四方(しほう)に張り巡らされた本棚には、漫画本がビッシリ。
すごい。
壮観。
――『漫研ときどきソフトボールの会』の、サークル部屋のことである。
× × ×
新歓ブースを離れ、そんな『すごい』サークル部屋へと、わたしたちは向かっていた。
久保山幹事長の引率。
わたしのほかに、新入生会員が、もうひとり。
新田俊昭(にった としあき)くんである。
新田くんは、漫画家志望だ。
漫研には、もってこいの人材。
「『読み専』じゃなくて、創作もするのは、ウチのサークルでは珍しいんだよなあ」
久保山幹事長が、そうおっしゃっていた。
「でも、とうぜん歓迎するよ。じゃんじゃん漫画を描いてちょうだいな」
実作者は、サークルでは珍しい存在ではあるけれども、漫画家志望の子が加わって、幹事長はとってもうれしそうだった。
新田くんは、漫画やアニメに相当詳しくて、いろんな知識を教えてくれる。
語り出したら、止まらないぐらいに。
どうやったら、そこまで知識をあたまに詰め込めるんだろうか……と、わたしは、素直に感心しきり。
本気で、漫画やアニメが好きなんだな、と思う。
学生会館へ移動する道すがら、
「俺、ソフトボールは、やったことないんだよな」
と新田くんが言った。
運動に自信のなさそうな、声のトーン。
「大会とかに出るわけじゃないんだから、身構えなくてもいいよ」
先導する久保山幹事長が、前を向いたまま言う。
気楽に行こうよ……という、新田くんへのアドバイス。
わたしも、
「よかったら、教えてあげるよ、わたしが」
「ソフトボールを?」
「そう。新田くんに。新入生同士だし」
「羽田さん、ソフトボール部だったの?」
「違うよ。運動部なんか、入ってなかった」
「え、どういうこと……」
疑わしそうに新田くんは言うけれども、
「自分で言うのも……だけど、運動神経には自信あるのよ」
「……でも、運動部経験がない、って」
「『所属』は、してなかった。
でもねえ、『助っ人』体験なら、豊富なのよ」
「『助っ人』って……漫画によくあるパターンみたいな……」
話が早くて助かるわ、新田くん。
「そういうこと。人手が足りないからって、練習試合とかに、何度も借り出されて。いろんな部活に、助けを求められたわ。もちろん、ソフトボール部にも」
「へえぇ……」
感嘆する新田くん。
うれしいな~。
「――どうやら羽田さんは、ドラフト1位級の逸材みたいだな」
前を行く久保山幹事長が、そうコメントする。
「楽しくなってきた」
はい、楽しみにしておいてください、幹事長。
わたし、早くボールが投げたいです。
× × ×
学生会館5階。
サークル部屋は、ロックされていなかった。
ということは、だれかが入室しているということ。
「上級生のかたが居(お)られるみたいですね」
新田くんが言う。
自分で部屋を解錠できるということは、いま室内にいるのは、上級生会員のだれかということだろう。
「もしや――アイツか」
意味深に久保山幹事長がつぶやく。
「アイツ? アイツって、どなたですか」
わたしが訊く。
う~~む、と一瞬険しい表情になった幹事長だったが、
「とにかく――入ってみるしかないよな」
と言って、ドアノブに手をかける。
『幹事長、サークル部屋に入るのに、わざわざ決心する必要なんてあったのかな?』と疑問に思いつつも、わたしは足を踏み入れた。
四方に張り巡らされた漫画だらけの本棚が、待ち構えている。
広めの室内。
とても大きなテーブルが、部屋の中央部を占めていて、その周りを椅子が取り囲んでいる。
そして、部屋の両サイドを覆う本棚の間近には、ソファが置かれていて、漫画を読みながらくつろげるようになっていて、
いま、左サイドの本棚の下にあるソファに、わたしが眼を転じてみたら――、
見知らぬ女のひとが、
爆睡している。
――こ、このひとも、会員、なのよね?
身長150センチぐらいの、小柄な女性。
よく見ると、中学生の女の子に見間違えてしまいそうな、童顔――。
だ、ダメよわたし、
『童顔』なんて、失礼よね。
わたしより、確実に年上なんだから。
2年生? 3年生? それとも4年生?
