【愛の◯◯】喋り方への憧憬

 

今週を締めくくる『私文世界史』の授業も終盤になっていた。

白板(はくばん)の上の時計を見ながら、

「少し早いけど、ここまでにしておきましょうか」

と言い、熱心にノートをとっている生徒たちに振り向く。

教卓に歩み寄り、教卓の縁(ふち)に両手指で触れて、

「みんな、今週もお疲れさま」

と温かく言い、

「あなたたちは受験生だから、土日も自分で勉強すると思うけど、息抜きを適度に挟むのも大切よ。ココロやカラダがあまり張り詰め過ぎないようにするのよ」

と言ってあげてから、ニッコリとした表情を作り上げて、生徒たちを見つめてみる。

イノウエくんという男子生徒と視線が合った。

イノウエくんは途端に真下を向いてしまった。

「あーっ。イノウエが、羽田(はねだ)先生にデレてる」

異変を見逃さなかった女子生徒のニシグチさんが、教壇のわたしから見て右横の席のイノウエくんに痛烈なコトバを食い込ませた。

「うるさいな、ニシグチ。おれは、デレてないっ」

反発するイノウエくんの声には強さが感じられない。

「説得力皆無だぞー、イノウエ」

からかうニシグチさん。

収拾がつかなくなるのはダメだから、

「はいはい、そのへんにしておきましょーね、ふたりとも。もう高校3年生なんだから、コドモじみたケンカはNGよ」

と微笑みながら叱ってみる。

真下を向き続けるイノウエくん。

イノウエくんから愉(たの)しそうに視線を外すニシグチさん。

このタイミングで、ニシグチさんのひとつ前の席の女子生徒・ニシダさんが、

「羽田先生、わたし、気になるコトあるんですが」

「なあに?」

穏やかに発言を促すわたしに、ニシダさんは、

「羽田先生の喋り方って、とってもエレガントで、とってもステキだと思うんです」

と言ってくれてから、恥じらうような面持ちになっていって、

「……だけど、『とっても珍しい喋り方だ』ってキモチも、わたし……捨て切れなくって。珍しいってのは、例えば、語尾、だとか。『そのへんにしておき〝ましょーね〟』とか『ケンカはNG〝よ〟』とか、わたしのお母さんも、そんな語尾、くっつけたりしないし」

わたしは、ニシダさんの恥じらいに対して、

「よく言われるわ、『喋り方が昭和だよね』みたいに。わたしの彼氏も、『時代に逆行した語尾だよなー』とか、ときどき言ってくる。――ニシダさん、わたしの喋り方に大きな影響を与えたのは、昭和の翻訳小説の女性登場人物のセリフ回し」

「昭和の、翻訳小説」

丸々とした眼でわたしを見つめながら声を出すニシダさん。

「そう。昭和の、翻訳小説」

わたしはニシダさんに呼応してあげて、

「そういった小説を、小学校高学年の頃から読み耽るようになったのよ」

 

× × ×

 

