【愛の◯◯】168センチのメイドさんが見つめる先には、背丈の低い、まるで弟にも見えるような――。

 

平日の15時や16時からお酒が飲めるのも、

大学生の特権か。

 

そう――いましかできないこと。

いまの時期しか。

 

これから、忙しくなっていく前に――、

モラトリアムを、満喫しておきたいよね。

 

× × ×

 

缶ビール3本目。

でも、まだまだ、序盤戦。

 

わたし星崎姫(ほしざき ひめ)が、どこでお酒を飲んでるかというと、

なんと、某自動車メーカーの社長宅。

 

これには、ちゃんとしたワケがあって、

というのも、住み込みメイドさんの蜜柑さんとわたしが仲がよく、

ご厚意で、お宅のリビングに居させてもらえている…そんなワケ。

蜜柑さんがいなかったら、こんな豪邸に来られるはずがないし、

ましてや、リビングで酒盛りみたいなことなんて……。

社長や、その奥様は、そういったことにとっても寛大らしい。

蜜柑さんいわく、である。

 

『自由なんですよ、ウチは』

蜜柑さんはこうも言っていた。

『自由の風が吹いているんです』

そう言って、邸(いえ)の雰囲気を喩(たと)えていた。

 

 

「――自由なら、蜜柑さんも呑んじゃえばいいじゃないですか」

缶ビール3本目をほとんど飲み干して、

傍(かたわ)らの蜜柑さんに呼びかける。

「いいえ。わたしは、どうも悪酔いしてしまうので」

「ゆっくり呑んでいけば……」

「……ゆっくり呑んでも、ヒドいことになることが多いので」

まあ、ねぇ。

わたしより、3段階ぐらいアルコールに弱いと見られる、蜜柑さん。

非の打ち所がない外見とは裏腹の、貴重な弱点である。

 

ところで。

「アカ子ちゃんは、大学ですか?」

「はい。講義を受けておられると思います」

社長令嬢の、アカ子ちゃん。

彼女のことが、もっと知りたくて、

「講義を受けたあとは、どうするんですか?」

「どうするんでしょうねえ」

と微笑む蜜柑さんに、

「『彼』と落ち合ったりするんでは」

と、それとなく、彼女の恋愛模様に関してさぐりを入れていく。

「――かもしれませんね。ハルくんの大学は、お嬢さまの大学から遠いというわけではありませんし」

「もし、ハルくんと落ち合ったとしたら、なにをして過ごすんでしょうか」

「それは、わたしのあずかり知るところではありませんが……」

微笑ましそうな眼で、

「……お嬢さまも……アカ子さんも、『遊びかた』を、いろいろと覚えて行ってるんだとは、思いますよ」

そうかー。

遊びかた。

「蜜柑さんは――」

わたしは踏み込んで訊く、

「そういった経験が、豊富そうですよね」

――彼女は微笑みを崩さずに、

「そういった経験、というのは?」

もう1段階踏み込み、

「男の人とのお付き合い、ってことです」

と答えるわたし。

 

ところでところで、

蜜柑さんとわたしだけが、このフロアにいるわけではなくて、

わたしの親戚で、同じ大学に入った茶々乃(ささの)ちゃんと、

最近わたしがもぐり込み入りびたるようになった音楽鑑賞サークルの、ムラサキくん、

茶々乃ちゃんとムラサキくん――この新1年生コンビを、半ば強引に、このお邸(やしき)に連れてきていた。

 

茶々乃ちゃんとムラサキくんは、向こうのほうで紅茶を飲んでいる。

わたしと蜜柑さんのやり取りは、聞こえていないはず。

だから、蜜柑さんの過去の男性経験を訊くという、大胆な行動にも、出られるわけだが、

わたしから、「男の人とのお付き合いは――」という問いを投げられた蜜柑さんは、

シラフということも相まってか、表情を崩すことなく、

「『ない』と言ったら、大嘘になります。『豊富でない』と言っても、嘘になります」

 

ほおっ。

 

「…やっぱりか。」

「あら、星崎さん、『やっぱりか』っていう認識だったんですか?」

「はい」

正直に答えて、

「モテますよね、蜜柑さんは。だって、蜜柑さんなんだし」

「あはは……」

 

満更でもないご様子だ。

 

きょうの蜜柑さんは、メイド服姿。

いつもメイド服でいるわけではないそうだけど、きょうはわたしに加え、茶々乃ちゃんやムラサキくんも来るからと、メイド服を身にまとって、アフタヌーンティーを振る舞ったりと、本式のおもてなしである。

