「ーーそっか、
学校休んで利比古の入学式出席するなんて、やっぱダメか。
日本にいる、ただひとりの家族でも」
「バーロー」
「な、なにがバーロー、よ」
「工藤新一のモノマネしただけだよ」
「…わけがわからない」
「とにかくおまえも学校が始まる以上、サボって利比古の高校に行ってきます、なんて許されない。
というかおれが許さない。
母さんもきっとダメって言う。
だから、利比古の入学式には、母さんとおれがついていく。
わかったな?」
「……その代わり、ちゃんとついていってよね」
「(笑顏で)当たり前だろ。」
× × ×
「アツマくん、ちゃんと説明したほうがいいと思うんだけど」
「だれに?」
「不特定多数の読者さんに。」
「あ、『利比古の入学式が通常通り行われる』ってことか?」
「そうよ、あと、『わたしとあすかちゃんの学校の新学期も、当初の予定通り来週の月曜日から始まる』ってことも、ちゃんとアナウンスしておかないと」
「アナウンス、ねえ…」
「あらためて。
ものごとは、悪いほうに考えていくと、もっともっと悪くなっていってしまうものだと思います。
たしかに、4月にわたしたちの高校ーーわたしは『高等部』ですけどーーが始業するということは、世間の流れに逆行するようですし、これを閲覧してくださっているみなさんの現実とは、乖離(かいり)していくことになります。
ですが、わたしたちは、前に進んでいきたいのです。
動くなら現在(いま)だ、と思うし、グズグズしていると、ほんとうに一歩も前に進めないまま、貴重なーーわたしたち10代にとっては、ほんとうに貴重な時間を、いたずらに消費するだけになってしまう、そう感じています。
『フィクションだから、都合よく言えるんだ』というご意見は、とうぜんあるでしょう。
実際、これまでの流れで以前わたしたちが言ってきたこと、してきたことーー具体的には、世の中の自粛ムードを反映するような発言や行動ーーそういったことと矛盾する点が現れてくるのは、致し方ないでしょう。
ただ、フィクションであるということに甘えていて、フィクションの停滞を招いてしまうことは、『つじつま』を合わせるよりももっと恐ろしいことではないでしょうか?
ーーわたしたちが生きている場所、生きている時間が、どこまでフィクションでどこまでフィクションではないのか、線引きが曖昧なところは正直ある。それは認めます。
ーーけれど、こんなときだからこそ、わたしは『フィクションのちから』を、もう一度信じてみたい。
…文学に育てられた人間であることを、自覚しているから。
アツマくんも、『フィクションのちから』、信じるよね?」
「え、え、いきなりおれに振られても。
おれは文学、それほど詳しくないし」
「文学部に通う学生の言うセリフじゃない💢」
「はぁぁ!?」
「おれは正直だし。
ーーまぁ、さっきまでの、おまえの演説、どの程度までおまえ自身の意見だったのかは怪しいけど。
『フィクションのちから』云々を持ち出さんにしても、
なにかを決めないと、動き出さないといけないのは確かだよな。
動き出すだけじゃなくて、動き続けなきゃならない」
「アツマくんらしいね」
「どこが?」
「そんなにじっとしてられないでしょ、あなた」
「(-_-;)ぐっ……。
(カメラ目線? で)まぁ、そういうことなんで。
これからも、おれたちのドタバタを、肩の力を抜いて楽しんでいってください」
「いいこと言うねアツマくん。『楽しむ』って、いちばん大事だね」
「こんなご時世ーーだからな。
おれたちが、楽しませなきゃ」
× × ×
「ということなんで、来週をお楽しみに」
「へ!??! あしたはどうすんの」
「あしたは取材のためお休みだよ、アツマくん」
「(;´Д`)取材ってなんだよ!!」
「取材は自分の部屋でもできるんだよ、アツマくん♫」
「(;´Д`)…??」