つい、声に出して、言ってしまったわたし。
その、ちくま学芸文庫版『ハイデッガー 存在と時間 上巻』を読んでいた子が、気づいて、わたしのほうを見た。
やっぱり、同学年だった。
問題は、その子が、明らかにわたしを訝(いぶか)る眼で、こちらを睨(ね)めつけていること。
ごめんなさい、気づいちゃった。読書の邪魔しちゃった。
だけどお願い、そんな眼で見つめないで、悪かった、悪かったから、ね・・・・・・?
「あなた、羽田愛さんでしょ」
「Σ(゚Д゚)」
「学年トップの成績、スポーツ万能、しかも容姿端麗。文武両道に加え、華やかさも兼ね備えている貴女が、なぜか、文芸部というコミュニティに入った・・・・・・」
「(・へ・)ムッ」
「文芸部の悪口言う気なの?(・へ・)」
「文学少女は孤独であるべきよ」
「それはあなたのポリシーでしょ。あなたのポリシーであって、わたしのポリシーじゃない」
「裏街道が好きなの」
「ーーつまり、こう言いたいわけ?
一匹オオカミ少女でいたいと。文芸部みたいなところで『おままごと』してると、本を読む量は減るし、いつまで経っても文学活動はできない・・・・・・。
文芸部の人に失礼よ(・へ・)💢」
「貴女は、自分の文学的才能から、逃げてるのよ。ペンをとらないのは、文学的な愉悦に溺れているだけ」
「見当違いなこと言うわね!」
「いい? 貴女が自分の三年間を文芸部に捧げるのなら、貴女の文学的寿命は三年間縮んじゃうのよ」
「警告のつもり!? 一人ぼっちで文学ができるなんて、あなたの方が自分に甘えてるのよ」
「なんですって(・_・;;💢)」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・名乗りなさいよ」
「(『存在と時間』から目を離さず)青島さやか。」
「青島さん・・・・・・その本、どう?(苦笑)」
「読んでいて楽しいわ」
「読んでいて楽しい!? ハイデガーの原著が!? Σ(゚Д゚;)」
「ことばの使い方がステキじゃない」
「(°ー°〃)!!」
「もしかして、青島さん、あなた、『存在と時間』を文学書として読もうとしてるでしょ」
「(少し動揺して)わ、悪い!? 哲学書には文学的要素が必ずあるじゃない。ハイデガーが好きだったキルケゴールの著作がそうじゃない。それに西田幾多郎も、恩師に『哲学には詩情もないとなあ』って、」
「┐(´д`)┌ヤレヤレ」
「なにが┐(´д`)┌ヤレヤレよ!! わたし、ハイデガーがナチスに加担しなかったのなら、ノーベル文学賞だって取ってたと思うわ」
「わたしは、それはなかったと思うわ。もしハイデガーがナチズムに手を染めていなかったとしても」
「なんの根拠があってーー」
「(°ー°;;〃)」
「(;;・へ・)」
ムキになったわたしたちは、お互いに、にらみ合い続けた・・・・・・。
「ねえ、青島さん、あなた、本を読むとき、心の中で音声化しながら読んでるんじゃないの!?」
「そうだけど、それが、ハイデガーとなんの関係があるのよ」
「『存在と時間』みたいな哲学書が、心の中で音声化しながら、みたいな読み方で、理解できるわけないでしょうが!!」
「そ・・・・・・それでも、ハイデガーの詩情・・・・・・そうね、『ことばのつかいかた』が、わたしに馴染んできて、」
「どうやら図星のようね、あなたは『存在と時間』を読めていない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「羽田さん」
「なによ(・へ・)」
「わたしは・・・・・・わたしは、心の中で音声化しながら読むのが、本の読み方の、『王道』だと思う」
「どうして?
どうして、そう思うの?」
「わたしには兄がいるの」
「それがどうしたのよ、わたしには弟がいるけど」
青島さやかの独白
わたしの兄は、大学時代、とある文芸サークルに入り浸っていたわ。
ひょんなことから、ある時、都内某所にある、「文壇バー」に招待されたことがあるの。
そこでは、「朗読会」みたいなのが行われていて、何人かの作家が、自作を朗読する集まりがあって、兄はそれに招待されたんだって。
兄が出席したときの、朗読会の取りまとめは、とある、日本文学の大御所・・・・・・文壇の頂点に限りなく近い、超ビッグネームだったんだって。
その作家の名前を、兄は今に至るまで明かしていない。
仮に、大江健三郎の、О、としておきましょうか。
朗読会が終わったとき、ほかの参加者、若い書き手に、О先生はこんなことを言ったんだって。
「小説でも、詩でも、エッセイでも、哲学論文でも、声に出して読めるような文章を書きたいものだね」
「・・・・・・(゜o゜;
青島さん、その話、実話なの?」
「実話よ。ぜったい」
「それで、青島さんは、哲学書でも、心の中で声に出して読むようにしているの!?
(゜o゜;」
「ええ。わたしはО先生を信じるわ」
「どんな本でも心の中で声に出して読むなんて、ありえないわ」
「でも、そういうものじゃないの? 日本には、かつて『素読文化』があったじゃない? どの国にも、東アジアの『素読文化』に似たようなものが、あるに決まってるわ」
「じゃあ・・・・・・じゃあ、例えば、谷崎(潤一郎)の『春琴抄』みたいな文体の小説は、どうするのよ」
「春琴抄の文体、心の中で声に出してみると、愉しいわよw」
「じゃあ、じゃあ、青島さん、あなたは、春琴抄を他の人に説明するとき、文体のことしか言わないわけ!?」
「くっ・・・・・・(歯を食いしばる)」
青島さんは、それ以上言葉を継ぐことなく、ちくま学芸文庫版『存在と時間(上)』をカバンに乱暴に入れて、その場を立ち去った。
わたしはしばらくその場に立っていた。
しばらくして、雨が降ってきてしまったので、用意していた折り畳み傘をさして、下校した。
戸部邸に帰ってからも、モヤモヤとした思いが抜けず、珍しくその夜は、何も本を読まなかった。