【愛の◯◯】アタシは、アタシのドキドキする気持ちに、あらためて、もう一度――素直になる。

 

どんな服を着ていくか、何時間も悩みに悩んだ。

ワンピースにすることは決めていた。

でも、どのワンピースにするのか、迷って、迷って。

クローゼットと姿見のあいだを、何度も行ったり来たりして。

アイツと、羽田と会うために、なんでこんな試行錯誤しなきゃならないんだろって、自分でも不思議だった。

――たぶん、羽田「だから」だ。

もうアイツは、アタシにとって、ただの1年坊主ではなくなった。

ちゃんとした服を着ていきたい。

ちゃんと髪を整えて、会いに行きたい。

アイツが――特別な存在になりかかっている、証拠だった。

アイツと映画を観に行くからには、普段と違うアタシを見せたい。

……なーんて。

明らかに、気負っていた。

この感じ、男子に対して不必要なまでにテンションが昂(たか)ぶっていく感じ……久しく、なかった。

 

青色のワンピースは、胸元が広く開いているのが玉にキズだった。

アタシAカップじゃないから、羽田に変に見られてしまうかもしれない。

羽田はそんなスケベな奴じゃないと思うけれど。

でもやっぱり気になったから青色はやめにした。

神経質すぎたかな?

――ピンク色は子どもっぽさを加速させてしまうし、オレンジ色も色合いが鮮やかすぎる気がした。

じゃあ、何色のワンピースにすればいいのか?

真っ白いワンピースが――さっぱりしていて、良いと思った。

羽田に良い印象を与えると思った。

だけど、裾が長くて……真っ白に加えて基本、無地だから、汚れたらみっともないっていう懸念材料はあった。

裾がなにかに引っかかったら、大変。

コケちゃったら、台無しだ。

だけども。

少しくらい、裾が長くったって――なにが起こっても、羽田が助けてくれると思ったから。

だから、考え尽くした挙げ句――真っ白を着ていくことに決めた。

 

…姿見の前で、

『なにかあっても、羽田が守ってくれる』

そういう想いが、不意に湧き上がって……。

そんな自分の感情を認めたくなかったから、思わず首をブンブンと振った。

認めたくなかったけど……姿見にうつるアタシの表情が、すべてを物語っていた。

 

髪を念入りに念入りに整えても、まだ約束の時刻は先だった。

起床時間が早すぎたのだ。

たぶん…気持ちが先走っていたから。

待ちきれなくって。

羽田も、映画も。

それで、予想外に早い時間に目覚めてしまった。

 

身支度(みじたく)も済んで、やることがなくなった。

部屋でウダウダグダグダしていても、どうしようもないし、かといって、約束の時刻には早すぎる。

アタシは家を出て駅に向かうことにした。

時間が早すぎるのは承知の上。

約束の場所――映画館の最寄り駅の改札口で、ひたすら羽田を待ち続けることを選んだ。

 

電車を降りて、改札を出たら、とたんにドキドキし始めた。

約束の場所に来たんだと思うと。

羽田が改札の向こうからやって来るのが、なんだか、こわくなってきてしまった。

ドキドキと、こわがりが、1時間近く持続しつづけた。

 

約束の時刻。

人混みの中に羽田を見つけたとたん、ドクン、と心臓が飛び跳ねた。

でも、羽田とことばを交わしているうちに、ようやく――気持ちが折り合い始めて、これから映画を観られるという楽しい気分になっていくことができた。

 

 

楽しかった。

映画を観る前も観てる最中も観た後も、ぜんぶ楽しかった。

 

羽田が――いてくれたから。

 

 

 

× × ×

 

いっしょに映画館に行ったのは、当然お互いだけの秘密だった。

 

月曜になって、放課後、【第2放送室】で、なぎさとクロに対して、平静を装(よそお)うのには苦労した。

羽田も、なにごとか覚(さと)られまいと、普段通りの自分を一生懸命演じているように見えた。

 

