【愛の◯◯】一ノ瀬先生のせつない土曜日

わたし一ノ瀬。

とある女子校の、養護教諭

身長164センチ。 

 

休日なので、街に出かけた。

 

そしたら、中学の同級生の男の子のーーNくん、のような人を目撃した。

 

目撃したけれど、Nくんみたいな人は、すぐに横断歩道の向こう側に行ってしまい、街の中に消えていった。

 

声をかけるチャンスもなかったし、チャンスがあったとしても、勇気が出ずにためらったまま、終わっていただろう。 

 

 

× × ×

 

ーー思春期の入り口のころ、わたしは大人になるのが怖かったんだと思う。 

 

中学生になったばかりのとき、中学1年の1学期……わたしのからだに決定的な変化が訪れた。

けれども、その決定的な変化、を、しばらく受け入れられなかった。

わたしはわたしが変わっていくのを拒んでいた。

だけど、おとな、になっていく、という事実は、容赦なくわたしの自我に襲いかかってきた。

その事実を、理解はしていても、 どうしても受け入れられなかったわたしは、ひとりよがりに強がって、親や先生や同級生と、ぶつかってーー、

教室に入れなくなった。

 

ま、からだが女性になる、ってことだけが、保健室登校の原因じゃなかったんだけどね。

 

 

わたしはいろいろあって、保健室にこもるようになり、

そのあと、いろいろあって、教室で授業を受けられるようになった。 

 

教室に復帰したとき、隣の席の男子がNくんだった。

Nくんはなぜか親切で、授業のとき教科書を見せてくれたり、わたしが休んでいるあいだ授業がどこまで進んだか教えてくれたり、さらには、『授業についていくのが大変だろうから…』と、じぶんのノートをわたしに貸してくれたりした。

 

男の子のノートを借りたのは、もちろんそれが初めてだった。 

 

今になっても、Nくんがどうしてあんなにわたしに優しかったのか、よくわからない。

 

隣の席だったから?

それとも、わたしのことを気にしていたから?

気にしていた、ってことは、好意をーー。 

 

でも、あの頃は、わたしのほうが、Nくんのことを気にしていた。

 

Nくんという存在を考える時間が日増しに多くなっていった。

日に日に大人らしくなっていくわたしの胸が、物理的にではなく、心理的に、なにか大きくて重たいものを抱え込むようになっていった。

 

 

 

わたしの身長の伸びが止まったとき、わたしがNくんに恋心を抱いていること、そして『もう手遅れ』なこと、を、知った。

 

 

わたしはNくんが好きなまま中学の卒業式を迎えた。

好きなのはNくんだったけど、卒業式の日に告白されたのは別のクラスメイトの男の子で、その男の子に『ごめんなさい』を言って、人だかりに戻っていったらーーNくんの学生服のボタンが、ぜんぶなくなっていた。

 

そしてNくんとわたしは別々の高校に進んだ。

Nくんとわたしはそれっきりだった。

 

 

 

 

 

× × ×

なんだかモヤモヤとした気分になってしまったわたしは、珍しく缶ビールを買って、帰宅した。

 

Nくんらしき人の背中を見て感じた懐かしさが、自宅のベッドに大の字になると、『さみしさ』に変わっていった。

 

懐かしさが、さみしさに変わるなんて、こんなの初めて。

 

わたしはわたしのヘンな感情を『まっさら』にしたくて、アサヒスーパードライの缶をあけて、ぐびぐびと呑んだ。