【愛の◯◯】土曜ビデオ通話はダブルヘッダー

 

髪が乾いた。

少し、ラフな格好で、ノートPCの前に座る。

PCの横に、コンビニで買ったコーヒー飲料を置く。

スタンバイ完了。

ビデオ通話を、立ち上げる。

 

× × ×

 

「おはよう、葉山」

画面の向こうの葉山むつみに、笑いかける。

『いい笑顔ね、小泉』

ほめられた!

「えへーっ」

『笑顔はいいけど……』

「えっ」

『もう少し、服の着かたを、なんとかしなさいよ』

「えっダメ?」

『雑よ。…ひとり暮らしのマンションの部屋で、ほかにだれも見ていないからって』

「きびしーなー、葉山は」

『…厳しすぎたかしら?』

「そんなことないけど」

『まあ……土曜日だし、そういう格好するのは、わからないでもないわ』

「――葉山は、ちゃんとしてるよね」

『服?』

「服。」

『べつに、ちゃんとしてないから。起きたのも、わりと遅かったし、そんなに身支度に時間かけてないし』

「――でも、立派だ」

『立派? なにが?』

「えへへへへ」

『こっ小泉、ふざけないで、ちゃんと答えてっ』

えへへのへ。

 

「ねー、葉山ー、」

『なによ』

「いつかさ、カラオケ行こうよ。いつか、でいいから」

『なんで』

「葉山のステキな歌声が、また、聴いてみたいんだよ」

 

ぶわっ、と葉山の顔が熱くなる。

 

『た、た、たしかに、歌の上手さには、自信あるけど』

「だよね~」

『……』

「歌も、ピアノも、羽田さんとどっちが上手いか、って感じだったよね」

『思い出話!? 羽田さんまで引き合いに出して』

「ほめてるんだよ」

『わかってるけど』

「そーだ! 羽田さんもカラオケに誘おうか」

『あのね。彼女には、彼女の都合もあって』

「……そっか。いろいろ、忙しそうだもんね」

 

……葉山の顔を、じっくりと眺める。

会話の途切れ。

 

『――小泉?』

「や、葉山は、ホント美人だわ~、って」

『なななにいいだすのっ』

「美人なんだけどさ、」

唖然の葉山に、

「羽田さんには……ほんのちょっとだけ、負けてるんだよね」

『……なにそれ』

「ま、偏差値だと、羽田さんが80で、葉山が77、ってぐらいの僅差だけど」

『……なにそれ』

 

呆れちゃってるな。

 

「ゴメン。バカみたいなこと、言っちゃって」

『小泉』

「ん~?」

『わたしはね――つい最近、偏差値85ぐらいの美人な女性と、出会っちゃったのよ』

「――そんなひと、いるの!?」

『世界は広いの。そして、横浜も広いの……』

 

横浜……。

ああ、葉山のバイト先か。

 

× × ×

 

きょう通話する相手は、葉山だけではなかった。

 

モニター画面に、偏差値80レベルのハンサム顔が、映っている。

 

利比古くん。

羽田さんの弟の利比古くんだ。

 

――きょうだいそろって、たまんないねえ。

 

『――小泉さん?』

「あっ、ごめんね。通話もう開始してたのに」

『小泉さんは、あんまりボーッとしていない印象だったんですが』

「おー、言うなー、利比古くんも」

『なにかあったんですか?』

「なにもないよ」

『ほんとうに?』

「あるとしたら……利比古くんと、利比古くんのお姉さんのせいだな」

『さ、サッパリ意味がわかりませんよっ』

「わかんなくてもいい」

 

『小泉さん、早く本題に入りましょう』

「うん。――でも、その前に」

『え』

「利比古くんさあ。もしかして、さ……」

 

溜(た)めを作る。

彼がうろたえ始めるのを見計らって、

 

彼女でも、できた?」

 

コチコチに固まるハンサム少年。

たは~~っ。

 

「図星の確率95%超え」

『ど、どうして、どうしてそんなこと……!』

「利比古くん、」

『……』

「やっぱり、リアクションが、お姉さん譲りだよねぇ」

『どうしてわかるんですか……!』

ほら! そんな反応が、まさに!!」

 

萎縮しつつも彼は、

『黙秘権を。黙秘権を、行使させてくださいっ』

「そうくるとおもった」

 

口を閉ざし、

なんでぼくの周りの女子は、揃いも揃って……とか言いたげな、顔つきに。

 

「――KHKの次回作番組、のことだったよね。本題」

『い、いきなり本題突入ッ!?』

「読書、をテーマにして、テレビ番組作る、と」

『あ、あんまりペースを乱さないでくださいよ』

「わたしのペースについてきて」

『ええ……』

「ついてこれなきゃ、番組、失敗しちゃうよ!?」

『無茶な』

「無茶じゃないっ」

と苦笑いで、ピシャリ。

 

「――本をテーマにしたテレビ番組は、民放にもNHKにも、過去にもあって」

『は、はい……』

「民放だと、20年ぐらい前に、『ほんパラ! 関口堂書店』って番組が、テレ朝でやってたりしたんだけど」

『はい』

「この、関口宏が司会の番組は、残念ながら、わたしは詳しくなくって」

『はい』

「アラサー世代ぐらいが、記憶にあるんじゃないかな――例えば、某・管理人さんだとか」

『……はい』

「利比古くん、相づちが、『はい』しかないの??」

『す、すみません。相づちのパターンが少ないって、よく言われるんです』

「だれに?? もしや、彼女さん???」

ちがいます!!

「うぉ」

 

「…やっぱり、この分野だと、NHKの『週刊ブックレビュー』だな、なんといっても。

 ビデオが手もとにあるし、こんど、見せてあげるよ」

『それはありがたいです』

「亡くなった児玉清が、ずーっと司会してたんだよ」

児玉清……アタック25……』

「まあ、『アタック』だよねえ。本業は俳優だったけど」

『小泉さん。

 小泉さんも、アタック25の打ち切り、悲しくないですか??』

「もちろん悲しい」

『――やっぱり』

「あのね」

『?』

「わたし――女子校時代に、

 体育館裏で、

アタックチャンス!』のモノマネを、ひたすら練習してたんだ」

 

 

――途端に、悲愴な顔になる利比古くん。

 

……どうしたんだろう??

