加藤周一 読書術 ふたたび

 おまえは加藤周一の『読書術』という本を知っているだろうか。おれがこの本の存在を知ったのは高校生のときだった。古ぼけた市立図書館に行き、閉架書庫からこの本を出してくれるよう司書のオバサンに頼んだ。岩波現代文庫の緑だった。いまおれが所有しているのは、岩波現代文庫の緑で2006年第8刷発行のやつだ。

 

 もしおまえが『読書術』を読みたいと今後思うのなら、あとがきから読んでほしい。正式には「あとがき、または三十年後」という名前の文章だ。『読書術』の初版は1962年に光文社から発行された。1992年に同時代ライブラリーという岩波現代文庫の前身のような叢書に『読書術』が収録された。「または三十年後」というのは、この文章がその時書かれた文章だからだ。

 

 じつは、『読書術』は1992年に内容が書き換えられている。おれがあとがきから読んでくれといったのはそういうことなのだ。文庫であれ新書であれ、日本の本は「タネ明かし」が「あとがき」に書かれていることが圧倒的に多い。はっきり言って日本の出版界の悪習である。だから例えば、新書を読む時に「この新書は読む必要があるだろうか?」と判断する際、おれは躊躇せず「あとがき」から読み始める。

 

 加藤周一のタネ明かしはこうだ。1960年に安保闘争があった。そのころ光文社の編集者が加藤周一に「高校生向きの読書法の本を書いてくれないか」と依頼した。『読書術』は口述筆記の形式でつくられた。本の体裁になったのは1962年だった。同年に光文社から出版され、何度も何度も重版された。

 しかしながら、最近(1992年)になって、今度は岩波のほうから「同時代ライブラリーに『読書術』を入れてみませんか?」という話があった。光文社に承諾を得て、内容の一部を書き換えて、同時代ライブラリーから新しい『読書術』を出すはこびとなった。

 

しかしそれは部分的な、例としてあげた出来事に係わる点に限られていて、大筋は全く変わっていません。

岩波現代文庫版 211ページ) 

  しかし、内容の細部が書き換えられているのは否定できない。例えば、「Ⅰ-2 幾山河」に「新幹線」という言葉が出て来るが、1962年に新幹線が走っていなかったことぐらいおまえも知っているだろう。

 そういった前提を踏まえて本文を読むために、「あとがき、または三十年後」から読んでほしいといったのだ。

 

 重要な点はまだある。1962年当時、光文社版『読書術』が高校生向きの本として出版された事実だ。それゆえ、本文には高校の体育館で加藤周一が講演しているような趣がある。しかし、いきなり冒頭*1から読書をセックスに喩えるなど、高校生に向けての講演にしては刺激的すぎる表現が登場する。ほんとうに『読書術』は高校生向きの本なのか? 

 そういうことを繰り返し考えながら、おれはこの本を繰り返し読んでいる。

 

 夏休みに入ったろう、読書の秋とひとは言うが、「読書の夏」と言うこともできるはずだ。おまえは8月に何をする予定だ? おれはおまえには最低限、一週間に1冊は本を読んでもらいたい。では、水分補給を忘れないように。

 

参考文献:加藤周一『読書術』 岩波現代文庫、2000*2

*1:Ⅰ―1 寝てもさめても

*2:初版の年を記した