兄に甘えてしまった。
わたしが、悲しい夢を見たから――。
うれしかったけど、
くすぐったい。
× × ×
兄が居間のテーブルにいる。
どうやら、勉強をしているらしい。
「お勉強?」
「お勉強だ」
「部屋でやらないんだ」
「どこでやったっていいだろ」
たしかに。
やらないよりは、いい。
言うべきことばが、あると思って、
「あの、お、お兄ちゃん」
「なんだよ、そんなにカタくなって」
「きのうは――ありがとう」
兄は、ほんとうにしょうがねぇなあ……と言いたそうに笑って、
「どういたしまして」
と返事する。
「よく眠れないとか、悪い夢見るとか、そういうことがあったら、遠慮なく相談してくれ」
自信ありげな顔でそう言って、
「お兄ちゃんだからな」
と、余計かもしれないひとことを付け加える。
「だいじょうだよ、しばらくは、わたし……」
「ほんとかぁ」
「お兄ちゃんに話、聴いてもらったし」
「ふむふむ」
「お母さんのかぼちゃポタージュ、飲んだし」
「なるほど」
「だから、心配しないで」
自分のことをしよう、とその場を去ろうとしたら、
いきなり兄が立ち上がり、わたしの左肩をガシッとつかんできた。
「――なに?」
「あすか――冬休みの宿題、あるだろ」
「あるけど、それが?」
「ここでお兄ちゃんといっしょに勉強しないか」
えぇ~。
「……いつから、そんなにシスコンになったの?」
「ばかいうな」
「ひとりでできるから」
「つめたいなぁ」
「つめたくない」
甘えるばかりじゃ、いられない。
シスコン気味の兄を振り切って、自分の部屋に戻ろうとする。
「あんまりひきこもるんじゃないぞー、あすか」
背中に声をかけられる。
わかってるから……と、心のなかでつぶやく。
× × ×
宿題を、少し消化した。
「寒いね、ホエール君」
勉強机の端(はじ)っこに置いたホエール君のぬいぐるみに向かって、ひとりごとを言う。
わたしの部屋にホエール君がやってきてから、4ヶ月。
夏祭りの出店(でみせ)で、岡崎さんが、景品のホエール君を当てた。
岡崎さんは、こころよくホエール君を譲ってくれた。
「――岡崎さんのおかげで、こうやってホエール君とおしゃべりできるんだよね」
また、ホエール君に、ひとりごと。
「おしゃべりできる」というのは正確には間違いで、
ホエール君はもちろん声を出さないので、
一方的にわたしのほうから話しかけている、というのが実状。
兄がこんな様子見たら、ますます心配して、ますますシスコンになっちゃうな。
それはいいとして、
岡崎さん――か。
岡崎さんからホエール君をもらったのも、
岡崎さんがわたしに衝撃の告白をしたのも、
夏祭りの、夜だった。
花火が上がるなかで、
桜子さんが好きなんだ……と、岡崎さんは、わたしだけに向かって、打ち明けた。
衝撃の告白が、それ。
ノートの余白に、
『桜子さん』『岡崎さん』『瀬戸さん』と書きつけて、
それぞれを線で結んで、三角形を作ってみる。
岡崎さんは、桜子さんのことが、好き。
でも、桜子さんは、瀬戸さんに想いを寄せているのが、バレバレだった。
今月のはじめに、桜子さんと瀬戸さんが険悪なムードになったことがあった。
言い合いみたいになって、瀬戸さんが活動教室を飛び出して、桜子さんがそのあとを追いかけて。
和解したみたいだけど、活動教室を出ていったあとでどんなやり取りをしたのか、ふたりは教えてくれないし、教えてくれるはずもない。
変わったことといえば、その翌日から、桜子さんが活動教室で受験勉強をしなくなったことぐらいだ。
桜子さんの瀬戸さんに対する想いも、
岡崎さんの桜子さんに対する想いも、
空回りしたまま、3月を迎えるのだろうか。
岡崎さんは――最近、桜子さんに、優しくなったような気がする。
好きだから、なんだろうけど、
接しかたが、変わったと思う。
その変化に、桜子さんは気づいているんだろうか。
気づいているのかもしれない。
気づいているとしたら――彼女の認識は?
× × ×
「なんとも思ってないってことは――ないよね」
「――なんの話ですか!? あすかさん」
仰天した眼で、利比古くんがわたしに言う。
無理もない。
「ごめん、機密事項」
「き、機密事項なら、ことばに出さないほうが」
「そうなんだけど、近ごろひとりごとが多くて」
「なぜ?」
「…わかんないや。ホエール君と友だちになったから、なのかなあ」
「ホエール君、って……外国人のお友だちですか??」
わたしはガクッ、ときて、
「ホエール君は人じゃないっ!」
「人では……ない!?」
「……ゆるキャラってなんですか」
説明が、この上なくめんどくさい……。
「WEBで調べて」
そうやってWEBに丸投げすると、
すぐさま、利比古くんはスマホを操作し始める。
「いまじゃなくってもいいでしょ」
「『ゆるキャラグランプリ公式サイト』なんてあるんですね」
「あーっ、ホエール君は登録されてないよ」
「……どういうことですか??」
「利比古くん……『虚構』って、英語でなんていったかな」
「『fiction』」
「――でしょっ?」
意味がわからないといった顔の彼。
これ以上無残なやり取りも、なかなかない……。
「――そんなことよりもっ!!」
「うわあっ」
「『うわあっ』じゃないでしょ、わざとらしい」
「なぜいきなり叫んだんですか」
「……おなかすかないの? 昼ごはん、食べようよ」
「わあっそうだった」
「……リアクション芸人でも目指してるのかな?」