 

ソファに座りつつ、メイド服の裾(すそ)を整える。

それから、髪をまとめたリボンの位置を調節する。

 

そんな仕草も、見ていて飽きがこない。

 

まっすぐ背筋を伸ばしてソファに腰かけている蜜柑さんの、プロポーションが眩しくって、うらやましい。

 

「蜜柑さん」

「はい」

「蜜柑さんに、『経験』を訊いたのなら……わたしのほうの『経験』も、話さないと、フェアじゃないですよね」

「…ですか?」

「ちゃんと正直に、わたしの『経験』も言いたいんです」

 

酔いは、まわっていなかった。

 

「高校時代、何人(なんにん)と付き合ってたか、とか、正直に…」

「ぶっちゃける必要あるんですか……? ここで」

蜜柑さんの疑問も、ごもっとも、なんだけど、

「この際ですから。密度の濃い、話も……」

 

茶々乃ちゃんかムラサキくんがこっちに近づかないかぎり、大胆な打ち明け話もできる。

わたしと蜜柑さんの仲でもあるんだし。

 

これは、ぶっちゃけ話のできる、貴重な機会――、

そう思って、メイド服の彼女を見つめた。

見つめたんだけども、

運悪く、

ムラサキくんが、遠くの席から立ち上がって、こっちのほうに歩み寄ってくるのを――察知してしまった。

 

ムラサキくんが近くにいては、とうぜん、濃ゆい女子トークも、中断せざるをえない。

 

「茶々乃さんが、紅茶のおかわりが欲しいそうです」

蜜柑さんにそう伝えるムラサキくん。

茶々乃ちゃん――間が悪いね。

 

「わかりました」

蜜柑さんが、立ち上がってしまう。

「必要なら、追加のお菓子もご用意しますが?」

「じゃあ、お菓子もお願いします」

「承知しました」

 

ムラサキくんのほうを向いて、蜜柑さんは承諾。

 

蜜柑さんと、ムラサキくん、

ふたりの、身長差が――眼につく。

だって、

蜜柑さんのほうが――かなり、高いんだもの、身長。

 

ムラサキくん、やっぱり小柄で、細身。

声変わりするかしないかの時期の中学生みたい。

事実、彼の声は、ボーイソプラノに近い。

 

小柄なムラサキくんと、ファッションモデルみたく長身の蜜柑さんが向かい合っているのを見ていると、

妙な面白さがこみ上げてくる。

4本目の缶ビールを飲み干したからかもしれない。

にしても、身長差が、でこぼこ。

157センチたるわたしと身長がそんなに変わんないムラサキくんが――ズルくもある。

思えば、ムラサキくん、茶々乃ちゃんと背くらべして、僅差で敗北したりしてたもんねえ。

168センチの蜜柑さんに、いまは圧倒されちゃってる、そんな感じ。

 

蜜柑さんに上目づかいになるムラサキくん。

ムラサキくんに下目づかいになる蜜柑さん。

 

そんなふたりが、眼に焼き付く。

 

 

× × ×

 

ふたたびソファに戻ってきた蜜柑さん。

腰を下ろす彼女に、

「あそこまでコンパクトな男子の大学生も、そうそういませんよね」

「ええ。……見下ろしちゃってました、わたし」

過去の『経験』のことは、流れたけれど、

わたしは別の踏み込みかたをしてみる。

「――どうですか? 男の子を、見下ろすって」

「えっ――」

「自分より背丈の低い男の子と――真正面に向き合うって。蜜柑さん、168センチもあるなら、そういうことも、ままあるのかもしれませんけど」

 

何も言わない蜜柑さん。

 

「ムラサキくんと、ああやって向き合ってるの眺めてると――、

 ムラサキくんが、蜜柑さんの弟みたいに見えちゃったりもして」

 

「……弟、ですか。」

 

ぽつっ、とつぶやくように、蜜柑さんが言った。

言ったきり、

蜜柑さんは……しばらく無言になった。

 

無言の蜜柑さん。

いったい…どんなことを考え中なんだろう?

…ムラサキくんという存在を、頭のなかで、こねくり回していたりとか。

わたしが、「蜜柑さんの弟みたい」とか言うもんだから。

だから――、そんな思案顔に、なっちゃってるのかなぁ。

 

 

蜜柑さんの、胸の奥が、わからない。

5本目の缶ビールが……空になっていた。