 

 

 

 

【愛の◯◯】葉山を優しく寝かせられたら、ビールが美味しいオトナになれる!?

 

さて、きょうも、葉山といっしょにバイトするお時間だ――と思っていたが、

葉山の顔色が、なんだか冴えないことに……わたしは、気づいた。

 

「葉山」

「えっ、八重子…なに?」

「……」

「な、なんでわたしの顔、のぞきこむの」

「……ねえ、葉山」

「う、うん、」

「あんた――調子、悪いでしょ」

 

「そっ、そんなこと……ないよ。ないって。」

 

典型的な、強がりの、証拠。

 

葉山の左肩に、右手をとん、と置いて、

「強がらないんだよ。葉山」

「つつつ強がってないもん」

「なんだか……反発する声にも、元気がないじゃん」

「あ、あるよぉっ」

「ウソだね」

「や、八重子ぉ」

「ズバリ、寝不足」

 

「――どうしてわかったの」

 

「ほらぁ~~」

 

くちびるを噛みしめる葉山。

ちょっとカワイイ。

 

わたしはこういうふうに断定する。

「夜中に眼が覚めた。それからずっと起きてる。睡眠時間が足りてない」

 

黙りこくる葉山。

やっぱり。

 

「図星なんだね。いま、わたしの指摘が、あんたにズボーッと突き刺さってる」

 

はい、なにも言い返せない。

 

「…そりゃー、顔色に出るよ。リズム、崩れちゃうと」

 

うつむき気味に、葉山が、

「わたしが……抜けたら、抜けちゃったら、八重子やおじさんの、負担が」

「バカ言わないの」

「バカ言ってないからっ」

「マスターとわたしで、なんとかできるから!」

不安に満ちた眼で、

「……ほんとうに?」

「――ぶっちゃけ、お客さんがわんさか来るわけでもないし」

「……」

「だから――、大人しく休んでちょーだいよ、葉山さぁん」

 

真下を向いて、ためらう。

しょーがないったらありゃしないっ。

 

問答無用で――葉山の腕を、強めに引っぱる。

 

× × ×

 

半ば強引に、マスターの用意したベッドに、座らせる。

 

「ほら、エプロン、外す」

「……」

「仕事に未練があるのはわかるよ?

 でも、いまのあんたには休息のほうが大事なの。

 だいたい、あんたはがんばりすぎるんだからさ」

「でも…」

「でも、じゃないっ」

往生際の悪い葉山に、

「…何年間、あんたとつきあってると思ってんのっ」

すると葉山は、

「中等部入学からだから……もうすぐ、9年??」

「マジメに数えちゃってどーすんのっ! まったく」

「八重子」

「なーに!?」

「9年って……長いよね」

「そ、そりゃあねぇ」

 

茶番劇が……進行しているような、感覚。

 

「――四の五の言わずに、とっとと寝ちゃいなさいっ」

エプロンをむりやり剥(は)ぎ取り、

葉山の両肩をつかむ。

ぐーっと、押し倒すような感じで……寝かせようとする。

やえこおっ、なにするのよぉっ

いきなりの押し倒しにビビったのか、悲鳴のような高い声を上げる。

そんな葉山に、

「痛かったら……ごめんけど」

いたいとか、そういうもんだいじゃないよおっ

はいはい。

「落ち着きなさい。わたしがちゃんとしたげるから」

「ちゃんと、って――」

「寝かしたげるってこと」

 

しだいに……葉山は、無抵抗になっていって。

仰向けに寝かせたからだに、掛け布団をサーッとかける。

 

「よしよし」

「コドモじゃ……ないもん」

「ひとりでだいじょーぶ? 眠れる??」

「だから……コドモじゃ……ないって」

だんだんと、か細くなる声。

掛け布団で、顔を半分隠す。

チャーミングな仕草だ。

 

× × ×

 

「八重ちゃんとマスターだけ? 葉山さんは?」

「寝ました」

「え、ここには、来てるわけ?」

「来てますけど、不調みたいだったので、わたしが寝かせました」

「――そっかあ。」

 

覚(さと)ったような、ポニーテールの、美人顔。

 

「葉山ってば、カワイイんですよ」

「あらっ、どんなふうに?」

「最初は反抗期みたいに、わたしの『寝かしつけ』に抵抗してたんですけど」

「うんうん」

「いざ、ベッドに入ったら――ものの3分で、グッスリとお眠りになってしまって」

「へぇ~~、そうなんだ~~」

 

わたしとポニーテールお姉さんのふたりで、葉山を面白がる。

葉山はグーグー眠ってるだろうし、なに言ったっていいや。

……キョウくんの夢でも、見てるのかも。

 

いわゆる、サシ飲み。

わたしの中ジョッキよりも、ポニーテールお姉さんの中ジョッキのほうが、減りが早い。

さすがだな。

 

ふと、彼女が言った。

「――でも優しいんだね、八重ちゃん」

「? 葉山に対して、ですか」

「そ」

スーパー美人顔を傾け、頬杖をつきつつ、

「葉山さんの不調に敏感で。寝かしつけるまで、面倒、みてあげて」

「……手がかかるんですけどね」

「だけど、よく、理解してる」

「……してるんですかね」

 

傾けた超・美人顔を少し上げ、

指で、ジョッキをもてあそび、

「そういう優しさは……忘れないほうが、いいと思うよ」

 

えっ。

 

「これ――本気(マジ)の、話」

ポニテお姉さんは、満面の笑顔。

中ジョッキをほとんど飲み干した影響か、ほんのりと紅(あか)くなって。

そういうふうに、笑いながらも、

本質を――突いてきた。

 

