うよ」
「ずいぶん……お兄ちゃんを、持ち上げますね」
「だってさー、なんか、いいじゃん。『アツマさんみたいなお兄さんがいたらな~』とか、思っちゃうときだってあるよ」
「どっ、どうしてそんな衝撃発言、サラッと言っちゃうの」
「ひとりっ子だからだと思う」
「……」
「あすかちゃん、なんでそんな悩み顔に?」
「わたし……兄が、わからないんです」
「あらら」
「もっと正確に言えば、『わたしにとって、兄ってなんなんだろう?』って。――とつぜん『愛兄弁当』なんて作ってくるから、ますますわかんなくなる」
「『愛兄弁当』、なんだぁ」
「兄がじぶんで『愛兄弁当』って言ってるんです。ドン引きしました」
「…でも、美味しかったんでしょ?」
「…それが、くやしくって」
マオさんは微笑みっぱなしで、
「――アツマさんの作ったお弁当、わたしも食べてみたい」
「正気ですか!?!?」
「――けど、わたしがあんまし『アツマさん推し』しちゃうと、あすかちゃんがヤキモチを焼いちゃうよね」
「なにを…いってるやら」
「だから――『愛兄弁当』も捨てがたいんだけど、むしろ、わたしが、あすかちゃんにお弁当を作ってあげる…ってのもよくない?」
「マオさんが、わたしにお弁当……って、どんなときに、ですか」
「いつでもいいよわたし。お弁当作るのは得意なんだ~」
「いつでもいい、って言ったって」
「『愛兄弁当』ならぬ、『愛マオ弁当』だねっ♫」
「……マオさん、すごいの作ってきそう」
「えへへ~♫」