文化祭が終わったのを境に、校内の雰囲気もガラリと変わる。
とくに、高等部3年は、まさに受験の追い込みモード。
ピリピリした空気を味わっているわけだが、きょうの放課後も、わたしは文芸部に向かう。
× × ×
図書館にアカちゃんが来ている。
めずらしくは……ないか。
でも、
「文芸部、入りたくなったの?」
「え、どうしてそう思うの、愛ちゃん」
「だって、わたしたちの集まりのところに来てるってことは」
文芸部ゾーン、という概念がある。
わが文芸部は、図書館の一角に活動場所を占(し)めているわけなのだが、今はその文芸部ゾーンにアカちゃんが来ているのだ。
え?
『いつも思うんですけど、図書館であんなにお喋(しゃべ)りしていて、周りの迷惑にならないんですか』って?
――察してください。
いろいろと察して。
それに、文芸部の活動ゾーンは、いちおう、閲覧席からは遠く離れているという設定なので――。
「いまさら部活がどうのこうの、っていう時期じゃないでしょう」
「もちろんそうだけど…」
「わたしは、学びたいと思って」
「文芸部から?」
「そうよ。
大学受験がひと足早く終わってしまうのだから――別の勉強がしたいの」
そうだった。
アカちゃんは指定校推薦されることが決まっているのだ。
『学問のすゝめ』で有名な人の大学である。
「なんでも吸収していきたいのよ、卒業するまでに」
「学習意欲があるのはいいんだけど、わたしたちの部活から吸収することって、正直あまり…」
「愛ちゃんが眼の前にいるだけで勉強になるわ」
アカちゃんのずいぶん強引なロジック。
わたしの隣にいた川又さんが割って入って、
「そうですね。羽田センパイは天才でカリスマですから、そばにいてくれるだけで勉強になりますよね」
和やかな笑いに包まれる、文芸部空間……。
わたしはコホン、と咳払いして、
「――だめよ、あんまり大きな笑い声立てたら」
部長として、注意する。
微笑ましいわね……と思っていそうな表情で、アカちゃんが、
「愛ちゃん」
と問いかけるように言う。
「文芸部は、何時まで活動してるの?」
答えにくい質問だったが、
「それは――部長裁量」
「フレキシブルなのね」
「フレキシブルなのよ」
「じゃあ、きょうは部長のあなたが『終わり!』っていうまでここにいるわ」
「そう……ですか。」
× × ×
それから、わたしもアカちゃんも読書に打ち込んでいた。
きりのいいところで栞(しおり)を挟んで、文庫本を閉じ、
「――終わり」
部長として、部活終了を告げる。
「おつかれさまでした、センパイ」
「おつかれさま、愛ちゃん」
川又さんとアカちゃんに、ふたり同時に労(ねぎら)われる。
疲れることは――してないんだけどな。
「センパイ、一緒に帰りませんか?」
「愛ちゃん、一緒に帰りましょう?」
ふたり同時にお願いされるわたし。
あっ……! と、川又さんとアカちゃんが顔を見合わせる。
こういうときは――、
「3人で帰ろっか」
川又さんも、アカちゃんも――仲良くね。
× × ×
「川又さん、今度おごってあげるよ、メルカドで」
エエッとわたしの可愛い後輩は驚いて、
「センパイ、わたし……なにか悪いことでもしましたか?」
「逆よ、逆」
「逆って、感謝されるようなことは、してない気がするんですけど」
「……『6年劇』では、ずっとお世話になってたでしょ?
川又さんいなかったら……『6年劇』は、失敗してたよ」
わたしと川又さんとのやり取りを、アカちゃんは微笑ましく見つめている。
「わたしはなにも出来なくてごめんね、愛ちゃん」
詫びるように言うアカちゃん。
「アカちゃんだって、クラスの出し物がんばってたじゃない」
「愛ちゃんのがんばりに比べたら――」
「陣頭指揮、とってたんでしょ」
「陣頭指揮、って言えるほどでもないわ」
「アカちゃんは――わたしのクラスの『監督』みたいなものだから」
「『監督』!?」
「それでもって、GM(ゼネラルマネージャー)が、伊吹先生」
戸惑うアカちゃんを横目に、
「羽田センパイは、野球で喩(たと)えるのが好きなんですね」
「そうよ川又さん。どんなことだって野球で喩えられるの」
「漫画家の水島新司さんが言いそうなこと言いますね……」
「知ってるの水島新司」
「わたしの実家の喫茶店には、なぜか週刊少年チャンピオンがずっと置いてあるんです」
「あー! そういえば見た気がする」
「センパイもドカベンとか読むんですか? なんか意外です」
「さすがにぜんぶは読んでないけど…」
「読み切れませんよね。ドカベンシリーズだけで合計しても、こち亀並みの長さになる」
「詳しいね」
「詳しいのは親のほうです…」
「らしいですね」
「明訓高校は神奈川県代表なのにね」
「そうらしいですね」
「……まぁ、ベイスターズだけじゃなくって、むかしはロッテも神奈川県が本拠地だったんだけどさ」
「そうなんですか!?」
「川崎球場って、知らない?」
「知らないですけど……いずれにせよ、昭和の話ですよね、令和ですよいま」
たいへん面白げに、川又さんとわたしの脱線トークを聴いていたアカちゃんが、
「いつもそんなふうに話してるの? あなたたち」
「ついつい話が盛り上がっちゃうのよね。ね? 川又さん」
そうですね、と頷(うなず)いてくれる後輩。
「話題がどんどん広がっていくのね。素敵ね」
でしょう?
