「戸部くん」
「なんだ? 八木」
「きのう、教えてもらった、深呼吸のやりかただけど……」
「おっ」
「帰宅したあとで、もう一度自分でやってみたら、整った」
「おーっ。それはよかった。整うんだよ、これ」
「戸部くんも……捨てたもんじゃないんだね」
しかし、なぜかきょうも、『MINT JAMS』の部屋に居座っている星崎が、
「わたしはまだ半信半疑」
と言ってくる。
「『整う』ってなに、『整う』って」
「そっかー、星崎にはまだ実感できんかー」
「できないよ」
「呼吸って、大事なんだぞ、星崎」
「知ってるよ。呼吸法の本とか、いっぱい出てるし」
「おれの深呼吸『メソッド』は、そんなに難しくはない」
「……戸部くんはここをスピリチュアルなサークルにでもしたいの?」
「はあ?」
「呼吸、呼吸って。あやしいサークルだって思われちゃうよ。新入生が逃げちゃう」
「ここはれっきとした音楽鑑賞サークルだ。それ以外の要素は、『プールで体力づくり』とか、『ラーメン屋めぐり』ぐらいしかない」
「プールってなに。ラーメン屋ってなに」
「プールやラーメン屋に行くのも含めて――『MINT JAMS』なんですよね、そうですよね? ギンさん」
そう言うと、『相談役』ギンさんが、ニコリと笑ってくれる。
星崎を煙(けむ)に巻くかたちになったが、
たしかに、深呼吸メソッドをおれが前面に出すのは、サークルの趣旨と少しズレてしまう気もする。
マインドフルネス的要素は――自重するか。
音楽を、聴こう。
× × ×
いま、この部屋には、
・おれ
・ギンさん
・八木
・星崎
の4人がいる。
そんでもって、例によって、BGM的に音楽をガンガン流しているわけだが、
「――だれかノックしてるよ、ドアを」
八木が気づいた。
よく気づいたな。
耳がいいのか。
おれがドアに近づいてみると、控えめにドアを叩く音が聞こえてきた。
なんだろう。
見学希望者かな?
あるいは……?
おれがドアを開けたら、
「あれっ、茶々乃(ささの)さん」
星崎の親戚だという、新入生の茶々乃さんが、とても恐縮そうに、眼の前に立っていた。
「あ~っ、茶々乃ちゃんだ~~」
背後からの星崎の声を無視して、
「もしかして、『虹北学園』から来たの?」
『虹北学園(こうほくがくえん)』は、おれたちのサークルと至近距離に部屋がある、児童文学サークルだ。
茶々乃さんは、『虹北学園』への入会意思を示していた。
おそらく、きょうも『虹北学園』のサークル部屋に出向いていたんだろう。
「はい、そうです。あっちのお部屋から……来たんですけど」
ほらやっぱり。
「あの……なんか、あっちのサークルのかたに、
『音量をもう少し絞ってください、って言ってきて』
って、頼まれて……」
「え、ここで流してる音楽が、うるさかった?」
「わたしじゃなくて、上級生の人が……というより、『ルミナさん』というOGのかたから、『お達し』が出ているとかで……」
「『お達し』?」
「『少しでも音楽が『MINT JAMS』のほうから聞こえてきたら、部屋に殴り込んでクレームを言うこと』というお達しが、ルミナさんというかたから出ているんだそうです」
思わず、ギンさんに視線を移す。
ギンさんは早くも沈鬱に頭を抱えていた。
「ルミナからの、間接的なクレームだよ……卒業してもなお、影響力を行使してるんだ、あいつ」
青白い顔でギンさんが言った。
昨年度までは、たびたび、『あんたらの流す音楽が響いてくる』と、ルミナさんが部屋に殴り込んできて、(主にギンさんに)クレームをつけてきたものだった。
新年度になっても、ルミナさんの用意周到な『ことづけ』によって、『虹北学園』からクレームがガンガン入ってくるのは変わらないみたいだ。
歴史は繰り返す。
「わかった。音量を下げるよ」
茶々乃さんにそう伝えて、ギンさんはPCを操作する。
「わざわざ、申し訳ないです」
「いや、迷惑かけたのは、こっちのほうだから」とギンさん。
「そうさ。茶々乃さんが過剰に謝る必要なんてない」とおれ。
「――なんで新入生の茶々乃ちゃんに、クレームを伝える役を任せてるの? 『虹北学園』ってサークル」
あー、それはおれも思った、星崎。
「正直、ブラックじゃない……? あっちのサークル。茶々乃ちゃん、本気で『虹北学園』に入るつもりなの?」
星崎の懸念をよそに、
「うん、入る」
即答する茶々乃さん。
「いい人たちばっかりだし」
「ほんとに?? 茶々乃ちゃん、『パシリ』ってことば、わかる??」
「わかるけど、パシリじゃなくて、『おつかい』だよ、これは」
「どういう認識……」
眉間にシワを寄せて、くちびるを噛む星崎。
星崎が『虹北学園』に敵意を抱くのは、穏やかじゃないが、
星崎が座っている方角から、茶々乃さんが立っている入り口がわのほうへと、眼を転じたおれは――、
茶々乃さんの、背後に、
だれかが立っていることに――気づいてしまった。
× × ×
なんのことはない。
新入生の、入会希望者だったのである。
茶々乃さんごと、その入会希望者を、部屋に連れこんだ。
『笹田紫(ささだ むらさき)』
彼の名前である。
第一印象としては、身長が低い、ということ。
160センチそこそこか?