あすかちゃんが、丸テーブルに右肘を密着させて頬杖をつきながら、わたしに見入っている。

わたしはリビングソファに座って読書中。夕食後のお片付けを全て彼氏に押し付けて、トマス・ハーディという作家の小説を味わっている。

わたしに見入っているあすかちゃんの眼がウットリとした眼になっているのを感じたので、トマス・ハーディをいったん閉じて、

「わたしの美貌に見入ってたら、何時間でも退屈しない……。そういうキモチ、良く理解できるわ」

と、第三者が聞いたら唖然呆然とするかもしれないコトを言う。

「お見通しなんですねえ。流石は、おねーさんだ」

そう応えつつウットリと微笑むあすかちゃん。

わたしの最愛の妹分たる彼女は、右肘を丸テーブルから離し、頬杖を終えて、

「今夜はわたし、やってみたいコトが1つあって」

「なあに? やってみたいコトって」

わたしの最愛のあすかちゃんは、恥じらいのようなモノを顔に浮かべるコトも無く、

「おねーさんの喋り方の、モノマネ大会」

ちょっとくすぐったい気分になっちゃうわたしは、

「またまたまた。モノマネするのはあすかちゃんだけなんだから、『大会』でもなんでもないでしょーが」

と、軽快にツッコミを入れていく。

すると、

「細かいコトはいいのよ、おねーさん」

と、あすかちゃんはもう『モノマネ』を開始して、

「さっきまでの優雅に読書してる姿、あり得ないぐらいステキだったわ。わたし、どこまで行っても、おねーさんみたいに優雅に読書はできない。決して真似できないの。だけど、コトバづかいとかだったら……少しは、真似できる自信がある。だから、こうやって、おねーさんの絶滅危惧種な喋り方に近付いていこうとしてるのよ」

『絶滅危惧種』って、ホメてるのかな。

――まぁ、細かいコトは、いいのよね。

「おねーさん。わたし、おねーさんの左サイドに座らせてもらうわ」

すーっと腰を浮かせるあすかちゃん。

瞬く間に、わたしの左サイドに、最も愛すべき妹分のカラダがやって来る。

「できるなら、わたしのワガママを受け入れてほしくって」

そんなコトバと一緒に、妹分のカラダの気配が近付いてくる。

「なんでも言ってごらんなさいよ」

視線を寄せながら促すと、

「ムギューーーッ、って、したいわ」

と、あすかちゃんは。

「スキンシップってコト?」

そう訊いたらば、

「ただのスキンシップじゃないわよ。おねーさんへのスキンシップなんだから、トクベツなキモチを籠めて、ムギューーーッってしていきたいのよ……!」

 

 

【愛の◯◯】おフザケが過ぎると呼び捨てにだって鬼にだってなる

 

背が高くスッキリとした川口小百合(かわぐち さゆり)さんの体型にトップスもボトムスも程良く調和しています。こんなに涼しげなミドル丈のスカート、わたしは所持していなかったかもしれません。

「蜜柑(みかん)さん」

向こうのソファからわたしの名を呼んでくる小百合さんが、

「そろそろ私もメイド服に着替えて『修業』を始めていきたいトコロ、なんですけど……」

と言いながら、不穏さ混じりの微笑み顔になって、

「その前に蜜柑さんに『してほしいコト』がありまして」

条件反射の如く身構えてしまうわたしの耳に、

「私やっぱり『呼び捨て』の方が良いです。『小百合〝さん〟』じゃなくて『小百合』って呼んでほしいです」

とお気持ちの表明をする声が食い込んでくるので、ヒヤリとした感触が肌に産まれてきてしまいます。

「試しに『小百合』って呼び捨てにしてみませんか? 1回だけで構わないので」

彼女は微笑み溢れる表情で、

「蜜柑さんとの付き合いもそこそこ長いんだし」

と言い、それから、カラダの前のめりの度合いを強めてわたしに視線を注ぎ込んでくるのです。

メイド服に身を包んでいるわたしはメイドたるに相応しきカラダの姿勢を懸命に保とうとしながら、

「あなたはなぜそんなにも、呼び捨てにされるコトを願ってるんですか?」

「蜜柑さん蜜柑さん、タメ口でOKですからぁ」

ぐぐっ。

小百合さん、手強い……。

「……身構えてしまうのよ、あなたがあまりにも積極的だから」

互いを隔てている横に細長いテーブルに視線を落としつつタメ口になってあげるわたし、なんですが、

「積極的にもなりますよ」

と小百合さんのチカラ強い声が到来して、それから、

「蜜柑さんに『ついていきたい』ってキモチがとっても強いので!!」

という勢いありまくりな声がわたしのココロに突き刺さってきて……。

 

× × ×

 

2階に上がり、小百合さんへのメイドのお仕事の指導を始めようとしています。

彼女がメイド服を着るスピードもずいぶん速くなりました。わたしの予測以上の速さです。

できるならば、メイド服の着方(きかた)だけではなくお掃除の仕方やお料理の仕方においても向上が見られると、教える側としては大変嬉しいのでありますが……。

「小百合さん? 掃除機の収納場所はもう御存知よね?」

小百合さんを『小百合』と呼べないままのわたしは問うてみます。

「もちろんですよ~~。そんな初歩的なコトはもうとっくにインプットしてますって♫」

彼女の応答が軽やか過ぎるほど軽やかなので、

「それなら、掃除機を出してきてちょうだい」

と促す声のトーンが少し厳しめになってしまいます。

なぜか彼女がその場から動こうとしません。

「……わたし、『掃除機を出してきて』って言ってるんだけど」

キツめのニュアンスのコトバを口から出しはしましたが、胸中では困惑の方が優勢になってきています。

イヤな予感がします。

この子もしや、さっきの『呼び捨て要請』では飽き足らず、わたしの弱いトコロをなおも……?