「あの、アカ子センパイと羽田センパイって、どうやって仲良しになったんですか?」
おーっ、ズバッと訊いてきた。
158キロの直球を、川又さんが投げてきた、わけだが、
「川又さん、そのことはね、メルカドでおごってあげるついでに教えてあげるからね」
「いまじゃダメなんですか羽田センパイ」
「察して」
「……わかりました。」
× × ×
「ではわたしはここで」
「またあした」とわたし。
「またよろしくね、川又さん」とアカちゃん。
――さて、ふたりになった。
「あしたも来てみる? 文芸部」
「どうしようかしら」
「楽しかったでしょ」
「楽しかったわ」
「ま、アカちゃんが来たいときに来ればいいよ。いつでも待ってるから」
「……ハヤカワ文庫、読んでたわね」
「あー、部活でね。ハヤカワだって創元推理だって、読むときは読む」
「読書好奇心旺盛なのね」
「アカちゃんだって旺盛でしょ?」
「……」
「……」
「感じなくて、いいからね、
『先に受験が終わったから、手持ち無沙汰みたいで、なんだかこれから入試を受ける同級生たちに申し訳ない』とか、
そういう気持ちにならなくっても、いいから」
「わたし想いね、愛ちゃん」
「とーぜんでしょ」
「……ありがとう。
残された時間を、どう使うかって、悩んだわ。
なにもせずに手持ち無沙汰っていうのは、それこそわたしが耐えられないから。
無為(むい)はイヤだから……なにかをしていたいから……。」
「アカちゃん。
あそこに公園があるよ。
公園行って、話そっか。
子どもたちも、みんな帰っちゃったみたいだし」
× × ×
わたしもアカちゃんも、ブランコに腰掛けている。
日が暮れるのも早くて。
11月なんだな……。
……季節のことは、どうでもいいとして。
いや、どうでもよくないか。
季節のことを意識すると、残り少ない学校生活の時間が、まざまざと浮き彫りにされていくような感じになる。
アカちゃんが、残された時間を、どうやって過ごすのか、という話だった。
わざわざ人気(ひとけ)のない公園のブランコまで来ないと、できないような話。
わたしとアカちゃんでふたりきりにならないと、話しにくいこと。
「――愛ちゃん」
がちゃり、と少しだけブランコを揺らして、
「わたしね――ハルくんの家庭教師になったの」
それが――アカちゃんの選択、か。
「ハルくんは推薦もないし、一般受験でがんばるしかないから。ハルくんのためになってあげられるのなら、残りの時間を捧(ささ)げられる」
「捧げられるとか、大げさな」
「たしかに、大げさな言いかた――でも、好きなひとの未来を後押しできるのなら」
「ハルくんは贅沢だな」
「ほんとうに贅沢な家庭教師を味方につけたものよね」
がちゃん、とブランコを揺らして、
「きのう、邸(いえ)に来てもらったわ」
「ハルくんがアカちゃんのとこに? 家庭教師って、ふつう逆――」
「いろいろな家庭教師のかたちがあってもいいでしょう」
「たしかに。」
「……ニヤけないでもいいのに」
「マンツーマンで?」
「わたしの部屋で、ね」
「贅沢すぎるくらい贅沢じゃないそれ。ハルくんはとんだ幸せものね」
「そのハルくんが問題なのよ」
「どーして?」
「わたしの言うことを聞いてくれないの」
「それはけしからん」
「やる気あるのかしら、危機感あるのかしら? って感じなの」
「――わたしからも1発、お見舞いしてやらないとダメなんじゃないの」
「ぶ、物騒ね……ずいぶんと」
「だって。
ハルくんとは約束してるんだもん」
「愛ちゃんとハルくんが? …いつ?」
「かなり前。あなたたちがつきあいはじめた頃」
「…どんな約束を?」
「アカちゃんを大事にすること。
アカちゃんをがっかりさせない、ってことも、当然含まれる。
だから――」
「い、1発お見舞いはやめてちょうだい」
「だって、ねぇ」
「――わたしでなんとか、『指導』するつもりだから」
「『教育』が必要だったら、いつでも言ってね」
「愛ちゃん、おっかない……」
「親友だもの。親友の彼氏には厳しいわよ」
苦笑いして、アカちゃんは、
「初歩的な問題だけど…彼の書いた字が読めないの」
「読めない!?」
「字が汚すぎて」
「伊吹先生の字とどっちが汚い??」
「伊吹先生のほうがきれいに決まってるでしょう。というか…なんで伊吹先生比較対象にしたの」
「伊吹先生の板書も相当だから」
「あれはまだぜんぜん読めるレベルでしょうに」
「…アツマくんに似てるんだな、ハルくん」
「アツマさんそんなに字がヘタなのかしら」
「ひとつ屋根の下だからいっつも思ってるわよ。
そうねえ……『これでよく大学受かったわね』レベル」
「バッサリね」
「本人だって自覚してるでしょ」
――そうわたしが言うと、となりのアカちゃんは、がちゃがちゃ、とブランコを鳴らしながら、
「お互い――ガサツなひとを好きになっちゃって、気苦労が絶えないものね」
「でしょっ!?」