「……」

「八重ちゃん。優しさとか、愛情とか、大事。マジ大事」

「……はい。」

「わたしね、」

「は、はいっ」

「優しさ、を、なくしちゃってたときがあって……他人に、強く当たりすぎて、いっつもいっつも、攻撃的で。ろくなこと、なかった、そんなときは」

わたしの眼を見るように、

「いたわりのこころがないと、ビールも、苦いだけ」

そして、空ジョッキを、わたしのジョッキにかちっ、と軽く当てて、

ビールが美味しく飲めるような社会人にならないとダメだよ……八重ちゃん

 

× × ×

 

「八重ちゃんは、大学3年だっけ?」

「2年です。浪人してるんで」

「1浪かー」

「そうですね」

「負けた~、わたし、2浪だし」

「……」

「もしくは、『勝ってる』、のかな?? ひとつ、多いから」

「……と言われましても」

 

 

 

【愛の◯◯】バッティングセンターとシュガーポット

 

バットを強く振って、

速球を打つ。

真芯(ましん)に当たって、

ボールが高く、飛んでいく……。

 

出てきたボールを、

ひたすら打つ、

打つ、

打つ、

打つ。

 

ジャストミートの連続。

かなりの球速も、わたしには関係ない。

ソフトボールの打撃練習で、鍛えてもいるし、

1球たりとも、凡打にはさせない――。

 

打って打って、打ちまくる。

 

なぜって?

 

……鬱憤を、晴らすため。

 

どんな、鬱憤かって?

 

……それが言えたら、苦労しないよっ。

 

 

都内某所、

お邸(やしき)からそう遠くない、

バッティングセンター。

 

『彼』とケンカになってしまったわたしは、

お邸を飛び出して、

このバッティングセンターに、急行した……。

 

 

筒香になれたらいいのに。

筒香みたいな本塁打製造機になって、ボールをもっともっと、はるか向こうまで、飛ばすことができたらいいのに。

わたしは出てくる球をどんどんカッ飛ばしてるけど、飛距離の限界も感じてきている。

 

飛距離が、だんだん、落ちてきた。

バットをひたすら全力で振り続けた、消耗。

休みもせずに打ちまくったから?

 

左打席。

構えようとして――少し、ふらつく。

消耗があらわになる。

 

だめ。

まだ……だめ。

満足できない……。

 

アツマくんとの軋轢(あつれき)を、振り払うまでは……。

 

× × ×

 

とぼとぼ帰り道を歩く。

 

――最後のほうは、やけっぱちだった。

だんだん長打も打てなくなって、最後の5球はボテボテゴロに終わってしまった。

 

バッティングセンターの機械相手に、勝ったも負けたもないけど。

 

負けたとしたら――、自分自身に。

 

 

下向きにとぼとぼ歩くわたしに、

反省の念が、舞い降りてくる。

 

 

――やりすぎだったのかな。

邸(いえ)を、いきなり飛び出すのは。

 

アツマくんに、あることないこと、怒鳴り散らして。

 

……じぶんの日記帳を、勝手に見られただけで、

あんなに血を沸騰させる必要も、たぶん、なかった……。

 

× × ×

 

アツマくんが立っている。

腕を組んで立っている。

腕を組んでるとはいっても、険しい顔つきではなくて、不安そうな顔。

 

「――どこ行ってた」

 

不安そうな顔に、不安そうな声。

 

迫りくる、良心の呵責(かしゃく)。

 

「…バッティングセンター」

「なんのために…?」

「…ムシャクシャしてたから。」

 

あすかちゃんと利比古が、脇で野次馬みたいに、わたしたちふたりのなりゆきを観ている。

つらい。

 

「あのさ」

「……なに」

「やっぱし、おれのほうが、軽率だったわ」

「……」

「おまえだって――見られたくないもの、そりゃー、あるわな」

「……そうね。」

「その――、悪かった。悪かったよ」

「……」

「おっおい、だいじょうぶか!? 愛」

 

「アツマくん、アツマくん……、

 わたし……わたし……」

 

「あ、愛っ、どうしたんだ」

 

「わたし、わたし……」

 

……アツマくんの上半身にもたれかかって、

 

「……つかれた」

 

 

あすかちゃん&利比古の『オーッ』という歓声は……聞こえてなかったことにする。

 

× × ×

 

「――ま、バッティングセンターまで行って発散しようとするところが、おまえらしいよ」

 

仲直りのコーヒーを作っている。

アツマくんのことばは聞こえているけれど、コンロのやかんを眺めて、照れ隠し。

 

「愛。おまえ、左打ちだったよな?」

「…そうよ。筒香と、おんなじ」

筒香を引き合いに出すのかよ」

笑って言うアツマくんに、

「…出すわよ」

と、沸騰寸前のやかんを見ながら、答える。

 

ふたりの仲直りコーヒーをダイニングテーブルに置く。

「あんまり…美味しいコーヒーじゃないかもしれないけど」

「そんなこと、どうだってよかろう」

「……ありがとうっ」

「――照れてんなぁ」

「わたし、きょう――恥かいてばっか」

「そんなことねーよ。必要以上に気にしてんなぁ」

 

シュガーポットに手を伸ばすわたし。

驚くアツマくん。

 

「お、お、おまえがコーヒーに砂糖を入れようとするなんて…!!」

「…疲れすぎたの」

 

砂糖を混ぜたコーヒーをぐいいっ、と飲んでいき、

「でも、このコーヒーで、疲れは飛ぶわ」

 

「そんなもんかなぁ」

「――それで、疲れを飛ばしたあとで、」

「んん?」

 

「夜食、作ってあげる」

 

「やや夜食ッ!?」

「あなた、おなかすいてるんじゃない?」

「言われてみれば……」

「ほら♫」

「……でも、なんでわかった。おれのすきっぱらが」

「さっき、あなたに抱きついたじゃない……そのとき、

『ああ、アツマくん、おなかがすいてるんだ』、って♫」

「抱きついただけで、空腹を察知できるのかよ!?」

「できるわよ」

「嘘だろ…!」

「嘘じゃないから~~♫」

 