わたしにまっすぐにカラダを向けてくる川口小百合さん。

彼女が167センチでわたしが168センチですから、目線の高さがほとんど同じ。

その、目線の高さがほとんど同じだという点が、なぜだか不安と緊張に拍車をかけてきます。

「掃除機を取りに行く前に、1つだけ質問させてください」

ドクンッ、と心臓が跳ねるのを自覚します。

拒めないわたしがいます。何も言うコトのできないわたしがいます。

疑いようもなく大ピンチ……。

大ピンチであるコトの自覚が際限無く高まってきたトコロに、

「蜜柑さんは、笹田(ささだ)ムラサキさんと、先月合計何回デートしたんですかぁ!?」

というあり得ないほどに朗らかなる声が……!!

 

× × ×

 

小百合さん!?

わたし、ムラサキくんとの関係にまつわる◯◯を突っつかれた弾みでとうとう、

『ふざけるのも良い加減にしなさい、小百合ッ!!』

って、あなたのコトを生まれて初めて呼び捨てにしたけれど……あの時のわたしのココロの内部の混乱ぶり、少しは感じ取ってくれてるのよね!?

感情が破綻(はたん)するぐらい混乱しまくってたんだからっ。

年下のオトコノコとの『おつきあい』について今後も突っついてくるつもりならば、わたし、現在(いま)の100倍あなたに厳しくなってあげるから。

100倍は誇張じゃない。

からかってくるのなら鬼にだって何(なん)にだってなる。

産まれた年が6つも上のオンナをあんまりナメるんじゃないわよ……!!

 

 

【愛の◯◯】自己紹介も音楽鑑賞も読書も彼氏のせいで◯◯

 

「わたしの名前は羽田愛(はねだ あい)。23歳のうら若き乙女。仮免(かりめん)の講師として、高校生に世界史や倫理を教えていて……」

「オイオイどーした。食事が終わった途端に、誰に向けてのモノなのか分からない自己紹介を始めやがって」

「アツマくんうるさい黙って」

「おいコラッ」

「今日は7月1日でしょう? 新しい月の初日でしょう?」

「それがなにか」

「新しい月の初日こそ、改めて自己紹介をするのに相応しいんじゃないの」

「……いや、分からんのだが、因果関係」

「とりわけ、7月の初日に自己紹介するのは重要なのよ。――ほら、7月になると、テレビアニメやテレビドラマの新番組、一斉に始まるでしょ? 『テレビの番組改編期に合わせて自己紹介する』って意味合いもあるのよ」

ダイニングテーブル真向かい席のアツマくんは、まだピンと来ていない御様子。

しょーがないわね……と思いながらマグカップの取っ手に触れようとしたら、

「いちばん疑問なのは、『おまえが誰を対象として自己紹介をしようとしてるのか』ってコトなんだが?」

と言われたから、『ホントにしょーもない彼氏なんだから……』という憤りを抱いてしまう。

ピリピリとしてきているが故に、

「読者の皆さま、わたしの彼氏のこんな態度をどう思われますか?」

と、ダメ彼氏から一気に眼を背けつつ、不特定多数に向かって問い掛けるのである――。

 

× × ×

 

「わたしの自己紹介を妨害してきたから、今夜聴く音楽の選択権は剥奪よ」

そう言いながら、大きなCD棚に眼を高速で走らせていく。

背後のソファには、音楽の選択権を剥奪されたアツマくん。

「おまえ、どのCDを再生するつもりなの」

問われたから、瞬時に、

「ザ・ビートルズ」

と答える。

「ほほーっ。今年で来日公演60周年のバンドのCDが聴きたいんですかーっ」

なによその口ぶり!?

