お兄ちゃんとケンカした。
昨日の夜、リビングで『高校生作文オリンピック』のことを考えていたら、お兄ちゃんが募集要項をのぞきこんできて、勝手に募集要項の文面を声に出して読み始めた。
「そんな大声で読まなくてもいいじゃん!」
「なんで?」
なんでって――恥ずかしいからに決まってるでしょ。
それに――あんまし、作文オリンピックのこと、お兄ちゃんに知られたくなかった、のぞき見られたくなかった。
自分でやるって決めたことだから、お兄ちゃんには踏み込んできてほしくなかった。
「こんなの出るんだな、おまえ。おまえ文章書くの上手いもんな」
「……無神経」
「え」
「無神経って言ってるでしょっ!?」
お兄ちゃんから募集要項を強奪して、苛立(いらだ)たしくわたしは自分の部屋に舞い戻った。
× × ×
放課後になってもイライラが消えない。
ジメジメして、制服が肌にベタッと貼り付く感覚が、イライラを増幅させる。
なかなか校内スポーツ新聞の記事も書き出せないでいる。
「すっきりしない天気ね。毎年この時期はそうだけど」
桜子部長が、天気の話を振ってきた。
「天気もそうですけど…わたしは色々とすっきりしないです」
「なにかあったの?」
打ち明けにくい。
「どんよりしてるね、きょうのあすかちゃん」
桜子部長は、そっとしておくように、
「まあ、誰だって、そんなときもあるよ」
× × ×
記事の、最初の一文を書くのに、45分もかかった。
こんなんじゃ、『作文オリンピック』にエントリーなんてできっこない。
「虚勢なんて……張るんじゃなかった」
思わず口をついてことばが出た。
「虚勢? なんのこと??」
桜子部長に聞こえてしまっていた。
どう説明するべきかわからず、わたしが何も言い出せないでいると、
「あすかちゃん、」
「な、なんですか」
「あなたにも色々あるのね」
そのとおり、色々あるんだけど……やっぱり兄貴とケンカしたなんて言い出せない。
口ごもっていると、ポケットのスマホがブルっと振動した。
× × ×
そうだった。
きょう、マオさんが学校に来るんだった。
笹島(ささしま)マオさん。
サッカー部の先代マネージャー長で、卒業してからは実家の中華料理店で働いている。
中村前部長と仲が良くて、しばしばスポーツ新聞部にも顔を出していたし、わたしが球技担当だから、サッカー部のマオさんにはたくさんお世話になった。
当然ながら、マオさんは私服。
ジーパンを履いてるのが、新鮮。
なんか、前より大人っぽいかも。
「サッカー部には、もう顔出してきたから」
「早いですね」
「…ハルがさ」
「ハルさんが?」
「変わった……というか、成長したのかな、あいつなりに。もう3年だもんね」
「マオさんも……少しだけ変わった気がします」
「うそっ」
「少しだけ、微妙に…」
「あすかちゃん、もしかしてテンション低め?」
「……はい」
「何があった~? お姉ちゃんに相談してみなさい」
「お姉ちゃんって…」苦笑い。
「いいじゃん、きょうぐらいお姉ちゃんになってあげるからさあ」
× × ×
話すと、
少し楽になるものだ。
「――なるほど。
ま、きょうだいなんだし、そんなときもあるっしょ」
「はい――」
「あすかちゃんは、すごいね。
志(こころざし)が高いよ。
全国から応募してくるんでしょ、その作文オリンピックに?
その中で金メダルを目指してるなんて、決意がすごいよ。
ダメもとで、じゃないもんね。
やる前から負けると思ってて応募してくるヤツ、絶対たくさんいるから、あすかちゃんはそんなヤツらに負けちゃダメだよ」
そうか。
もっと、お兄ちゃんに突っぱねれば良かったのかもしれない。
「わたし、金メダル目指してるんだよ。どう? すごいでしょ」
みたいに。
もっと堂々とすればよかったんだ。
恥ずかしがる必要なかったんだ。
マオさんは続ける。
「わたしから言えることは――、
アツマさんは、とてもいい人だよ。
で、とてもいいお兄さんだと思うよ」
「――知ってます」
「知ってるなら、もっと素直になれば?」
「――近すぎるから、素直になれないことも多いし、怒っちゃうこともあるんです」
「そっかあ。
わたしにとってのソースケみたいなものかな」
いきなり中村前部長の名前が出た。
近すぎるから、素直になれず、ときどき怒ってしまう。
でも、マオさんと、中村前部長は…。
「きょうだいじゃないけどね、わたしらの場合」
「そ、そこですよね」
「そこだよね」
「いまは――遠距離に、なっちゃってますね」
「福岡だからね。
まだ一度も行けてない。
遠距離恋愛……できてるのかな、わたしらって」
遠距離恋愛、ということばに少しドッキリとして、わたしはなにも言えなかった。
「でもねえ。
昨日の夕方ね、ソースケが電話してきて。
競馬のダービーのことを早口でまくし立てるもんだから、いい加減にしなさいと思いつつ、聴いてあげてたんだけど。
『わたしもフジテレビ観てたよ』って言ったら、
『残念、こっちだとテレビ西日本だ』って、ソースケ、ひどすぎない?
馬券は20歳からだよって、3回、釘刺しておいた」
「3回もですか…」
朗らかな笑顏で話すマオさんに、笑って相づちを打つ。
「『ちゃんと食べてる?』って言ったら、
『食べてるけど、少し太ったかも』って言うから、
『そりゃ栄養バランスの問題でしょ。やっぱりわたしがいないとダメねぇ』って言ってやった」
「――なんか、近くていいな、会話の距離感が」
「――うん。ふだん離れてるからさ、ソースケと話すと、ホッとするの」
「もっと電話したほうがいいですって」
「毎日?」
「毎日でもいいと思いますよぉ」
照れくさそうにするマオさん。
わたし――マオさんと中村前部長には、幸せな関係でいてほしいと思う。
マオさんと話したら、楽しくって、
もう心はどんより状態じゃなかったから、
お兄ちゃんと、絶対仲直りしなくっちゃって、前向きに決意したのだった。