どんな服を着ていこうか考えたが、結局普段通りにした。
× × ×
出発時刻のギリギリまで、自分の部屋で待機。
で、満を持して玄関に向かおうと思ったら、
途中で姉が…立ちはだかった。
「いま、お出かけ?」
「そうだよ……急がないと、電車に乗り遅れて、遅刻しちゃう」
「女の子を待たせるのは良くないよね~」
「そうだよ、だからもう行くよ、ぼく」
小走りになるぼくに、
「健闘を祈る」
「な、なにがっ」
「せっかくのデートなんだし」
「そっ、そんなんじゃないよっ」
「否定したってだめだよ」
「……ぼくもう駅行くから」
「いってらっしゃい――りっちゃんに迷惑かけちゃダメよ☆」
どんな迷惑かけるっていうんだ。
姉は――余裕しゃくしゃくだ。
× × ×
なんとか、電車に乗り遅れることなく、映画館の最寄り駅にたどり着いた。
約束の場所は、改札付近ということになっていた。
改札を出ると――、真っ白なワンピースが、眼に飛び込んできた。
涼(すず)やかな真っ白のワンピースの、小柄な少女。
麻井会長だった。
とりあえず挨拶。
「こんにちは。もしかして待ちました?」
「アタシが……フライングして。ずいぶん早い電車に、乗っちゃって」
「どれくらい早く?」
「言えないくらい……早くから」
斜めにうつむき加減で、彼女はそう言った。
帽子はかぶっていないけれど、髪にはきちんと手入れがしてある。
学校のときのボサボサではない。
清潔感にあふれている。
私服の会長に会うときは、いつもこんな感じの気がする。
『よそゆきのおめかし』――なんて、古い言葉遣いか。
「じゃ、行きましょうか、映画館」
「裾が――」
「裾、?」
「ワンピースの裾が――長すぎないか、ちょっと不安で」
そんなことを気にしている会長は、非常に珍しい。
「気をつけて歩けば大丈夫ですよ」
「コケそうになったら――支えてくれる?」
なんだか遠慮気味の彼女だ。
「コケたら大変ですからね。会長も、あんまりぼくと離れて歩かないでくださいよ」
「わかってる……」
× × ×
座席を指定して、あとは開演を待つだけ。
ぼくは飲み物を買ったが、会長はなんにも買う気がなさそうだった。
「飲み物とか、ポップコーンとか、いいんですか?」
「別にいい」
「わかった! 会長はスクリーンに集中したいから、何も買わないんですね」
「どうしてわかったの…」
「ぼくの推理力を舐めないでください」
人それぞれに、映画に対する『流儀』があるってことだ。
× × ×
シアターに入る。
場内が暗くなり、予告編が始まる。
鳴り響く音響――、
自宅でプレーヤーで再生して観るのとは、わけが違う。
この臨場感なんだな――。
予告編なのに、もう隣席の彼女は、映画を観る眼になっている。
ぼくのことなんか忘却してるかもしれない。
にしても――最近の映画館の予告編は長い気がする。
気のせいかな。
ぼくもあんまり映画館に来るわけではないから。
× × ×
そして――2時間は過ぎていった。
× × ×
エンドロールが終わるまでちゃんと座っていた。
シアターから退出。
戻り道で、ふと会長が立ち止まった。
上映予定作品のポスターを見ている。
遠くを見るような眼で、彼女はポスターを見つめていた。
× × ×
映画館から出ると、下界に帰ってきたって感じがする。
これからどうしようか。
映画の感想を、会長に訊いてみる……のもいいのだが、
会長を、からかうつもりはないんだけど、
「会長、観てるとき、ぼくの存在なんか忘れちゃってたでしょう」
と言ってみた。
「否定はできない」
「――ほんとうに映画、好きなんですね」
「久々に大きなスクリーンで観られて、よかったよ」
満足そうな顔で、
「アンタのおかげ。ありがとう」
あ……。
会長に感謝されるなんて、「ありがとう」って言われるなんて、
以前ならありえなかった。
だから、「どういたしまして」が、素直に言えない。
「反省会しようよ」
「反省会…ですか」
「あそこらへんのベンチ、座ろう」
ちょうどふたり分のベンチが空いていて、
「ほら、ここ」
と会長がぼくを促す。
高校の先輩の女子と、隣同士でベンチに座る、というシチュエーション。
それはまあ、そういう類(たぐい)のシチュエーションなんだろうが、
ひょっとしたら……ぼくたち、『兄妹』に見えるのかもしれない。
もちろんぼくが『兄』で、会長は『妹』。
「反省会の前に――」
会長はおもむろに言う。
「どうにかして、卒業するまでに、映画館、一度でいいから来たかったんだ」
なるほど。
「来年になっちゃったら、いろいろ慌ただしくて、来る機会もなかなかできなくなりますもんね」
「察しがいいね。さすが愛さんの弟」
「どうも」
「アタシは今からもう、慌ただしい状態だけど」
「いろいろと……」