来日公演60周年だからなんなの!? 何を言わんとしてるのか、ぜんぜん見当つかないっ。

とりあえず、

「『ビートルズって、もう古くね?』みたいなコト言ってきたら、ホワイト・アルバムの『レボリューション9』を36回連続で聴かせるわよ!?」

「うお怖(コワ)っ」

だらしのない声で反応する彼氏に、

「36回の『36』って数字、いったい何から来てるのか」

と疑問を向けられるけど、

「36は9の倍数でしょっ!?」

と、疑問を叩き潰すために、わたしは大声を上げる……。

 

× × ×

 

時刻は夜9時を回った。

ビートルズのアルバムの再生も終わった。どのアルバムを聴いたのかは、わたしの気まぐれによって省略させてもらいます。

「たまには、リヴァプール・サウンドも、良いもんだなあ~~」

ソファの上でダラダラしているアツマくんが、無知をさらけ出すようにして言ってくるから、

「あなたがビートルズを批評するなんて、100年早いんだからね!?」

と厳しく言いながら、彼の眼前(がんぜん)にぐいぐいと迫っていく。

「批評はしてない!」

笑いながら言うアツマくんの両肩目がけて、両腕を素早く伸ばしていく。

「もう『読書タイム』の開始予定時刻を過ぎてるのよ? ヘラヘラな態度を見せてくるのは終わりにしてっ!」

そう叱った2秒後には、彼氏のカラダを自分のカラダに完全に引き寄せていた。

「すごく難解な本を読ませたくなってきたわ」

7割本気でわたしは言う。

嫌味な微笑の彼氏は、

「アレだろ。ヘーゲルの『精神現象学』とか、ハイデガーの『存在の時間』とかだろ」

わたしは瞬速で彼氏の胃袋近辺をパンチし始めて、

「難解本(なんかいぼん)イコール『精神現象学』『存在の時間』なんて認識は、まさしく読書素人の認識」

と批判する。

パンチ連発の両手の勢いを緩めないままに、

「ヘーゲルやハイデガーじゃなくてウィトゲンシュタインを持ち出してきてたら、まだ許せたのに」

「え? なんでヘーゲルやハイデガーがダメで、ウィトゲンシュタインはダメじゃないんだよ」

まだ『緩い』彼氏のままだから、キツめに抱き締めていくしかなくなる。

大きく逞(たくま)しい彼氏の背中をグググググッと押さえつけて、

「『論理哲学論考』を300回以上読み返したら、その理由が分かるはずよ」

と言うんだけど、

「ろんりてつがくろんこー?? それ、誰が書いた本なん??」

と、おフザケの手を緩めない彼氏がいたから、どんな手段を使ってでも屈服させたくなってくる……!!

 

 

【愛の◯◯】形容しがたいあすかさんが追い込んでくる

 

月曜日の昼間から生ビール中ジョッキを飲む羽目になった。あすかさんが自分の分だけでなくぼくの分も注文したのだ。あすかさんの休日は月曜・火曜だからキモチは分かるけど、つきあわされる側のコトも少しは考慮してほしい。

丸テーブルの上に中ジョッキをぼくが置く。置く勢いが良過ぎて、ガチャン! という上品ではない音が出てしまう。

あすかさんも丸テーブルの上に中ジョッキを置く。コトリ、という音しか出ない。とても静かなジョッキの置き方。とても上品でオトナびた置き方。

今日のあすかさんは羽織っているモノも上品だ。黒地のTシャツの真ん中辺りには『The Black Crowes』という黄色の横文字。アメリカのロックバンド名が派手に描かれている黒地Tシャツなワケだが、その上に羽織っている薄手のカーディガンが上品かつ涼やかだから、コントラストが強く印象付けられる。

「なあに? わたしの上半身がそんなに気になるの?」

キワドい問いが投げ掛けられてきてしまった。いつの間にか彼女のトップスに吸い寄せられるようになっていた。それを彼女は見逃さなかった。

「中学生じゃないんだから」

声で弄(もてあそ)んでくる彼女は、

「今度わたしのTシャツの中央部にある文字を読んでこようとしたら、罰金5000円だからね」

と言って、ぼくに冷や汗を流させてくる。

 