 

 

 

【愛の◯◯】ついにやってきた、衝突

 

学生会館5階にある、

漫研ときどきソフトボールの会』のサークル部屋。

 

入室してみると、

 

・新田くん

大井町さん

 

のふたりしかいない。

 

「上級生のひとはいないの?」

訊いてみると、

「久保山幹事長がいたんだけど、漫画雑誌を買うとかで、コンビニに行ってしまって……」

と、大井町さんが答えてくれた。

 

すかさず、新田くんが、

「きょうはサンデーとマガジンの発売日なんだ。だから、買いに出たんだと思う」

と言い添える。

 

そっかー。

水曜日は、週刊少年サンデー週刊少年マガジンの、発売日――。

たしかにそうだったわね。

漫研の空気に溶けこんだおかげで、無知だったわたしも、漫画雑誌の発売スケジュールを、だいぶ把握できるようになった。

 

「幹事長、戻ってきたら、きっと俺たちにサンデーとマガジン読ませてくれるよ」

笑って言う新田くん。

それは楽しみ。

 

他方、大井町さんはというと、

わたしにも新田くんにも視線を合わせることなく、

サンデーやマガジンなど、どこ吹く風……といったご様子。

 

……しょうがない娘(こ)だ。

 

× × ×

 

大井町さんは、スケッチブック、

新田くんは、大学ノート。

 

すっかりおなじみの、ふたりの持ち物。

 

大井町さんは、絵本作家。

新田くんは、漫画家。

 

お互いに、夢を見て……。

 

 

いつものように、新田くんは、大学ノートに、なにやら自作漫画の構想を書き込んでいる。

 

「こんどは、なにジャンル?」

わたしが訊くと、

グルメ漫画

と答えてくれる。

 

キャラクターデザインのようなものを描きながら、

「『ミスター味っ子』って漫画を全巻読んだんだ。

 80年代後半に、週刊少年マガジンに連載されていて、

 アニメ版も、非常に有名でね」

「――グルメ漫画、なの?」

「そうだよ。ミスター味っ子……味吉陽一っていう少年が、いろんな料理を作って、ライバルたちと勝負するんだ」

「主人公の、ミスター味っ子が、料理人なのね」

「そういうこと」

「読んでいて、インスパイアされちゃったんだ」

「そういうことさ。……非常に迫力のある描線(びょうせん)なんだ。グルメ漫画的要素だけでなく、絵柄も熱いんだ」

「絵柄……。」

寺沢大介っていう漫画家なんだけどね。

ミスター味っ子』のあとで、『将太の寿司』や『喰いタン』っていう、同じく料理系の漫画で、ヒットを飛ばしている」

「へ~っ。いわゆる、ヒットメーカーなのね」

「……『味っ子』のときの寺沢大介は、若さあふれる絵柄なんだ」

「?」

 

…新田くんは、巨大な漫画本棚から、『ミスター味っ子』と『将太の寿司~全国大会編~』の単行本を取ってきた。

どっちも、あったんだ。

 

「ふたつの絵柄を見比べてみてよ」

「――あっ! キャラクターが、ぜんぜん違う」

「『将太の寿司』の全国大会編ではもう、描線が細くなって、スッキリした絵柄になってるんだよね」

 

わたしは、『ミスター味っ子』のページをめくりながら、

「『味っ子』のほうは……なんだか、画(え)が浮き上がってきそう。そんな迫力」

「面白いこと言うね羽田さんは」

「それほどでも」

「どっちの絵柄がいいのか……とか、そういう問題じゃないんだけど、ね」

 

 

…問題なのは新田くんよ

 

 

――突然だった。

声の主は、大井町さん。

 

大井町さん――、

新田くんが問題だ、という、問題発言っ!?!?

 

 

大井町さんの思わぬ煽(あお)りに、

空気が固まり、

新田くんとわたしも、固まってしまう。

 

とくに、

新田くんは、

眼を泳がせて、口をパクパク……!

 

 

ぜんっぜん、前に進んでないじゃないの。ミスター味っ子』とかの話ばっかりして……」

 

煽り続ける大井町さんは、

 

「漫画を語っているヒマなんてあるの新田くん!? 口ばっかり達者で、手はぜんぜん動いてない……!」

 

…とどめを刺すように、

 

口を動かしてないで、手を動かしなさいよ

 

 

うわぁ……。

創作者志望が、いちばんダメージを食らう、ひとことだ。

 

 

うなだれる、新田くん。

痛そう。

 

ペンを卓上に置いて、

開いていたノートを、裏返しにして、

うつむきにうつむく。

 

新田くんのHPがどんどん下がっていってる……!

 

 

――どうしよう、わたし??

 

新田くんを、なぐさめればいいの?

大井町さんを、たしなめればいいの?

 

――たぶん、どちらの選択肢も、満点解答じゃない。

 

ふたりの様子を、交互に見るけれど、

最適解は、ひらめけない。

 

修羅場の様相を呈してきた。

 

 

わたしの、困惑の度合いが――高まりまくっていたところに、

ガチャ』と、ドアノブを、回す音。

 

久保山幹事長だ……!!

