【愛の◯◯】嘆きのロマンチストの、軽やかに揺れるポニーテール。

 

キョウくんから、LINEメッセージ。

 

『きょうのバイトも、体調に気をつけて、がんばってね!』

 

『ファイト!!』というスタンプ付きだった。

 

うれしい。

 

『うん、がんばるよ。

 キョウくんがいるから、がんばれるんだよ。』

と返信した。

 

…こっ恥ずかしい文面になっちゃったかも。

 

 

× × ×

 

例によって、お客さんが帰ってしまって過疎る時間帯に、『彼女』が入り口ドアの鐘を鳴らして、入ってきた。

 

 

「八重ちゃんは?」

 

『彼女』――ポニーテールのお姉さんは、中身のビールが半分になったジョッキを置いて、わたしに尋ねてきた。

 

「八重子は都合で休みです」

面と向かい合うわたしは答える。

 

「じゃあ、葉山さん、あなたとマンツーマンだね」

 

…マンツーマン、って。

 

若干困惑していると、おじさんが、わたしの手もとにメロンソーダを運んできてくれた。

メロンソーダ効果で、少し気分が落ち着く。

 

「葉山さん、メロンソーダ好きなの?」

「あ、ハイ」

彼氏とメロンソーダとどっちが好き?

 

 

……びっくりして、メロンソーダのグラスを倒しそうになった。

 

 

「こ、こぼれるじゃないですかっ、せっかくのメロンソーダが」

「動揺しちゃったかあ」

「『動揺しちゃったかあ』、じゃないですよっ!」

「声がハイトーンになってる、葉山さん」

 

……。

 

「じょうだんで、じょうだんでいったんですよね」

「そうね。基本冗談」

 

わたしを……試してる、のかな?

 

『動揺してるから、図星なんだな』って――察知してるのかもしれないけど。

27、8歳ぐらいの、オトナのお姉さんだから、手ごわい。

 

 

あえて、言ってみる、

「……メロンソーダより、彼氏のほうが大好きに決まってるじゃないですか」

と。

 

「お? …ノッてきてくれた」

「ノリました。」

「いるんだ。」

「いますよ。」

「何年目?」

「――何年目とか、そういうのじゃ、なくてですね」

「だったら、どういうの?」

「――幼なじみなんです」

「おおぉ」

 

「おおぉ」じゃ、ないですからっ。

 

「うらやましい――わたしには、そんな子、いなかったから」

「幼なじみが?」

「幼なじみが。」

 

じゃあ――。

 

「じゃあ――、初恋とかも、なかった、と」

 

わたしが不意を突いたおかげで、

ポニーテールお姉さんは、いっしゅん固まる。

 

初々しさに染まった顔で、

「は、葉山さん、ドッキリさせないでよ」

と愚痴る。

 

「したんですね、ドッキリ」

「あなたを、舐めてた」

「メロンソーダよりは、甘くはありません」

 

そう、

メロンソーダよりは、甘くはない。

 

ビールの苦味なんて……知らない、わたしだけど。

 

 

不服げなポニーテール姉さんは、ちびちびとビールを飲む。

飲んでいって、時間をかけて、中ジョッキを空にする。

 

「ビール、おかわりしたいんじゃないですか?」

「とーぜん」

「なら、わたしがジョッキを――」

「やだ、あなたの助けは借りない」

「え」

「じぶんで、やる!」

 

彼女は、ほんとうに中ジョッキを自分自身でカウンターに持っていった。

そしておかわりビールをおじさんに注(つ)いでもらい、じぶんの『指定席』に戻ってきた。

 

ごくごくごくと、一気に3分の2ほどビールを飲んでいって、

いささか乱暴に、ジョッキをテーブルに置く。

 

「――経験が少ないんだよね」

 

フラストレーションを紛らわすような表情で、彼女は言う。

 

「――めぐり合わせが悪いの」

 

経験が少ない。

めぐり合わせが悪い。

 

つまりは、

「男運のなさを……嘆いてるんですね」

 

「……まあ、お察し、しちゃうよねえ」

ジョッキを持ちつつ、彼女は苦笑い。

 

「高校の同級生とかさぁ」

そう言ってから、ジョッキを飲み干し、

「続々と結婚したり、家族を作ったり、だし。

 同じ部活だった子にしても、

 部活内恋愛…とはちょっと違うかもしんないけど、

 部活やってたときから既に、いい感じになり始めてて、

 高3の夏あたりから、よりいっそういい雰囲気が増していって、

 ふたりの進路は分かれたんだけど、

 卒業間際には……苗字じゃなくて、名前で呼び合うようになったり、

 進路は分かれたけど、関係は、別れるどころか、加速度的に進展したりで、

 ふたりにとって、つらくてきびしいこともあったりだったみたいだけど、

 そういうのも含めて、お互い社会に出てからも――くっついたり離れたりを、繰り返して、

 そんな、『大恋愛』を――繰り広げた、あげく、」

 

「――結ばれたんですか? ふたりは」

 

わたしが訊くと、軽く笑って――、

「結ばれるよ――もうじき。」

 

おかわりビールを摂取した影響で、

あどけなさ混じりの笑顔。

 

頬杖をついて、

その弾みで、ポニーテールが、軽やかに揺れる。

 

祝福の笑い顔が、わたしの眼にうつる。

 

これだけ、部活の同級生の『大恋愛』を、語れるってことは、

案外に……ロマンチストなのかも。

 

でも、

『じぶん』は……どうなんだろう?