× × ×

 

「火照っちゃった」

あすかさんがいきなり言ってきた。

新宿の東側中心部からかなり離れた通りを歩いている。並木の梢から梅雨晴れの光が漏れ出してきている。

「もう少し歩いたら、小規模の公園があるみたいですが」

Googleマップを確認しながら言うぼくは、

「休みますか?」

あすかさんは、

「うん。休む」

と言って、

「その公園、自販機とかあるの」

「自販機情報は無いですね」

「行ってみなきゃわかんないか」

「公園の至近距離にミ◯ストップがあるみたいですよ」

「んー」

立ち止まるあすかさんは、

「コンビニに入るまでもないんじゃないの」

と言いつつ……ぼくの手提げバッグをなぜか覗き込んでくる。

そして彼女は、

「利比古(としひこ)くんのバッグの中に、ソ◯ティライチあるんじゃん」

と言い、

「わたしにちょーだいよ、ソ◯ティライチ」

と突拍子も無く言ってくる。

「飲みかけなんですよ?」

焦りを抑えながら毅然と言うぼくに、

「じゃあ、なにで水分補給すればいいワケ?」

という難儀な問いがぶつかってくる。

もしや……生ビール中ジョッキが彼女に『まわり始めている』のでは。

そうであるのなら、ピンチなシチュエーションになってくるのだが。

 

× × ×

 

公園の上空ではカラスが鳴き喚いている。

下界のぼくとあすかさんはちょうど2人分のベンチに身を収めている。

ちょうど2人分だから、右隣のあすかさんの左腕や左肩がもうちょっとで触れてきてしまいそうだ……。

肩までの黒髪の緩やかなウエーブが眼につく。ぼくの姉と違って、癖毛(くせげ)を頭髪に微塵も発生させないあすかさん。今日も手入れが完璧で、緩やかにウエーブしたトコロからも艶(つや)めきが放たれているかのようだ。

……って、何をぼくは実況中継してるんだ。幾ら間近に彼女が居るとはいえ、黒髪を細かに描写するだなんてスケベ過ぎるじゃないか……!!

眼を右隣から離し、良くなかった視線を悔やみ始める。

悔やみ始めた約5秒後。

ふにゃあ、という感触が右肩から右腕にかけて発生してきた。

あすかさんがあすかさんのカラダをくっつけてきた……!!

「オトコノコにこんなに甘えるのって、ホント久しぶり」

形容しがたい彼女の声が、ぼくの鼓膜を震動させ、ぼくを追い込んでくる。

彼女が密着させてくるカラダの部位が肩や腕だけではなくなる……それを明瞭に感じ取るから、苦しさが際限無しに増してゆく。

 

 

【愛の◯◯】映画と中ジョッキ

 

ジャズが転換期を迎えていた1960年代後半。伝統に忠実なプレイヤーと変革を志向するプレイヤー。2人の男の対立を軸に進行していく85分間の映画だった。

アメリカ製作なんだけど、ハリウッド大作とは方向性がまるで違う。狭いシアター内で鑑賞したんだけど、シアターの狭さもなんだか作風にフィットしていたような気がした。

 

新宿の街はちょっとジメジメしている。小ぢんまりとした映画館に入った時はそれほどのジメジメ感ではなかったんだけど、お昼に近付いているからジメジメが増しちゃっているみたいだ。