 

「サンデーとマガジン買ってきたぞい。どっちか読みたいひといる?」

「か、幹事長っ」

「ん? 羽田さん、どした? そんな青い顔になって」

「……」

「なんか、あった?」

「……ありました、ありまして、」

 

……すがりつく対象は、

久保山幹事長なのか、

はたまた……。

 

……苦し紛れに。

 

と、とりあえず、新田くんと大井町さんに、サンデーとマガジンを、読ませてあげてください

 

「それは……どっちがサンデーで、どっちがマガジン?」

「か、幹事長に、任せます!」

「――よしきた」

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】姉の本棚と積ん読タワーと

 

黒柳さんの発案で、『読書』をテーマにしたテレビ番組を、制作することになった。

 

 

ぼくは、図書館に取材に来ている。

 

司書の先生と話す。

 

どんな本が借りられているのか訊くと、

「そりゃー、幅広いわよ。

 小説だったら、ライトノベルから、純文学まで。

 難解な哲学書を読む子もいるわね」

 

…そうか。

それは、そうだろうな。

借りられる本は、幅広いに決まってる。

これは、もう少し、掘り下げていかないと……と思っていると、

 

「傾向、みたいなのは、あるわね」

「えっ、傾向?」

 

思わず、訊き返す。

 

「そう。

 全体的に、どんなタイプの本にしても――、

『そこになにが書かれているのか』を、いちばん重視して、生徒はみんな、本を選んでいる気がするの」

 

「……。すみません、よく、わからないです」

 

「素直ね。羽田くんは、素直でいい生徒ね」

 

なぜか、ホメられた。

 

「――ああ、そうだ。それと。

『すぐ答えを知りたい』っていう子が、多い気がする」

 

「それは、どういうことですか?」

 

「後々(のちのち)になってジワジワ効いてくるというか…そういった本より、

 すぐに役に立つような本を、好む」

 

「すぐに、役に立つ……」

 

「『若さ』の、あらわれなのかしら」

 

……司書の先生は、なんだか、微笑ましそうな表情だ。

 

 

× × ×

 

司書の先生のお話は、正直、漠然としていて、すぐさま腑に落ちるようなものではなかった。

 

『すぐに役に立つ』話ではなく……、あとになってから、腑に落ちるような話だったような気もする。

 

 

「……アドバイスとか、もらった? たとえば、読書会をするとして、その進めかたをどうすべきか、とか」

板東さんに言われてぼくは、

「すみません……そこまで話が、行きませんでした」

 

じぶんを扇いでいた団扇(うちわ)をぽーっ、と放り出して、

「もーっ、なにやってんのーっ」

と、板東さんは怒る。

 

「いずれわたしたちも卒業しちゃうんだから、もっとしっかりしてもらわないとダメだよ!?」

 

……おっしゃる通りです。

 

「――かんしゃく持ちだなあ、板東さんは」

彼女をなだめるように、黒柳さんが言ってくれる。

 

「黒柳くん!? なに言うの」

「ほら、そうやって、すぐ突っかかるところ」

 

ズバリと言われて、彼女は少し沈黙。

よし。

 

「あんまり怒ってる場合じゃないと思うよ。企画を前進させていかないとね」

正論!

 

「…2択だと思うんだけど。本を指定して、読書会形式にするか。あるいは、めいめいが好きな本を持ち寄って、その本について、語ってもらうか」

い、いつになく多弁だ。

 

「――わたし個人の意見としては、」

板東さんが言う、

「参加者のみんなに本を持ち寄ってもらって、その本への『想い』を語り倒してもらうほうが、いいと思うんだけど」

 

「あ、ぼくも、そういうスタイルのほうが、いいと思います」

 

虚を突かれたふうに、

「エッ、羽田くんも――わたしと同意見」

「同意見ですね~」

「――意外ッ」

「意外ですか? いいじゃないですか。ぼくと板東さん、気が合うってことで」

「羽田くん……」

 

 

× × ×

 

 

姉の巨大な本棚をジーーッと見ている。

 

読んだ本のひとつひとつに、姉の『想い』が――刻み込まれてるんだろう。

 

 

「ずいぶんと長く本棚を眺めてるわね」

後ろから、姉。

「わたしに取材したい、とか言ってきたと思ったら」

 

「…ひとつ質問」

「どうぞ?」

「お姉ちゃんには…この本棚の、ひとつひとつの本が、大事?」

「え、言うまでもないじゃない、そんなこと。大事に決まってるわよ」

「じゃあ、ひとつひとつの本のこと、よく、憶えてる?」

「うん。……雑な憶えかたは、してないと思う」

「雑な憶えかたは、してない……」

「テキトーに読んでるわけじゃないってことよ」

「――そっか」

 

ぼくは眼を転じて、

積ん読タワーは、低くならないね」

「読みたい本が減らないからよ」

「さすがの知的好奇心だ」

「でしょぉ~~♫」

 

床に腰を下ろす。

姉を見ると、軽く背伸びをして、

「――バイト代が入ったら、またいっぱい本が買える。うれしいっ」

積ん読タワーを、崩壊させないでよ」

「そこは気をつける」

 

部屋を見回して、

「お姉ちゃんの部屋は――積ん読タワーの部分以外は、きれいに整理整頓されてるよね」

「? なにがいいたいの」

積ん読タワーのところだけ、雑然としているのが……なんだか、『玉にキズ』で。

 そこが……『かわいい』と思う」

!?

 

眼を大きく見開き、ほっぺたを赤くして、

「『かわいい』って……なにが!? だれが!?」

と、うろたえる。

 

ぼくは答えてあげない。

 

「と、利比古っ、ちょっと」

 

積ん読タワーに、ふたたび近づき、

タワーのいちばん上に積まれた本の表紙を、凝視する。

 

「ちょちょちょちょちょっとちょっと、むやみに触るとタワーが崩れちゃうでしょっ」

「焦りすぎだよ、お姉ちゃん」

 

ぼくだって――本の扱いには、細心の注意を払うんだ。

 

タワーを崩さないように、てっぺんの本を、手に取ってみる。

 

姉はハラハラした声で、

「ど、どうしたいの……!? それを」

「いや、タイトルが、気になって」

「読む気?」

「読むかな」

 

「とっ、利比古に先に読まれるの、なんかヤダ」

 

わがままだな~~っ

 

「だって……」

「だって、なに? ――お姉ちゃん」

「……」

 

 

 

【愛の◯◯】文化祭の機運!!

 

9月といえば、なんといっても、文化祭!

