戸部のお邸(やしき)に、泊まりにやってきた。
出迎えてくれたのは、愛ちゃんの弟の利比古くん。
「こんばんは、藤村さん」
「こんばんは。きょうとあすの1泊2日、よろしくね」
1泊2日とか、ホテルみたいだなー、と我ながら思う。
「よろしくです。姉も、じきに帰ってくると思いますよ」
「ヤッター! ところで、戸部は?」
「アツマさんは、夕ごはん作ってます」
え、
うそっ。
「戸部が……料理……してんの?!」
「姉が受験生なので、姉以外の面々で、最近は夕食当番のローテーションを回しているんです」
助け合いの……精神か。
どんな料理が出てくるんだろう。
× × ×
戦々恐々としていたら――愛ちゃんが帰ってきた。
「ただいま、藤村さん」
「おかえり、愛ちゃん」
「ちょっとキッチンを見てきますね」と、帰ってくるなりキッチンに突き進んでいく愛ちゃん。
戸部の様子が気になるらしい。
キッチンから戻ってくるやいなや、
「残念ながら、夕食当番の不手際で、ごはんができるまでまだ時間がかかりそうです」
と辛辣に言う。
「ごめんなさい藤村さん。夕ごはん待たせちゃって」
「や、わたしべつに構わないんだけどさ」
「どうしましょうか? この待ち時間」
時間が余っているのなら――、とりあえず。
「――おフロ先にしようよ」
「あ、いいですね」
入浴、入浴。
入浴タイム。
× × ×
ざばぁーーっと、お湯に入る。
温泉みたい。
すこぶる気持ちよい。
今週の疲れが、ぜんぶ洗い流されていく。
「戸部のおかげで、ゆっくりお湯に浸(つ)かれるね」
「怪我の功名ですね」
アハハとふたりして笑い合う。
「……ま、でも戸部のことあんまり悪く言うもんでもないよ。せっかく愛ちゃんのために、夕食当番なってくれてるんだから」
「たしかに」
「偉いよ、戸部は。わたし料理からっきしだから。いっつも家ではママに頼りっきりで……」
「ママさん、ですか」
「そ、そう、情けない話だけど――ママ、じゃなかったお母さんにごはん作ってもらってるの」
「『ママ』でいいじゃないですか、いちいち言い直さなくたって」
「――大学生にもなって、子どもだよね。料理できるし、戸部のほうがちゃんと立派にやってる――」
「それはどうでしょうか」
「愛ちゃん」
「はい」
「戸部の料理、きっと美味しいんだろうね」
「そう思います?」
「うん、美味しそう」
「それは食べてみないと」
「……たまには、戸部を信頼してあげなよ」
「してますって……でも料理は別です」
「シビアだなあ」
――微笑ましい。
× × ×
「普通に美味しかったじゃん。あ、普通に、は余計か」
素直に、戸部の料理は美味しかった。
わたしには、あんなに美味しく作れそうにない。
「愛ちゃんは、不満? 100点満点で、きょうは何点だと思う」
「75点。」
「そこはせめて『80点』って言ってあげなよ」
「5点分上乗せする理由が――」
「80点のほうがキリがいいじゃん」
「75点もキリがいいと思うんですけど」
このお邸(やしき)の1階には、テレビが観られるスペースがいくつもあって、
そのうちのひとつに、愛ちゃんと肩を並べて座っている。
テレビと向かい合うかたちで、ちょうどふたり分が座れるソファがあるのである。
戸部は後片付けをしている。
あすかちゃんは、校内スポーツ新聞を書くための調べものをしているらしい。
利比古くんは、自分の部屋で読書タイムだ。
周りにだれもいないので、広~い1階が、いっそう広~~く感じられる。
「愛ちゃんは勉強しなくていいの?」
「藤村さんのお相手をしますよ」
「わたしひとりだってだいじょーぶだよぉ」
「藤村さんがさみしくなっちゃう」
「戸部がいるでしょ?」
「アツマくんだけに相手させるわけにはいきませんっ」
たしかに。
「じゃ、雑談でもしよっか」
× × ×
「藤村さん、バイトされてるんですよね? たしか塾講師」
「そーだよ、塾講だよ」
「オトナじゃないですか」
「えっ――バイトしてる、だけだよ!?」
「アツマくんに塾講なんて無理なんで。藤村さんのほうが全然立派です」
「どうしても戸部と比較させたいんだなあ」
しょーがない愛ちゃんだ。
「まーたしかに戸部のバイトは季節限定だもんねえ」
「でしょ? 藤村さんの偉さとは比較になりませんよ」
「――塾で教えるの、全然うまくなんないけどね」
思わず、ため息。
愛ちゃん、困ってしまってる。
困ってしまってるけれど、困った顔もまた――かわいい、というか愛くるしい。
いつも思ってるけど――、愛ちゃんの困り顔って、なんでこんなに魅力的なんだろう。
元(もと)がいい、からというのはある。
困ってるのを、もっと困らせたい――という気に、思わずなってしまうほどの、破壊力。
その破壊力ゆえに、ワザとわたしは、彼女に揺さぶりをかけてみる。
「愛ちゃんは、いかにも教え上手、って感じ」
「……わたしに塾講師なんて、できませんっ」
「教え上手なのは否定しないんだぁ」
「べっべつにっ、教え上手でもなんでもないし」
「でもさー」
突拍子もないとは、自分でもわかっていながらも……言ってみる。
「愛ちゃんが教壇に立ってるとこ、一度でいいから見てみたいかも」
「わたしが……教壇に立つ、って、先生になる、ってこと!?」
コクンとうなずく。
「そんなこと考えもしなかった。それに、まずは大学受かんなきゃだし、職業選択っていうのは、まだまだ先の話だし」
そうだよね。
「そうだよね、ごめん、いろいろヘンなこと言っちゃって」
「あ――、でも」
「ん??」
「思い出しました。部活のセンパイに、『大学に入ったら教員免許を取るべき』と、言われたことは、あるんです」
「――やっぱり」
「やっぱり、なんですか、そこ」
「だって、わたしもそう思うもの」
「どうして……?」
「それはね……愛ちゃん」
『お~い、あんまり愛をいじめてやるなよー、藤村』
いつの間にか、
背後に、戸部。
「びっくりするじゃん戸部。背後からヌ~ッと出てきて」
「いつもながら、ひどい言いようだなおまえも……」
「せっかくいいところだったのにぃ」
「いいや、おまえの問い詰めみたいになってたぞ」
「わたしはべつに……」
「愛にプレッシャーかけてやるなよ、受験が近くてナーバスなんだよ」
「う」
「わかったか」
「…」
「藤村さんへこませちゃダメよ、アツマくん」
や、やさしい、愛ちゃんやさしい。
「たしかにわたしも困惑してたけど」
そこは……容赦なし、なんだね。
「ごめん愛ちゃん。戸惑わせちゃったね」
「いいですよ。もう気にしませんから」
「愛ちゃんの困り顔が……あまりにもかわいかったら」
「!?」
「……そう、そんな顔」