大変なほど、燃える。
「甘い!!
そんなんじゃ、お客さんは喜ばないよ!」
演出の水無瀬さんの、熱血指導である。
望むところよ……といった感じで、舞台上から水無瀬さんを見る。
メガホンを通して、
「青島さん、もう一丁」
とリテイクを出す。
燃える。
今度はやってやる。
モチベーションが滾(たぎ)る。
3回リテイクが入って、3回とも「甘い!!」とダメ出しされた。
そのたびに、そうこなくっちゃ……という気分にわたしはなって、メラメラと燃え上がった。
水無瀬さんのダメ出しは、むしろ、わたしの向上心をあおった。
大変なほど、キツいほど、からだが熱くなる、血が沸騰する。
水無瀬さんの熱血指導と、相性がいいってことなんだと思う。
みんながみんな、水無瀬さんと折り合えるかどうかってのは、別問題だけど……。
それにしても、なんで彼女はメガホン持って稽古してるんだろ。
リテイク、という表現をしたけど、映画の撮影みたい。
――ま、いいか。
性質なんでしょ。
「その調子!! 今度は『甘い』なんて言わせないでね、青島さん」
ねぎらいなんだかわからない言葉をかけられて、水無瀬さんの厳しい指導から一旦は、解放される。
『6年劇』の稽古も、2週目に入った。
松若さんと共同で脚本を書いた愛が、見学に来ている。
松若さんは来ていない。
「尻込みしちゃったのかな」と、苦笑いしながら愛は言っていた。
たしかに。
水無瀬さんのコワさに気圧(けお)されるのは、わかる。
見に行かなくて済むのなら、行かないでおこう、という気にもなるわ、そりゃ。
でも、松若さん原作者なんだけどな。
原作者が来ない、っていうのもなんだか。
いや、『来ない』ではなく、『来られない』のか。
松若さん自身のせいじゃなくて。
水無瀬さんの存在が、松若さんを遠ざけている――。
「それってどうなの?」と、愛が思っているかどうかはわからない。
松若さんといっしょに脚本を作り上げたんだもの。
イニシアティブが完全に水無瀬さんに移って――まぁそれは自然の成り行きではあるんだけども、でも水無瀬さんのワンマン体制みたいになってる現状に対して思うところもあるんじゃないかと、わたしは勘ぐっている。
ダメ出しばかりの水無瀬さんに、逆にダメ出ししたっていいんじゃないの? 少しぐらいは。
諫言(かんげん)ってやつ?
松若さんが尻込みしたのは、しょうがない。
だけど松若さんが居ないのなら、水無瀬さんになにか言う権利を行使できるのは、あんただよ、愛。
行使できる、というか、行使すべき。
そのほうが、この『6年劇』――もっと良くなるとわたしは思う。
愛は、水無瀬さんの近くに座っている。
愛と水無瀬さんのあいだの距離が、近くはあるけど、なんとも言えない微妙な距離感だ。
きょうの愛は、なんだか一味違う。
というのは――先週までは、水無瀬さんのスパルタ指導ぶりにビックリしていて、萎縮しながら稽古を眺めている印象だった。
ところが、きょうは違った。
松若さんが音(ね)を上げてしまったことが、愛になにかを決意させたんだろうか。
真剣に稽古を見ている。
水無瀬さんにビクビクしていた愛は、もういない。
座席から身を乗り出して、舞台をひたすら見すえながら、水無瀬さんの熱血指導に耳を傾けている。
必死で稽古に食らいついている。
これが――本来の愛だ。
『水無瀬さんが妥協しないなら、こっちも妥協しないよ』
『松若さんのぶんまで――わたしが稽古を見届けなきゃ』
『言うべきことがあったら言うよ水無瀬さん。そのつもりでいて』
そんなことを、無言で語っているんじゃないかって、舞台上から愛を見下ろしながら、勝手に妄想してしまう。
× × ×
主役の八洲野(やすの)さんへの演技指導は、苛烈を極めていた。
ほかの演者にも厳しいが、主演女優への厳しさは――次元を超えた、『しごき』である。
度を越してるんじゃないか――そこが、懸念材料だ。
あんまり度を越すと、八洲野さんまで、稽古場に来なくなってしまう気がして。
八洲野さん、繊細なタイプに見えるから。
いまは、踏みとどまってるけど、この舞台上で泣き出してしまわないか。
泣き出すなら――まだマシか。
逃げ出してしまったら――最悪の事態。
追い詰めて、追い詰めて、ホンモノの演技を引き出す。
そういう水無瀬さんの『流儀』を、否定はしない。
でも、追い詰めすぎて、八洲野さんを潰してしまうようなことがあったら、この劇は崩壊してしまう。
潰れる寸前まで八洲野さんをしごいて、そこでやっと完成した芝居になる、ようやく彼女は『役者』になる。
――たぶん、そんな腹づもりなんだ。
でも、ぜんぶ、水無瀬さんの思い通りになるとは限らない。
この場にいる全員が、水無瀬さんの思う通り、言う通りに動いてくれるという保証はない。
水無瀬さんは、その『落とし穴』に、気づけているんだろうか?