それにしても、
非常に幸せそうな、寝顔だこと……。
「か、幹事長……、起こさないほうが、いいんでしょうか?」
スヤスヤお眠り中の彼女に釘付けになりながら、訊くわたし。
幹事長はキッパリと、
「いや、おれがいま、起こす」
そして幹事長は問題のソファに歩み寄っていく。
どうやって、起こすんだろう。
窓ぎわに、ソフトボールで使用すると思われるバットが、立てかけてある。
そのバットを手に取る幹事長。
え、そんなの、あまりにも暴力的な……と一瞬だけ思ったけれど、
もちろん、女子学生のからだを叩いて起こす、とかそんな手段に出るわけではなく、
バットのグリップで、
『こつん、こつん、』と、寝ている彼女の傍(そば)の床を、二度三度叩く幹事長。
そんなので起きるのかしら? と思ってしまったけれど、
ぴくん、と反応したかと思えば、
即座に眼を開けて、がばあっ、と身を起こした。
目覚ましチャレンジ成功。
「ふにゃ」
眼をこすりながら、可愛い声を出す彼女。
幹事長は厳しくも、
「あーのーなぁ。言ったよな? せめて新歓期間中だけは、ソファで居眠りは自重してくれよ、って」
怒られた彼女だったが、手をヒラヒラと振って、
「おっはよ~~、新入生しょくん」
と、わたしと新田くんに向かって、あいさつ。
いや、確実に、午後ですよ……? いま。
× × ×
久保山幹事長と同じく、3年生だった。
日暮真備(ひぐらし まきび)さん。
それが彼女の名前だった。
「クボは鳥取県出身だって知ってるよね? わたしは岡山県なんだよ、出身」
ソファから椅子に移って、日暮さんは自分の出身地をわたしと新田くんに教える。
『クボ』とは、もちろん久保山幹事長のこと。
「鳥取と岡山――近い、ですよね」
わたしが言うと、
「そーそー。わたしの実家、岡山県の倉敷(くらしき)ってとこー」
「あ、知ってます知ってます、倉敷」
「よく羽田さん知ってたね。物知り。かしこい」
「それほどでも」
「ぼ、某自治体って」
「忘れちゃったから」
久保山幹事長は、ふたたび教える気もないみたいに、ムスッと頬杖。
「……こっからが肝心なんだけどね、わたしの実家とクボの実家は、『やくも』っていう特急1本で繋(つな)がってんのよ」
だんだんとローカル色を増す、日暮さんのトーク……!
「伯備線(はくびせん)、ですっけ?」
唐突に口を開いたのは、なんと新田くん。
新田くん、あなた、漫画やアニメだけじゃなく、どこまでマニアックだっていうの……!?
「エッ!? 伯備線知ってんの!? キミ、中国地方が実家とかだったり?」
テンション高く、日暮さんが尋ねるが、
「いいえ、東京です」
と新田くん、即座に否定。
「すごいじゃん!! 東京育ちなのに、伯備線わかるって。新田くんも、物知り!!」
さっきまでグッスリ寝ていたとは思えないテンションで、幹事長のほうを向き、
「クボ、すごいよ、ことしの新入生の子! あんたもそう思うでしょ!?」
幹事長は日暮さんのテンションに呆れた様子ながらも、
「……それには同意」
と答える。
つまりは、ほめられてる、ってこと。
わたしも、新田くんも。
うれしいよね、新田くん?
――そんな気持ちで、わたしは、新田くんに微笑みかけようとする。
「……日暮(ひぐらし)と、いえば」
微笑みかけようとした刹那(せつな)、
つぶやくように、新田くんが声を発した。
当の日暮さんは、新田くんにまっすぐ向き合い、
なぜだか、不敵な笑みを見せ始めている。
おもむろに彼女は、
「そーだよぉ。『こち亀』の、『ヒグラシネルオ』の『ヒグラシ』なんだよぉ、わたし」
???
「――あの、ふたりは、いま、どんなやり取りを?」
「あ~、そっち方面には、羽田さん、詳しくないか~」
「す、すみません、『こち亀』はもちろん知ってるんですけど、両さんぐらいしか、キャラクター、わかんない……」
「それもすごいね」
「……そうですか?」
「読んだことないんだ」
「恥ずかしながら」
「恥ずかしながら、とかいう必要、なし」
「はい……」
「よしっ、『こち亀』の登場人物を主人公しか知らない羽田さんに、ワタクシが『ヒグラシネルオ』というキャラについて、レクチャーしてあげよう」
――すると日暮さんは、近くの本棚から瞬速で漫画単行本を抜き取り、わたしに差し出した。
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の単行本である。
「ひとことで言えばね、『ヒグラシネルオ』は、4年に一度しか起きてこない、両さんの同僚警察官」
4年に、
一度しか、
起きてこない??
「……、
4年に一度……ってことは、オリンピックのときだけ、冬眠から目覚める……とか」
「正解!! 羽田さん大正解!!!」
せ、正解、しちゃったかー。
しちゃったのかー。
小さなからだで、よろこびを爆発させる、日暮さん――。
× × ×
それから。
日暮さんとまったく同じ名字である、
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の有名キャラクター、
まさしく、日が暮れるまで、
わたしは、みっちりと、レクチャーされたのであった……。