「そう、いろんなことが、重なってね」
「会長……もっとどこかに行きたい、とか思ってますか?」
「本音はね。でもワガママは言えないよ」
ベンチの前を、さまざまな人々が通過していく。
「……アンタのお姉さんのこと、なんだけどさ」
「はい」
「つきあってるんだよね、アツマさんと」
「つきあってますよ。ひとつ屋根の下で」
「おもしろい関係だよね。
……それでね、いつからつきあってるのか、とか、そういうことが、ちょっと気になってて」
「いつからなんですかねえ?」
「わかんないの?」
「姉のほうから好きになった、という事実はあります」
「それ、いつなの」
「2年前の夏休み、らしいです」
「だれ情報」
「…それは秘密にしておきますけど、自然な成り行きで、つきあい始めて、だから――丸2年ってところだと思います」
「2年前って、アツマさんは高校生?」
「高校3年です」
「ふたつ違いなのね」
「はい。」
「――アタシとアンタも、ふたつ違いだよね」
「ど、どういう意味ですかそれ!?」
「――意味なんてないよ」
「……映画のことを話しませんか」
「もうちょっとあのカップルのことをアタシは引っ張りたいんだけど」
「まだなんかあるんですか…」
「たとえばさぁ。羽田、アンタは……お姉さんに、
『つきあうってどんな感じなの』
とか、訊くことはないわけ?」
「そんなこと訊いたことありません」
「じゃ、アンタから見て、あのふたりを、愛さんとアツマさんを、どう思ってる?」
「どう思う、は漠然的ですね……」
「どんな関係性か、ってこと」
「それは……、いろいろです」
「答えになってないねぇ」
「えっと……いっしょに暮らしていて、わかるのは……よく、ケンカするんですけど、3日以内に必ず仲直りします」
「3日以内って、ずいぶん具体的」
軽く笑いながらそう言う彼女。
それにしたって、
「なんで唐突に、こんな話題を出したんですか?」
「だって――」
はにかみつつ、
「恋愛要素、強めだったじゃない。さっきの映画」
「ですけど、冒険映画だったでしょう、本質としては」
「だけど恋愛も重要だったよ。たぶん、なにか文学作品を下敷きにしてあるんだよ。ヒーローとヒロインの関係性の描写。シェイクスピアとかから持ってきたのかなあ? …アタシ、シェイクスピアなんてほとんど知らないけど」
「会長はそこがいちばん気になったんですかー。案外、ロマンチストですか」
ロマンチスト呼ばわりが余計だったのか、会長はむくれ顔になって、
「羽田はどこがいちばん気になったの。拒否権ないよ、言いなさい」
「……音響とか、音楽とか、そのあたりですね」
「ハッキリしないね。音響と音楽だったら、どっち?」
「音楽です。BGMです。映像に完璧にマッチしているところもあれば、わざと映像と不調和な音を流しているところもあって」
「そりゃーむしろ、音響のおかげなんじゃないの?」
「映画の制作についてはぼく、なんにもわかりませんから」
「アタシだって……」
「ぼくよりは知識あるでしょう」
「そんなことない」
「……とにかく、音楽自体も良かったですよ。サントラがあったら買いたいと思うぐらい。とにかく『音』がいい、そんな映画だった」
「意見……合わないねえ」
「そこがいいんでしょう」
× × ×
糖分も補給したかったし、近場の某ドーナツショップにぼくたちは入った。
飲み物は、お互いカフェオレを頼んだ。
ぼくのトレーにはドーナツ2個、会長のトレーには4個。
「そんなお腹すいてたんですか」
「これぐらい食べてもアタシ太んないの」
「なるほど」
「なるほど言わないっ」
聞き知った洋楽が、店内に流れていた。
「会長この曲知ってますか?」
彼女はハァ!? といった顔で、
「知らないよ」
「有名な洋楽なんですけどね」
「詳しく…ないから」
「ウィークポイントを見つけてしまった」
「勝手に見つけてよ」
「音楽に関しては、ぼくのほうが詳しい」
「それがなんなの」
店内の楽曲に合わせながら、ぼくは小声で歌ってみる。
「――歌えるんだ」
「バイリンガルの強みです」
「――アンタとは絶対カラオケ行きたくないわ」
「行く気もあったんですか?」
「別に? ……ただ、英語の歌詞をそんな上手に歌われると、ムカつくだけ」
「会長って芸術科目は何選択なんですか」
「美術。」
「人前で歌を歌うことは――」
「ない。」
「少し――もったいないなあ」
「どーゆーこと。」
「会長……声は、きれいなのに」
反発する代わりに、
ぼくのトレーから、ドーナツひとつを奪い取った。
でも……会長の声は、ほんとうにきれいだと、ぼくは思っている。
いつも殺伐としていたから、気づきにくいだけ。
でもぼくは気づいている。
会長は……汚いことばをぶつけることもあるけれども、
反面、その声は、いつも、澄み切っている。