 

わたしの高校では、9月の終わりに、文化祭が開催される。

 

今年もまた、ガールズバンドのギターで、参加する予定。

 

――あ、

バンド名、『ソリッドオーシャン』のまんまだったな。

意味がわからないバンド名であることは変わっていないので――ボーカルの奈美に、バンド名改変を、検討してみようかなあ。

まあ、新しいバンド名とか、わたしぜんぜん考えてないし。

奈美も「『ソリッドオーシャン』がいい!」って突っぱねるかもしれないし。

 

 

× × ×

 

授業終わり。放課後。

 

中庭で、ミヤジを発見したが、珍しく、バードウォッチングをしていなかった。

 

「なんでミヤジ、きょうはなんにもしてないの?」

ダラリ、とベンチに座っているミヤジに、声かけ。

 

「そんな日も、あるんだ…」とミヤジ。

「え、不調!?」とわたし。

 

「鳥が丸焼きされてる動画でも見ちゃったの!?」

「…なに言い出すんだ、あすかは。んなわけなかろう」

「夕ごはんのおかずが大量の唐揚げで、心苦しかった、とか…」

「あーのなーっ、あすか」

 

ミヤジは非常に面倒くさそうな目線で、

「そもそも、不調じゃないから」

「あ、そう」

「『あ、そう』じゃねーよ」

 

いきなりミヤジは立ち上がり、

 

「――あすか。」

 

え、え、なに。

正面から同じ目線の高さでわたしを見てる。

真っ正面から。

 

美人なおねーさんとかと違って、わたしの顔なんか見ても、なにも面白くないのに。

…そもそも、なんで急に立ち上がったの!?

 

「あすか。おまえは――」

 

ごくり。

 

「――おまえは、文化祭、バンドで出るんだよな」

 

「……そ、そんな、なんの変哲もないことを、どうしてわざわざ、立ち上がってまで」

 

「――なんとなくだ」

 

「やっぱ、調子がヘンなんじゃないの!? きょうのミヤジ」

 

答えてくれず、

「『ソリッドオーシャン』だっけ? まったく意味不明なバンド名だけど、文化祭のステージ、楽しみにしてるぞ」

 

わたしは、

「……ありがとう。楽しみにしてくれて」

と、言うしかない。

 

× × ×

 

意味もなく、進路指導室に来て、

進路指導室のドアに貼られている、偏差値の表を見る。

 

ミヤジの様子がヘンだったから、気を落ち着かせたい……という意味は、あったかもしれない。

 

 

ドアの前で棒立ちになっていたら、

もう一方のドアから、徳山さんが出てきた。

 

「あら、あすかさんじゃない。奇遇ね」

「……」

「どうしたのあすかさん? 考えごと?」

「……ううん。偏差値の表を、ただ眺めていただけ」

「あなたは推薦入試を受けるんだし、その表は、あまり関係ないと思うんだけど」

「……だよね」

 

静かな足取りで、わたしの横に近づいてきて、

それから、わたしと同じように、偏差値表を眺める。

 

「◯央大学の偏差値が……また、上がってる」

「く、詳しいんだね、偏差値に」

「一般入試組だから、敏感なのよ」

 

そっか…。

 

「校内は文化祭に向けて盛り上がってるけど」

偏差値表に視線を当てたまま、

「わたしは、来年の春に向けて、気持ちが盛り上がっているわ」

 

「……徳山さんは、行動が早いね」

「そんなことない。遅いくらいよ」

わたしのほうに顔を向けて、

「あすかさんこそ、もっと早く動かないとダメでしょう」

「……そのとおり」

「動いてる?」

「――うん、動いてる。もうすぐ、推薦入試の出願も、固める」

「そろそろ、志願する大学も、決めるのね」

「決める。」

「あなたは、自己推薦になると思うんだけど」

「そうだよ」

「ま、あなたなら、大丈夫でしょう」

 

そう言ってから、

徳山さんは、優しくわたしの左肩をぽーん、と叩いて、

廊下の向こうに歩いていった。

 

徳山さんにスキンシップされたの……初めて。

よりいっそう、縮まる距離感。

 

× × ×

 

「生徒会有志が、新しい試みをするんだって。

 後夜祭が新しくなるらしいよ。

 型(かた)にはめられたオクラホマミキサーとかじゃなくって、

 後夜祭のダンスを、フリーダンスにするって。

 つまり、自由に、だれと踊ってもいいというわけ。

 楽曲もリクエストで決めるって。

 …『ぼくと踊ってください!』って、女子に言う男子も、出てくるんだろうな。

 もちろん、好きな娘(こ)に。

『ぼくと踊ってください!』っていうのが、もう、告白同然だよね。

 …加賀くん、キミも、そう思わない?」

 

「いや…無茶振りか」

 

加賀くんは、将棋の駒を手に、キョトーン。

 

「加賀くんも『ぼくと踊ってください!』って、言えばいいじゃん」

「…や、目的語が、ねーだろ。『だれに』言うのか」

「フフフフフッ」

「き、気色悪いなっ」

「あのねー」

「なんだよっ」

「もう、加賀くんが入部してから、1年半近く経つから……、

 だいぶ、キミのことが、わかってきたよ。

 ……ううん、『だいぶ』どころじゃないや。

 手にとるように、キミのことは……わかる」

「……気色悪いことを言いまくりやがって」

お姉ちゃんはなんでも知ってるんだもん☆」

 

「……やめれ、お姉ちゃん気取りは」

 

「なんで~?」

 

「頼むから、やめてくれ。おれはあんたの弟じゃない……」

 

「――悲鳴を上げたい、って顔だね」

平手(ひらて)で叩き潰すぞ

「えええええっ!?!? 物騒なこと言わないでよ」

「――すまん、ことばが足りんかった。

『平手(ひらて)』ってのは、将棋の、駒落ちがない対局のことなんだ」

「――ああ、そういう意味だったんだね」

 

「…やるか? 平手の対局」

おことわりわりのおことわり

「…どういうフザケっぷりだよ」

 

 

 

 

【愛の◯◯】ハンバーガー食べ散らかしお嬢さま

 

日曜日。

バイト先の模型店でレジ番をしていたら、

見知った、若い女の人が、

お店に入ってきた。

 

椎菜さん!?