おれの身長より、15センチ以上低いと思われる。
小柄で細身(ほそみ)なのも相まって、なんというか、中性的な雰囲気も漂わせている感じがある。
まあ、身体的な特徴は、置いといて……、
「サークル部屋を直接訪ねてくるって、勇気、要(い)らなかったか?」
「ハイ、勇気、振り絞って」
「ははは…。偉いな、きみは」
『戸部くん、先輩風(せんぱいかぜ)、吹かせすぎじゃない!?』という無言の圧力を、後ろの八木や星崎から感じるのではあるが、
構わずに、
「なあ、笹田紫くん、」
「ハイ?」
「きみのことは――『ムラサキ』と呼ばせてくれないか?」
「ちょっとっ、戸部くん、あまりにも初対面で馴れ馴れしいよっ」
椅子から立ち上がって、八木が非難のことばを浴びせてくるが、
『ムラサキ』は至って平静に、
「OKです。呼び捨てでどうぞ」
と快(こころよ)く承認してくれた。
「――茶々乃さんも、ムラサキも、素直で、おれは嬉しい」
「やけに感慨深そうね……」
「素直じゃないヤツらと日常的に渡り合ってるからな」
「……だれを言ってるの、だれを」
「八木だけじゃなく、いろんなヤツのことだ」
「……やっぱりわたしを含めてるのね」
さて、おれとしては、ムラサキにこれからじーっくりと音楽的嗜好を訊いていきたかったのだが、
それを許さないかのように、突然に、星崎が、
「わたしムラサキくんにお願いがあるんだけど」
「なんだよ、どういう魂胆か、星崎」
不審になって、おれは星崎をにらむように見る。
100%、ロクなこと考えちゃいねーだろ、こいつ。
例によって、おれのことなど意に介さず、
「ムラサキくん、茶々乃ちゃんと、立って向かい合ってよ」
「そりゃどういう要求だよ、星崎っ」
「――わかんないの? 戸部くん。
『背くらべ』だよ、『背くらべ』」
……把握しちまった。
ムラサキの身長の低さに眼をつけて、
茶々乃さんとどっちが背が高いか、チェックしてみたいんだ、こいつは。
「おい、ムラサキ、こんな女の言うことなんかに従う必要ないぞ」
と言うと、すかさず、
「侮辱!? 戸部くん侮辱!?」
と、星崎がわめきたてる。
うるせぇなぁ……。
けれどもムラサキは、
「OKですよ、背くらべ。」
と、要求を至極あっさりと受け入れる。
素直だ。素直すぎるぐらいに。
「戸部くんよりムラサキくんのほうが、かしこいみたいね」
「かしこいって、おまえなあっ」
「否定できるの?」
「……」
「わたしの完全勝利ね」
「あーもう勝手にせーや星崎もムラサキも」
……投げやりと化した、おれ。
で、背くらべ敢行(かんこう)。
履いている靴の違いとか、そういうのもあると思うが……、
茶々乃さんのほうが、ムラサキよりも、
微妙に、高い……かもしれない。
「茶々乃ちゃんの勝ちじゃ~ん」
「コラっ星崎、断定できるわけじゃなかろう」
それに、
「新入生を実験台にして、遊んでるみたいで、こういうのはあんまり良くないと思うぞ」
「――戸部くんの深呼吸レッスンのほうが、良くないじゃん」
うぐっ。
「いかがわしさなら、戸部くんのほうが上じゃない?」
そうか……。
そう思うか……星崎。
「わかった。呼吸うんぬんは、しばらく封印だ。
だから――、
星崎よ、
おれたちも、背くらべ、してみようや」
とたんに眼が点になった、星崎。
「ヤダよ……あなたとなんか」
型通り、眼をそむけ始める。
「…そう言うと思った。折り込み済みだ」
「だって戸部くん……どうせ身長差でマウントとるんじゃん」
「イヤなら無理強いしないが。
――その代わりと言っちゃなんだが、」
「なによ」
「これからおまえの身長を当ててやろう」
「んなっ……!」
「……157センチ。どーだ? 星崎よ」
「と、と、戸部くんの……バカぁ」
「バカって言ったやつが、『図星』なんだぞ」
「……なにそれ」