なんだか――最大の『落とし穴』が、しごきの対象である八洲野さんに潜んでいる気がして。
邪推?
八洲野さんだって、水無瀬さんの操り人形なわけじゃない。
八洲野さんが何から何まで思うがままに動いてくれると思ったら、それは危ない考えだよ、水無瀬さん。
……そんなことを思い始めてしまった。
たしかに水無瀬さんとわたしは、波長が合う。
でも、波長が合うからといって――水無瀬さんと八洲野さんのあいだに漂う不穏さを、見過ごすわけにはいかない。
稽古が終わったあとで、水無瀬さんに意見してみようか、他人(ひと)の話を聴かないかもしれないけど……そういうことを考えながら、八洲野さんがしごかれるのを見ていた。
ウンザリするほどのダメ出しの果てに、メガホンを放り出して、舞台ぎわに駆け寄ってくる。
そのまま舞台に駆け上がってくるんじゃないかと思うぐらいの勢い。
黙ったまま、睨みつけて、八洲野さんを脅迫するみたいに威圧する。
怒鳴るより、もっと怖い。
静かに激怒する演出家。
「……何度言っても、わからない」
そしていっそう睨み眼で、
「……もういいよ。
考えて、自分で。
自分のなにがダメなのか、ヤスノが気づくまで、わたしなにも言わない。
その代わり、わたしはここから動かない。じっとヤスノを見てるから。
ヤスノが答えを出さない限り、きょうの稽古は終わらない。
ヤスノのせいで、稽古が終わらないから、みんなに迷惑がかかる」
滔々(とうとう)と水無瀬さんは話していた。
その語り口が、大声で罵倒するよりも、怖かった。
修羅場――なんだろうか。
ほんとうに言葉通り、舞台ぎわから動く気配もない。八洲野さんへの睨みつけをやめる気配もない。
独(ひと)りよがりなことを――水無瀬さんは言っている。
八洲野さんに、罪をなすりつけて。
彼女のせいで稽古が終わらないなんて理屈。
稽古を終わらせないという、スタンドプレー。
水無瀬さんの独善で――場が混迷を極める。
収拾がつかない。
出ていって、主演女優と演出家のあいだを取りもったほうがいいかもしれない、だれかが水無瀬さんを止めなきゃ――。
わたしが、足を踏み出そうとした、そのとき、
愛が――、無言で水無瀬さんの背後に歩み寄っていった。
「水無瀬さん」
演出家の背中に、声をかける。
「水無瀬さん……ちょっと、こっち向いてくれないかな?」
これ以上ないくらい、説得力のある声だった。
ぐうの音(ね)も出ない、説得力。
舞台袖から、愛の顔が見えていた。
怒り顔ではない。
マジギレしてるわけではない。
だけれども、
あの顔は――、
愛が、本気モードのときにしか見せない顔だ。
真剣に、なにかを相手に伝えたいと思っているときの顔。
わたしは本気だよ、っていう意思表示。
わたしは本気だよ、だからあなたも本気になって――全身で、そう語りかけている。
愛の本気が、水無瀬さんに、とうとう向けられた。
水無瀬さんは、振り返らざるを得ない。
力関係の逆転。
向かい合うふたり。
水無瀬さんの顔は見えないけれど、背中が語っている――彼女の、うろたえを。
「話があるの。
水無瀬さんとふたりで――話したいことがある。
いいよね?
――よかった。承諾してくれてる表情だよね、それは。
だから、稽古は終わらせなきゃ、だめ。
だめだよ? ――あんまり他のひとを、手間取らせちゃ。
これ、あなたと八洲野さんのふたり芝居じゃないんだよ?
あなたのひとり芝居でも、もちろんない。
もっと言うと、演者と演出家だけが、芝居に関わってるわけじゃないんだから。
劇ってみんなで作るものでしょ。
気持ちはわかるけど――ね。
だから、お話ししましょう。
わたしとあなたの対話を、もっと――ね」
思わず、声が出た。
「説教が長すぎるよ、愛……」って。
てへへ、とわたしに向かって愛は笑う。
修羅場を修羅場で打ち消した。
まぁ、こんなのも…アリか。
とりあえず、愛には感謝したい。