 

叫び声のような声を出してしまうわたし。

 

だって、だって、完全アポ無し。

事前連絡、なにもなく、突然に突撃してきた、椎菜さん……!

 

「しーちゃんだよ~~」

おどけて言う彼女。

 

「あれ、アカ子ちゃん、ボーゼンとしてない? なんで??」

 

……。

 

「ま、まずですね、」

「うん、」

「わたしがここでバイトしてるって、どうしてわかったんですか」

「え。そりゃ~わかるよ。わからないわけないじゃん」

 

……。

 

「用件は……?」

 

わたしの疑問を華麗にスルーし、

店内を見回して、

 

「わああ~~、プラモデルが、いっぱ~~~い」

 

「聴いてるんですか……?」

 

「ね、フィギュアはないの!? フィギュア」

 

もうっ。

 

「フィギュアの取り扱いはございませんっ」

 

――わたしはひとりでに立ち上がっていて、

 

「お店に用もないのなら、長居(ながい)はやめてもらえますか!?」

 

「あ」

「なっ、なんですかっ」

「冷やかし、だとか、思った?」

「……」

「図星の反応だねぇ」

「だって」

「――わかったよ。」

 

なにがわかったのかしら、と訝しむ間もなく、

彼女は、クルリと出口のほうを向き、

 

「アカ子ちゃん。バイトは、何時まで?」

 

不審に思いつつも、バイトの終了時刻を教えると、

 

「――だったら、そのとき、また来るよ」

 

迷惑な…! と思うヒマもなく、

 

「おごったげる」

「おごる……?」

「バイトしたら、お腹がすくでしょ。食べたいもの、なんでもおごったげる」

 

し、椎菜さん……もしや、

わたしの、『大食い属性』まで、把握……!?

 

 

× × ×

 

「こんなとこでよかったわけ?」

 

…お行儀悪くも、ドリンクのストローを噛んで、黙っているわたしに、

 

「なんの変哲もない、ファーストフードじゃん」

 

…そう。

わたしのトレーには、すでに食べ終えたハンバーガーの包み紙が、いっぱい。

完全に、食べ散らかし。

社長令嬢らしからぬ、はしたなさ…。

 

万が一、会社の人に目撃されたりしたら、困ったことになる。

困るんだけれど、

それよりも、わたしは……、

じぶんの空腹に、困っていた。

 

「いい食べっぷりだね」

椎菜さんは容赦なく、

「テリヤキバーガーだけで、3つ――」

 

たまらず、椎菜さんをにらみつけた。

数を数えるのはやめてください』の、サイン。

 

椎菜さんは大げさに苦笑する。

 

唐突に、

「あーっ、わかった」

 

…なにがですかっ。

 

「ふだん、こういうファーストフードとか、行かないんだよね。お嬢さまだもの。それで、いっぺん、来てみたかったんだね」

 

…どうしてわかるんですかっ。

 

「あたしたちにとっては、ありふれてるようでも、アカ子ちゃんにとっては、ぜんぜんありふれたお店じゃなかったんだ」

 

「――ありふれたお店じゃないのは、わたしにとってだけとは、限りませんよ」

「?? どゆこと」

「わたしの知人で、中国地方の某地方都市に住んでおられる方がいらっしゃるんですが。

 そのお方は――、

 最寄りのマクドナルドまで徒歩50分だと、嘆いておられましたよ」

「……」

「ですから、マクドナルドのハンバーガーも、なかなか食べられないという人々も――」

「……」

「――そうだ。

マクドナルドまで徒歩50分』のお方は、こうもおっしゃってました。

 ある日のこと、早朝で、周りのお店がどこもオープンしていないので、朝5時から営業しているマクドナルドに行こうと思った。

 でも、歩いていくには遠すぎるし、体力も消耗してしまうので、公共交通機関を使ってみたい。

 それで、自宅の最寄り駅から、ローカル線の始発に乗って、そのマクドナルドの最寄り駅で降りた。

 そして、マクドナルドまで行ってみた。

 ……すると、たいへん不運なことに、

 店舗メンテナンスで、いつもは朝5時オープンなのに、8時オープンだという貼り紙がしてあった。

 朝マックの目論見は崩れ、陸の孤島と化した店舗の前に、そのお方はいつまでも立ち尽くしていた……。」

 

「……アカ子ちゃん、なんでそんなに話を横にそらすの?」

「……すみません、しゃべりすぎました、わたし」

 

呆れ笑いで椎菜さんは、

「そんなに、マックのありがたみを、強調しなくたって」

「ごめんなさい、時間稼ぎというか、文字数稼ぎというか――そういう感じになっちゃいました」

「こらこら」

軽く彼女はたしなめて、

「ますます、あらぬ方向に、『脱線』しちゃうじゃん」

「そうですね。なにをやっているんでしょうね、わたし。バイトの見えない疲れが、影響しているのかしら」

「見えない疲れが溜まってるのなら、」

「?」

「もっと――注文したら?」

 

さ、さすがにこれ以上は……!

