長い春休み、例によって喫茶店『リュクサンブール』でバイトに励(はげ)んでいる。
きょうは土曜日。
早めに上がらせてもらったおれは、邸(いえ)に帰る……前に、愛と合流するため、約束の場所に向かっていった。
約束の時刻から5分遅れて愛はやってきた。
「遅刻だぞ」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
「ぜんぜん気がつかなかった」
おいおい。
「ずいぶんと時間にルーズだな」
「そう見える?」
「見える」
「ひどい」
「ひどくねえ」
「……きょうは遅れちゃったけど、いつもこんなふうじゃないもん」
「ほんとかよ」
「アツマくんじゃなかったら、もっとちゃんとするし」
……どうしようもねえ。
もう、遅刻を咎(とが)めるのもバカバカしくなった。
「とりあえず、お疲れさま、アツマくん」
「あんがと」
「あのさ……」
「なんだよ」
「寄ってみたいお店が……あるんだけど」
「どこだよ」
「――おまえの学校の近くにある喫茶店だっけか」
「よく知ってたわね」
「知ってるよ、それぐらい」
「さすが」
「だろぉ?」
「知ってたのなら、おごってくれるよね」
……意味不明な理屈をっ。
「ね、いいでしょ。――卒業しちゃったら、学校の近くに、なかなか行けなくなるかもしれないし」
「いまじゃなきゃ、ダメなのか?」
「いましかないのよ。受験始まっちゃったら、行くヒマなくなっちゃうでしょ」
たしかに。
愛の受験は、目と鼻の先。
「――『メルカド』に通えなくなるのが、名残惜しいのな」
「そういうこと」
「わかったよ――おまえの頼みなら」
「やったぁー」
「ただし、おごるかどうかは別だ」
「……」
× × ×
電車に乗って、愛の学校の最寄り駅に移動し、
誘導されるがままに、『メルカド』にたどり着く。
席につくなり、店員さんが、
「ブレンド?」
と愛に尋ねる。
「はい」
と答える愛。
完璧、常連じゃねーか。
店員さんが、おれの顔を見て、微笑む。
『微笑ましいな』といった感じで、微笑む。
そして、
「のちほどおうかがいしますね」
と言って、やっぱり微笑む。
……おれはメロンクリームソーダを注文した。
× × ×
「すごいもの頼んだわね」
どういうリアクションか。
「……メロンクリームソーダを頼むのにも理由がある」
「どんな?」
笑いながら訊くな。
「あのなーっ、バイト終わりで疲れてんだ、おれ。だから甘いもの補給したいんだよ」
「それでメロンクリームソーダなんだぁ」
だから笑いながら訊くなってば。
メロンクリームソーダを見るなり、ブレンドコーヒーのことはそっちのけで、眼をキラキラさせて、
「少し……飲ませてくれない?」
とワガママを全面に出して言う愛。
――どアホがっ。
おれは、きっぱりと、
「おまえには絶対飲ませない。おまえが炭酸に酔うと、どんだけヤバいことになるか」
チエッと愛は舌打ちして、
「ケチ」
取り合わず、緑色の液体に浮かぶアイスクリームに、おれがスプーンを持っていくと、
「ケチんぼ」
と再度不平を言う。
愛に炭酸、ダメゼッタイ。
なぜなら、愛に炭酸飲料を与えると、酔っ払ってしまうからだ。
不可解な体質ではある。
非科学的な原理で、炭酸に酔っ払う――とも言えなくはないが、
それにつけても、
ダメゼッタイ、である。
ダメなものはダメなのだ。
世の中にはどうにもならないものもあるってことを、そろそろ受け容(い)れてもいい年頃じゃないのか、愛?
なあ。
そうだろ?
……、
ちなみに、愛は、カフェインには、めちゃくちゃ強い。
「――なんでそんなコーヒー好(す)きなんだ」
「好きだから、好きなのよ」
…コトッ、とコーヒーカップを置いて、答える愛。
いつものように、ブラックで飲んでいる。
――ところで、
奇妙なたとえだが、
なにも入れないコーヒーは……、
まるで、
なんの薬味もつけずに食べる豆腐のようなもの、
だとは、思わないだろうか?
思いませんか!?
思わないですか!?
――すみません、脱線して。
やっぱり、なんでもないです。
もちろん、愛にもこんなことは、話さない。
今回、地の文がずいぶんと無駄口だが、
……、
いろいろと、気を取り直して――、
「ケーキ、ほしくないか?」
「え!? いきなりなに」
「ほしいだろ?? ほしいよな??」
「だ、だからその勢いなに」
「――おごってやるって言ってんだよ」
そのことばに、びっくりしたみたいに、
「おごってくれないかと――思ってた」
と言う愛。
「景気づけだよ」
「景気づけ?」
「ケーキだけに」
「……また、そうやって無理やり、こじつけるんだから」
「っるさいっ」
「ダジャレ魔ね、アツマくんは」
るせぇっ。
「――激励の気持ちを込めておごるんだ。素直におごられてくれ」
「……ヘンなの」
「どこがだ」
「あなたの……日本語。ねじれてる」
ねじれてる、って、なんだよ。
ただひとつ、言えるのは、
「ヘンなの」と言いながらも、「ねじれてる」と言いながらも、
愛の顔は、楽しそうに笑っていて、
その笑い顔を――どう表現すればいいか、
素敵な、笑顔なんだけども、
『素敵だ』って思うことが、おれにはこっ恥ずかしくって、
それでも、
美人なだけじゃ……こんな素敵な笑顔には、なれないから、
愛の、卑怯なまでの魅力に降参したおれは、
ショートケーキに加えて――、コーヒーももう一杯、注文してやったのだった。