歩きながら、左隣の利比古(としひこ)くんに、

「どうだった、映画は?」

「『どうだった』と訊かれるだけだと、答えにくいんですけど」

「なんで」

「もっと具体的な質問の方が答えやすいです。『このシーンはどう思った?』とか」

かわいくない。

ので、

「感想を10分以上喋ってくれないと、お昼ごはん食べさせてあげないよ」

と攻撃的に言ってみて、彼の顔を凝視していく。

見つめちゃうとドキドキが芽生えちゃうのは分かっている。

でも、眼は逸らさない。ドキドキも我慢する。昨日の夜から固めていた「決心」なんだから。

彼の狼狽(うろた)えた口元から何も出てこないから、

「利比古くんは街の湿気にさらされ続けたいワケ? 感想喋ってくれないと、ホントに、エアコンが効いた飲食店の中に入らせるの禁止にするよ!?」

「……禁止にしちゃったら、あすかさんも困るんでは。あすかさんだって、街の湿気にさらされ続けるのはイヤでしょう?」

わたしは視線を彼の眼に突き刺す。

透き通る宝石のような眼。ドキドキを避けられない。でも、視線は離さない。

「……わかりましたよ」

彼は、輝かしい眼を閉じつつ、

「飲食店に向かいながら映画の感想言って、言い切れなかった分は飲食店の中で言うコトにする。これでどうですか」

 

× × ×

 

「映像面のコトばっか喋ってたね」

「いけませんか?」

丸テーブルを挟んで向かい合っている利比古くんの反発の声はマジメの色が濃かった。

「映画は脚本や俳優だけじゃないって分かってはいるけど。――それにしたって、ここまで映像面にこだわるだなんて」

顎(あご)の下で両手を重ねて言うわたしは、

「誤魔化せてないゾ、覚えたての撮影用語とかを連呼したい!! ってキモチを」

と追い詰めていく。

それから、

『こういうトコロが、まだコドモっぽいよね』

と限りなく無音に近い声をこぼしてみる。

相当オトナっぽくなっているのは理解してあげている。だけど、わたしの方がまだまだオトナだ。

……産まれ年度が1つ上のオトナのオンナとして、弄(もてあそ)びたくなってきて、

「ねえ、利比古くん。この空間で、わたしに、もうちょっと『つきあって』よ」

「……はい?」

ビミョーな戸惑いを敢えて直視するわたしは、

「生ビールの中ジョッキが飲みたい」

とシッカリと告げる。

もちろん、注文するべき中ジョッキは、2人分だ。

 

【愛の◯◯】どこまでもオトナっぽいあすかさんが◯◯

 

本格的に夏競馬というコトで、昨日の土曜日から福島競馬の開催が始まっている。

……そうであるというのに、

「あすかさんは、福島に行かなくてもいいんですか?」

ソファに腰掛けて非常にくつろいでいる御様子のあすかさんは、

「いいんだよ」

疑問のぼくは、

「昨日今日と、あすかさんは『青(あお)スポ』本社で仕事してましたよね。競馬記者であっても、開催日に『現場』に向かわないケースもあるんですね。……正直、不思議で仕方がない点なんですけど」

ゆったりとした「くつろぎ」を持続させるあすかさんが、

「多様な働き方があるんだよ……競馬記者にも。」

と応えてくる。

すごくシットリとした声音だったからビックリした。今年になってからいちばんのシットリ感溢れる声音だと思った。

あすかさんがすごくオトナっぽい。

……それゆえに(?)、ぼくは、

「東日本地区のJRAの開催が福島に移ったんですけど、福島といえば……福島県の民放テレビのネットワークの成り立ちはなかなか興味深くって……」

と、自らの得意分野の方へと話を強引に曲げていこうとしてしまう。

クスクスと笑うあすかさんがいた。

クスクス笑いまでもが上品で、胃袋が寒くなる。

「推理するまでもないよね! 利比古(としひこ)くん、帰宅したわたしがこの『リビングB』に来るまで、タブレット端末でWikipedia開いて福島県のテレビ事情について調べまくってたんでしょ」

内臓の色んな箇所に冷えが沁み込むのを感じてしまうぼくに追い打ちをかけるかの如く、

「利比古くんに寄り添うようにして、タブレット端末がソファに置かれてるんだもーん☆」

と言いながら、ぼくが着座しているソファのすぐ右横付近を指差してくる……。

 

× × ×

 

あすかさんからのぼくに対する「攻撃」がようやく一段落したので、大きな息がぼくの口から吐き出された。

肩を落として背すじをソファに擦(す)り付けるようにするぼく。だらしない姿勢なのだが、こういう姿勢にならないと、「リビングB」にとてもじゃないが滞在し続けられない。