 

「いーじゃん。ハンバーガーもナゲットもポテトも好きなだけ食べられる、いい機会だよ?」

「でも……」

「でも、?」

「椎菜さんの、おごりの、予算が……!」

「そんなこと気にしてるの!? 細かいこと言いっこなしだってば」

予算は気にします」

「どして」

社長令嬢だからに決まってるでしょう」

「あ~~」

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】とある土曜日の星崎姫

 

――どの色のリボンにしようかな。

いつもより少しだけ時間をかけて、リボンの色を選ぶ。

 

そしたら、茶々乃(ささの)ちゃんから電話がかかってきた。

 

『おはよう、姫ちゃん』

「おはよう、茶々乃ちゃん」

『えっと、きょう、ヒマ? ――土曜日だし、いっしょに街に繰り出して遊んでみたいなーとか、思ってたんだけどさ』

 

あちゃー。

 

「……ごめん、きょう、用事があるの」

『あー、そっかー』

「ほんとうに、ごめんね。またこんど、近いうちに、買い物とかしようね」

『当日になって急に電話かけたわたしも悪かったよ』

「ううん、ぜんぜん悪くない、茶々乃ちゃんは」

 

ちょっぴり、会話が途切れたかと思えば、

 

『――用事って、ヒミツ??』

 

と、茶々乃ちゃんが攻めてくる……。

 

「……うん。」

『プライベートとか、プライバシーに関わっちゃう?』

「……よく、わかったね」

『だって、姫ちゃんのことだもん』

 

…ニヤケぶりが伝わってくるような口調で、

おたのしみなんだね

と、茶々乃ちゃんは、茶化す…。

 

「ご、ごめんけど、わたし、身支度が済んでないんだ」

『姫ちゃん、身支度に人一倍時間かけるタイプだもんねっ』

「そ、そうなのよ」

『わかった……健闘をお祈りして、電話切る。

 またね~~』

 

 

……お祈り電話?

なんだか、そんな感じになっちゃってた。

 

わたしが健闘する必要性はあんまりないとは思うけど。

――とりあえず、リボンを決める。

 

 

× × ×

 

 

『お笑い文化なんでも研究会』というサークルのお部屋に来ている。

 

テレビ画面に、落語を演じる模様が、映し出されている。

 

NHKの『日本の話芸』っていう番組なんだ」

 

そう説明するのは、

『お笑い文化なんでも研究会』リーダーの、所水笑(ところ みずえ)さん。

 

「こんな番組、知りませんでした」

NHKのEテレは、視(み)ない?」

クラシック音楽関連とか、美術関連番組とかなら、ときどき観るんですけど…」

「そうなんだ」

所水笑さんは、楽しそうに、

「教養派だね」

「教養派…?」

「…深く考えなくてもいいよ」

「……」

「星崎さんの趣味を把握できて、おれとしては、うれしい」

 

……そんなに教養派な趣味かしら。

 

「『日本の話芸』はね、Eテレだと、日曜の14時台にやってる。…まあ、放映時間的には、マイナー番組であるのは否めないかなぁ」

「こんど……チェックしてみようと思います。こんどというか……あしたの日曜日」

「え、マジでか、星崎さん!!」

「わたしは、マジですよ…」

「それは願ってもないけど、なんでそんな、前向き?」

「…『教養派』、だからなんでしょうか。趣味の幅を、趣味の視野を、広げたくて」

「偉いんだねえ~~、星崎さんは」

「せっかく、大学生なんだし。いろんなところを見てみたいし」

「そういうことばを……待ってたよ」

「え!?」

「期待通りのことば、言ってくれた」

 

所水笑さんの思惑が、わかりにくい。

テレビで演じられている落語も、頭に入って来にくい。

 

「――終わっちゃった。番組」

「しゃべってるあいだに、落語家がしゃべり切っちゃったね」

「――それは、ダジャレ的なものですか?」

「そういうもの」

 

少し考えてから、わたしは、

 

「――あの」

「ん?」

「落語、なんですし。1回観ただけじゃ、わからないと思うんですよ」

「おお」

「ですから――所さんがおっしゃる通り、ふたりでしゃべってるあいだに、落語がしゃべり切られちゃって、噺(はなし)がイマイチよくわからなかったので、」

「リピート再生?」

「お願いできますか」

「できるよ。そうだよね。雑談しながらじゃなくって、落語に集中したかったよね」

 

所さんは、もう一度、同じ番組を再生してくれる。

 

黙ってふたりで噺(はなし)を聴いていた。

 

……うん。

よく、わかんないや。

古典芸能……ハードル、高い。

 

 

「……なんども観て、なんども聴いてれば、こういう古典芸能もわかってくるんですかね」

「なんども、か。

 そのご様子だと……星崎さん、またここに来てくれるつもりになった?」

「それはなんともいえないです」

「が、がくっ」

 

……どうしよっかなあ。

 

落語は、難しいし、

所さん、口数が多いんだけど……、

 

口数の多い、所さんなんだけども、

不思議と、

しゃべっていて……楽しかったり、する。

 

 

× × ×

 

「次のときは、『オールザッツ漫才』のDVDを見せてあげるよ」

「なんですか? それは」

「関西のMBSテレビが年末にやってる特番なんだ」

「へえぇ……関西」

「お笑い文化で、上方文化(かみがたぶんか)のウェートは、やっぱし大きいからさ」

 

所さんの言っていることは、正直、よく汲み取れない。

だけど、

彼の、語り口は、ハツラツとしているし、

眼も、輝いているから、

ついつい、好感、を……持ってしまう、わたしがいる。

 

× × ×

 

所さんのサークル部屋を出て、

学生会館を出て、

駅に来て、

電車に乗って、

降りて…向かった先は。

 

 

『リュクサンブール』というお店の扉を、開ける。

茶店

入ると、眼に飛び込んでくるのは――、

 

ウェイター姿の、戸部くん。

 

わたしの襲来によって、戸部くんは、口を半開きにして、うろたえ始める。

 

やがて、じぶんの仕事を思い出し、

入り口付近のわたしに歩み寄り、

 

「おひとりさまか? おひとりさまだよな??」

 

――見たらわかるじゃん。

 

「見たらわかるじゃん。はやくエスコートして」

エスコートって、おまえなあっ」

「ツッコミ入れてるヒマないよん♫」

「……悪魔か。おまえは」

「言い過ぎっ」

「じゃあ、小悪魔で妥協しておく。とっととおれについてこい」

「それがお客さんへの態度!?」

 

…背中を向けたかと思えば、

「たしかに、な。お客さまは、神さまだ」

「…でしょっ」

「だがしかし、

 まれに……神さまのなかに、小悪魔がいる」

蹴るよっ!?