……けれど、なぎさとクロが退出して、ふたりきりになると、きのうの余韻がとたんにぶり返してきた。

気まずいような、照れくさいような。

お互い、なにかを言いあぐねていた。

今までにない、ヘンな空気。

春に羽田と出会ってから半年以上経つけど――こんなの、初めて。

まさか――こういう関係性に、変わっていくなんて。

 

アタシが勝手に変わっていったんじゃない。

羽田が、アタシを変えたんだ。

 

――ひとまず、先輩として、アタシのほうから口を開いてみる。

「あのね、あのね羽田」

「…はい。」

「『来ても来なくてもいい』とか、いい加減なこと言ってたけど。もうそれは、やめにする。できれば、毎日来てほしい」

ここに。

この場所に。

「放課後は――アンタがいたほうが、やっぱり楽しいわ」

…アンタといた日曜日は、もっともっともっと楽しかったけどさ。

でも、いまは、普段の放課後の話。

「そうですか……わかりました。来ます、毎日」

言い切る羽田。

コイツが――アタシを変えてくれた、張本人。

助けてくれた。

救ってくれた。

支えて……くれるのかな、これからも。

一方的に倚(よ)りかかりたくはない。

だけど、だけど。

もっと、コイツと、距離を縮めたくて……。

もうこれ以上縮まないくらい、縮まってるのかもしれなくても……。

 

「………アタシのほうが、よっぽど生意気だ。」

天井を見上げて、ひとりごとをつぶやいた。

「どうしたんですか? 唐突に…」

怪訝そうな、羽田利比古。

姉譲りなんだと思うけれど、

初めて、羽田の顔が――『いい顔だ』と、そう思った。

 

 

× × ×

 

 

「物書きはみんな写真でいい顔をしている」って書いたのは、山田詠美だったっけ。

たしかそうだった。

もっとも、正確に彼女が書いたことを記憶してるわけではない。

ニュアンスがもしかしたら全然違ったのかもしれない。

 

そんな予防線張って、本棚から『ぼくは勉強ができない』の文庫本を取り出すのすら億劫で、アタシなにやってんだろ、って、広げた参考書にも手をつけず、虚空を見つめて自己嫌悪していた。

今のアタシ最高にブスだ。

せっかく手入れした髪も一日でダメダメになって。

姿見、見たくない。

勉強机の隣の姿見があまりにも鬱陶しくて、椅子から立ち上がって離れたところに遠のけた。

それでも、鏡が表(おもて)だと、イヤでもアタシの最悪な容姿が見えてしまう。

だから姿見が用をなさないように、裏返しにして壁に立て掛けてしまった。

 

ぜったい、きのうの朝、何時間も身支度をしたことの、反動だ。

何回も何回もワンピース合わせをした結果、姿見のことがとうとう嫌いになってしまったんだ。

自分では、最大限、きれいさっぱりとした外見にしたつもり。

けれど――羽田には、きのうのアタシが、果たしてどう見えていたか?

普段のいい加減さとは対照的な姿を、アイツに見せられただろうか?

 

がんばったんだけどな……。

 

がんばりすぎて、もしかして、空振りだったのかもしれない……。

 

アイツに、

アイツに「アタシのワンピースどうでしたか」なんて、訊けるわけない。

勇気がない。

気に入ってくれたのなら嬉しいけれど。

 

お世辞でも、「素敵でしたよ」って言ってくれたなら。

 

――なんだそりゃ。

アイツになにを期待してんの、アタシ。

思い上がりもいい加減にしてよ、アタシ。

 

 

わけがわからなくなってきた。

ほどけない靴紐みたいに、こんがらがった。

アタシ面倒くさすぎ。

生意気なうえ、面倒で、攻撃的で、すぐ自己嫌悪して。

 

――気が休まらない。

 