……眼を半ば閉じたタイミングで、真向かいから音がした。

真向かいソファのあすかさんが真向かいソファから颯爽(さっそう)と立ち上がる音であるとしか思えなかった。

半ば閉じた眼を見開くしかなくなる。

起立したあすかさんが足をこちらへと動かしていく。

スリッパが余分な音を立てるコト無くあすかさんの足が動く。

眼の前に来た彼女のカラダが前に傾く。彼女の両側の腰には両側の手がピッタリとくっついている。彼女の下半身を包み込んでいるのは、おそらくは高級なブランドの製品であろうロングスカート。彼女の上半身を彩っているのも、おそらくは高級なブランドの製品であろうモノばかりだと思われて……。

どういうわけか、彼女の身にまとっているモノに眼が惹きつけられてしまう。

眼の前まで接近されているから? 彼女のオトナっぽい態度を今晩見せられっぱなしだから?

身長155センチでぼくよりも13センチ背が低いはずのあすかさんなのに、155センチしか無いようには到底見えない……!!

「利比古くん?」

清涼感に満ちた呼び声が耳に飛び込んできて、それから、

「わたしからの『お誘い』なんだけどね?」

と、実年齢(23歳)よりも4つか5つ年上の女性のような声が耳に食い込んできて、それからそれから……!!

 

 

【愛の◯◯】皺くちゃの便箋のようなモノを見逃せなくて

 

「いきなり過ぎませんか? アポ無しで店にやって来て、『部屋に入れさせてほしい』だなんて……」

下向き目線の川又(かわまた)ほのかちゃんが言っている。

土曜夕方。川又ほのかちゃん宅の、川又ほのかちゃんのお部屋に続く廊下。

ほのかちゃんの後ろには、ほのかちゃんルームのドアが見えている。

ショートボブの彼女の幾つになっても幼くて可愛らしいお顔を味わう。口元が苦々しくなっているのもアクセントだ。

「羽田(はねだ)センパイっ」

彼女の柔らかな素肌を眼で愛(め)でていたのが良くなかったのか、

「何か言ってくださいよっ。説明の責任みたいなモノが、センパイにはっ……」

とシリアスな声音で請われてしまう。

余裕のわたしは、

「ほのかちゃんは、幾つになっても、わたしの大切な後輩の女の子なんだもの」

余裕が無いほのかちゃんは、

「そっそんなの、『部屋に入れさせてほしい』ってコトの理由になってないじゃないですかっ」

無言で数歩(すうほ)寄ってみる。

わざと猫背気味になって後輩女子に顔を近付ける。後輩女子は、たじろぐ。

「お店に入った瞬間からあなたを『ほのかちゃん』呼びしてるのが、最大の理由よ。トクベツな時じゃないと、あなたを『ほのかちゃん』とは呼ばないでしょ?」

 

× × ×

 

ほのかちゃんルームの中はとてもキレイに整っている。キレイ好きなのね。流石はわたしの後輩だわ。

――だけど、皺(シワ)くちゃの便箋(びんせん)のようなモノがベッドの端っこに放置されているのを、わたしは先輩女子として見逃さなかったし、見逃せなかった。

――だから、少しわざとらしく、皺くちゃの便箋のようなモノが放置されている方角を見ながら、

「ほのかちゃん。誰にだって、言及されたくないモノって、あるわよねえ」

と、イジワルに仄(ほの)めかしてみる。

仄めかされたほのかちゃんの方角に向き直る。

勉強机に腰を押し当てている154センチのカラダの右手が握り締められている。

ほのかちゃんの右手パンチは威力があるコトで有名なのだ。もちろんわたしはパンチを食らわされたコトは無いけど、わたしの彼氏は何度か食らわされたコトがあった。

……ただ、「ほのかちゃんパンチ」の威力云々は本来関係の無いコトであるからして、

「そっとしておくわよ、言及されたくないモノは。わたしは、先輩女子として、あなたのコトが大好きなんだから」

と言うと同時にカーペットから腰を上げて、張り詰め始めた後輩女子のカラダへと前進していく。

 

× × ×

 

