桜子と、話をした。
とてもとても大事な、話をした。
お互いに、つらい話でもあった。
苦さの残る、会話。
避けられない痛みをともなう通話を終え、
スマホをカツン、と机に置く。
カレンダーが眼に入る。
きょうは、23日は、もう祝日じゃない。
祝日じゃないのなら――、
いっそ、
おれがケジメをつけた記念日にしてくれ。
瀬戸宏(せと こう)の、ケジメ記念日。
× × ×
あまり、眠れていなくて、
気分が正常とはいえない。
それでも、
ド根性振り絞って、
できる限り真面目に、桜子に語りかけた。
虚脱感。
パワーが湧いてこない。
けれども。
おれにはきょう、もうひとつ、やり遂げなければいけないことがあるのだ。
腰を上げろ、おれ!!
神岡恵那(かみおか えな)がいる、
約束の場所へ――。
× × ×
自販機で売っていたエナジードリンクを喉にブチ込んで、
ロビーで恵那を待つ。
寝不足と緊張とエナジードリンクの相乗効果で、
座って待ち続けるおれの眼は血走っていたかもしれない。
視界に、
室内温水プールの更衣室から出てきた、恵那のすがたが、入ってきた。
立ち上がる、おれ。
入れ替わるように座る、恵那。
「――いつから観てたの」
眼の前に立つおれを見上げて、恵那が訊く。
プールでの自主練習をいつから観覧席で観ていたのか、訊いているのだ。
「ちょっと、遅刻したけど、
でも――、だいたいは、観させてもらった」
脚を組む恵那。
「――キモっ」
神岡恵那という女の、定番の捨てゼリフであり、定番の決めゼリフだった。
「キモくてごめんな」
「あのさぁ。
わたしがプールから上がって、着替えて出てくるまでのあいだ、ぜったいヘンなこと考えてたよね」
「あまり大きい声でそんなこと言うなよ…」
「だれもいないじゃん、周(まわ)り」
「おまえは周囲にだれかいても言いそうだから困るんだよ」
からだが、あったまってきた感じがするのは、
エナジードリンクの効果か、恵那と話しはじめた効果か。
「ヘンなことは一切考えてない。
その反対だ。
真面目なことを、本気で考えていた。」
おれの本気度を測るようにして、恵那は見上げてくる。
ここにいても――ラチがあかない。
「公園。」
不器用におれは言った。
「公園、あるだろ、すぐ近くに。公園なら、ゆっくり話せる……ところもある」
× × ×
「いつまでたってもハッキリした物言いになんないね」
おれを突き飛ばすような、罵倒の威力。
「そんなんでマスゴミ…じゃなかった、マスコミに就職できるわけないでしょ」
「どうして、大学受験をすっ飛ばして、職業選択の話になるかなぁ」
「あんたの部活の人間は、全員マスコミ志望だと思ってた」
認識が大ざっぱすぎる。
「違うって」
「嘘っぽい」
「断じて違う」
「……ふん。」
小高い丘。
回りくどいやり取りは終わりにして、
あの丘に登って、
するべきことを、してしまいたい。
伝えたいことを、恵那に言いたい。
おれは丘の上に続く階段に、足をかける。
そして、ずんずん登っていく。
決して、ラクな上(のぼ)りではない。
――古傷がジンジンする。
だけど、おれは我慢する。
うしろにピッタリと、恵那がついてきてくれている。
× × ×
古傷を耐えしのんで、立ちながら、丘の下の景色を見渡す。
つまらなそうに……かどうかはわからないが、石で出来たベンチのようなところに、ちょこん、と恵那は腰かけている。
景色眺めもそこそこに、
「なあ、真面目な質問していいか?
……いいんだな。
じゃあ質問するぞ、
恵那は……何になりたい?」
「将来、何になりたいか?」
「そうだよ。
おれの職業選択のことまで気にしてるってことは、おまえにも、なにか、未来予想図があるってことだろう」
足をバタバタさせる恵那。
そっくりそのまま、バタ足だ。
「その身振りは――、しっかり考えがあるのか、なにも考えがないのか、いったいどっちなんだ」
「――逆に訊くけど。
宏は……何になりたいの」
きょう初めて、名前で呼ばれた。
それはそうと、
「強引に、訊き返す。
…将来が未定の、証拠だな」
すかさず恵那が、
「べつにっ。なんにも考えてないとかそういうわけじゃっ、」
「おれはさぁ」
甲高い声で、恵那をさえぎる。
「おれはなぁ!
何になりたいかっていうと、
おれは恵那の――夢の支えに、なりたい!!」
「『夢の支え』って……なんなの…。
マンガやドラマの主人公みたいなこと言って……。
いったいなんのつもりでそんなこと言うの……宏」
恵那は一気にテンパり通(どお)しになって、
慌てに慌てた声を出す。
「告白……みたいな」
うろたえ気味のことば、そのことばが――宙(ちゅう)に浮いている。
「恵那。
となりに座らせてもらうから」
はっきりと、きっぱりと、おれは言って、
ドン、と恵那の左隣に腰を下ろす。
弾(はず)みで、古傷が喘(あえ)ぐ。
だけど、それがなんだっていうのか。
不安そうな、
オドオドしたみたいな、
恵那の様子。
感情があからさまに顔に出ている。
強い気持ちが、へたりこんで、
弱々しい眼つきになっている。
小刻みな、彼女のからだの震えを、感じ取る。
見つめあって、ことばを喪(うしな)ったのは――、
恵那のほうだった。
今なら、
勝てる。
「おれの夢になってくれよ、恵那。」
…そのひとことで、
恵那はすべてを、理解する。
最大限に開かれた、眼。
なんともいえない眼差し。
ほっぺたは少女漫画のヒロインみたいに染まり、
口も少しだけ開(あ)いている。
「……頭から湯気が出てるみたいだぞ、おまえ」
ふるふる、と首を振って、
「だってっ、なんて言っていいか、わかんないじゃん、わかんないっ、わたし」
「――デレさせちゃって、ごめんな」
「宏の――バカッ。この期(ご)に及んで、よくもそんなキモいこと――」
なにかに気づいたようで、
デレ顔のまま、おれの首元を見てくる。
「マフラー」
「マフラーが?」
「マフラー。あんたのマフラー、ちゃんとなってない!」
ツンとした声で、そう指摘して、
おれのマフラーに、ゆっくりと触れていく。
「……こういうところから、ちゃんとしてよね」
そのことばの続きが、
予測できた。
「宏。……わたしとつきあっていくからには」
「わかってるよ。」
「信用できない。」
「じゃあもう一回言う。わかってる、全部」
「全部なんて、信用できないじゃん…」
「じゃあ何回でも言ってやる。何回でも、おまえのこと、理解してやる」
恥ずかしがって、うつむいて。
恵那は。
「わたしだって。
わたしも――そうするよ、宏。
理解するだけ理解する。
約束するから――。
絶対に、見放さないで。
おねがい、宏」