机の隅っこに置いたスマートフォンに、目が行った。

こういうとき、相談できるのは、打ち明けられるのは――。

 

 

 

『なーに? 突然かけてきて』

「甲斐田に電話するのも……久々だね」

『まーね。私たち、ずっと冷戦状態だったし』

「冷戦どころじゃなかったでしょ」

『たしかに』

「ま、どうでもいいや…そんなことは」

『……わざわざ、腐れ縁の私に電話かけてくるってことは』

「……」

『かなり深刻な、打ち明け話?』

「……」

『なんとか言いなさい』

「…………深刻なんだろうか。きっと、深刻なんだろうな」

『変な言いかたねぇ。よっぽどのことがあったから、電話したんでしょう?』

「そうだよ」

『なんでも言ってみなさい。怒らないから、私』

「保護者みたいな……」

『ある意味、そうでしょ』

 

軽く、息を吸い込む。

 

「………………日曜に羽田とデートした」

 

ガチャン、という衝撃音が聞こえてきた。

スマホを取り落とした、甲斐田の衝撃の音だ。

 

……ややあって、ふたたび甲斐田が通話に帰ってきた。

なにしてんの、あんた……どういう経緯よ、それ!?

「説明は――省略。長電話になるから。映画、ふたりで観てきた」

『いつのまに、そういう――』

 

まあねえ…。

 

「もっとも、あっちは、デートだって認識してないかもだけど」

『ますます気になるよ。あんたたち、どういう関係性なの、私の知らぬ間(ま)に、なにごと――』

「ちょっとは落ち着いてよ。こっちだって、言いたいことも言えなくなるよ」

『……』

無言で当惑している甲斐田の様子が、ありありと伝わってくる。

「ねえ、甲斐田。アタシもアンタも、もう高校3年だしさぁ、」

『……それがどうしたっ』

「『過去』っていうものが、できる年頃なわけじゃん」

『……なにが言いたいっ』

「過去(むかし)も……こんなことが、あったよねって。お互い。」

『こんなことって、どんなこと』

 

決まってるじゃんよ。

 

「決まってるじゃん――オトコのこと、だよ」

 

気が動転しているのか、ノイズ音しか聞こえてこない。

甲斐田の動転も折り込み済みだ。

 

甲斐田はやがて、うわずる声で、

『きょうのあんた……どういう脳細胞!?』

「わかんない。自分でも、自分がわかんない」

『どうしたっての!!』

「……わかるのはね、

 初恋って……忘れちゃってたように思えても、忘れてないんだって

はああ!?!?

 

あまりにも甲斐田の声量(せいりょう)が大きくて、あっちのほうが心配になる。

が、アタシは続ける。

 

「……中学2年のときのこと、思い出してた」

『……もしかして、あのこと?』

「あのこと。

 アタシにも、アンタにも、平等に訪れた、

 初めて、オトコをオトコとして、好きになってしまったこと――」

『気持ち悪い言い回しね……』

「仕方ないよ。ごめん、キモい表現力で。でもこういう言い回ししかできなくって」

『…そうだ。麻井はもともと、ロマンチストだったんだわ』

「それ……きのう、羽田にも言われた」

『ロマンチストって?』

「ロマンチストって。」

『――で、いったいなんなのよ、初恋が』

「アタシもアンタも、結果的には、お互いあきらめたでしょ」

『それが?』

「あきらめたから、失敗したから――強くなることもあるんだなって。ひとしきり感傷にひたって。きょうは授業もうわの空で、帰ったら自己嫌悪になった」

 

だけど。

開き直りかも、しれないんだけど。

だけど。

 

「だけど今は――これだけは、自覚できるんだ、アタシ。

 羽田がいると、初恋みたいに、ドキドキするんだって。

 

 

 

『……うそっ』

 

「ウソなわけないじゃん。

 アンタだから、言うんだよ。

 ホントのことしか、言わないよ」