張り詰め始めていたから、解きほぐしてあげた。いろいろと、解きほぐしてあげた。

「解きほぐし」の詳細は、文字数の都合と先輩女子の都合で、ヒミツだ。

 

さて、ベッドに並んで座るようになったわたしとほのかちゃん、なんだけど、

「センパイ」

と、フニャフニャな声が右隣から聞こえてきたから、わたしは嬉しくなる。

「言及されたくないモノは、そっとしておく……センパイ、そう言ってましたけども」

そう言ってからいったん息を継ぐほのかちゃんが、

「センパイになら、打ち明けてもいいです」

「皺くちゃになってたお手紙のコト?」

わたしがすぐに問うたら、ほのかなる顔の赤みとともに、ほのかちゃんが頷いてきてくれた。

それからほのかちゃんは、

「拡散させるのは、やめてくださいね?」

わたしが、

「もし、約束を破っちゃった時は?」

と訊いたら、

「……『ほのかちゃん特製ウルトラスペシャル右ストレートパンチ』」

と、彼女からの応答が。

中二病っぽいトコロあるのね、思ったよりも――。

 

【愛の◯◯】なぎさちゃんの『気付き』

 

「なぎさちゃんがこの前出演してたローカル番組、配信アプリで視たわよ」

『えっ、ホントですか』

「ホントホント」

ひと呼吸置いてから、

「なぎさちゃん、綺麗で可愛かったから、ちょっとドキドキしちゃった。服の着こなし方も、わたしが到底真似できないような着こなし方だったし」

『……』と、スマートフォンの向こうから沈黙が漂ってくる。板東(ばんどう)なぎさちゃんは120%絶句している。

性格がよろしくないわたしは、追い打ちをかけるように、

「さすがは、アナウンサーね☆」

漂い続ける沈黙。

ニヤニヤしながら応答を待つ。イジワルをしちゃったらリアクションを楽しみに待つのが性(さが)。

――やがて、わたしの耳に、

『愛(あい)さんより綺麗で可愛い女子なんて、居ないって、わたしは常日頃思ってますから』

と、アナウンサーらしい透き通った声が。

「どうして急にわたしの容姿をベタボメしてくるかな」

疑問を傾けたら、

『とっところでっ』

と慌てた声がやって来て、

『愛さんの、弟さんの、コトなんですけどっ!!』

わかるわかる。なぎさちゃん、あなたが話題を急転換させたいキモチ、わかるわ。

「利比古(としひこ)の就職先、あなたの彼氏クンの巧(たくみ)くんが勤めてるケーブルテレビ局だけど」

と言ってから、ひと呼吸置き、

「『巧くんを、よろしくお願いします』とか、言いたかったんじゃないのー?」

少しの時間の空白が産まれたあとで、

『どうしてわかるんですか、わたしが言いたかったコト。まるで、手に取るように……』

と、弱った声が聞こえてくる。

「そりゃわかるわよ~~、なぎさちゃんの方が巧くんよりも立場がとても強いから、巧くんを利比古に託したくなるってのは、容易に想像できる」

そう応答しながらも、

「でもね、なぎさちゃん。ここが肝心なんだけど、巧くんを利比古に託したいってキモチがあなたにはあるんだけど、利比古を巧くんに託したいってキモチがわたしにはあるの」

シットリとした微笑を作り上げていきながら、

「だって、巧くんの方が、先輩局員なワケでしょ? ――利比古は、巧くんの背中を見ながら育つんだって、わたし思ってるから」

 

× × ×

 

『……もう1回話題を換えても、いいですか?』

弱々になっていた板東なぎさちゃんの声に強さが戻ってきた。

『川又(かわまた)ほのかちゃん、いますよね。わたし、ほのかちゃんと長電話したばっかりなんですけど……』

わたしにとっては女子校時代の後輩である川又ほのかさんの名前が出てきた。

わたしは色々と感づき始める。

『ほのかちゃん、どうやら、メンタルコンディションがイマイチみたいで……。わたし、『話し声』で気付いちゃうんです。たぶん、『声のプロ』だからなんだと思う。ほのかちゃん、明らかに、重苦しい声で喋ってたし……』