 

男運は嘆くけど、

踏み込んだ事情は、教えてはくれない。

 

経験の少なさ、めぐり合わせの悪さ。

そんななかでも……30年近く、生きてきたならば、

それなりに、出逢いと別れが……あったはずで。

 

 

だって、こんなに美人なんだもの。

 

 

美人、だけを『理由』にするのなんて――おかしい、っていうのは、承知の上。

それでも……。

 

 

……氷が溶けたメロンソーダを味わいながら、

彼女の美貌も、同時に味わっている。

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】生徒役とイントロクイズ

 

やったぜ。

きょうは、バイトのシフトが入ってない。

つまり、一日中、お休みだ。

自由だ、フリーダムだ~!

 

 

……というような認識は、あまりにも、甘かった。

 

 

リビングのソファでごろ寝していたときだった。

愛が、通りかかってきて、

「ねえちょっと、アツマくん」

「…?」

「こっち向いて」

 

…イヤな予感しかしねぇぞ。

 

「はい。こっち向けた。よくできました」

「愛よ。おまえ……なにを、たくらんでる」

「うふふ、うふふのふ」

「なんだよその気色悪いリアクションは」

「気色悪くないからー。

 ……あのね。

 これから――、

 わたしの生徒になってくれない? アツマくん」

 

× × ×

 

教科書やら参考書やらをワンサカ持ってきて、

テーブルの上にドバァッと広げる愛。

 

「おれになにさせる気なんだ」

「生徒役をやってよ」

「ってことは、おまえが、先生か?」

「そ。あなたには、高校時代に戻ったつもりでいてほしい」

「いったいどんなキッカケで…」

「ん~~」

「おっ、おい」

「キッカケ、教えてあげてもいいし、教えてあげないままも、それはそれでいい」

 

いつも以上に、意味わからん。

 

「せっかくのお休みだったのに、おまえに拘束されるのかよ」

「されてよ」

「大学生になっても、おまえはホント、ワガママだな……」

「まずは、日本史と世界史ね」

 

 

おれに向かって歴史を講義する愛。

 

悔しいが……愛の講義は丁寧で、わかりやすい。

 

学ぶ才能だけでなく、教える才能までも。

 

問題は、人格、か……。

 

 

「…どうかしら? ヤマト王権と、帝政以前のローマについて、よく理解できたかしら?」

「…わりと、よくわかった」

「なら、さっそく、『理解度の確認』ね」

「げ、テストかよ」

「わたしの口から問題を出します」

「クイズみたいだな」

「そうともいうわね」

「――合格ラインは?」

「10問中8問正解」

「き、きびしすぎる」

「正解が7問以下だったら……」

「だ、だったら?」

「あなたには、歴史だけでなく、古文の文法も勉強してもらうわ」

 

ああ……。

愛のせいで、がんじがらめだ。

 

 

× × ×

 

「なんで青息吐息なの? お兄ちゃん」

「あすか――帰ってたのか」

「とっくに」

「あのな……おれ、愛にスパルタ教育されてたんだ」

「へぇえ」

あすかは真っ黒な笑いで、

「面白いじゃん」

「お、面白がるなよ」

「でも、スパルタ教育って、どんな?」

「高校の歴史科目と、古文文法を復習させられた」

「なんで」

「それは教えてくれなかった」

「そうなんだ」

「……でよぉ。ひどいんだぜ。古文の助動詞を、ぜんぶ言えるようになるまで、叩き込まれて」

「あー、おねーさんなら、そのくらいやりそう」

「お、おまえは、愛が厳しすぎると思わんか!?」

「いいじゃん」

「いいって、おい」

「まさに――だよ。お兄ちゃんに対する」

「――それでうまいこと言ったつもりか」

「つもり」

 

× × ×

 

「お兄ちゃーん、ここで、音楽再生しても、いい?」

「べつに構わない」

「お」

「?」

「寛容だね。寛容レベルが、1上がった」

「なんだよ、寛容レベルって…」

「寛容ついでに」

「は」

「お兄ちゃんには、ちょっとわたしの趣味に、つきあってほしい」

「趣味につきあうってどういう意味だ」

 

いつの間にやら持ってきたPCをいじくって、

Spotify使って、イントロクイズ

「!? お、おうちでドレミファドン、かよ」

「……ドレミファドン??」

「……や、なんでもない」

 

「これからわたしが、とある洋楽のイントロを流します。

 お兄ちゃんは、バンド名を答えて」

「……ああ」

「曲がりなりにも音楽鑑賞サークル所属なんだし、まー、余裕で正解できるでしょ」

 

そこはかとないプレッシャーだな。

 

「行くよ。流すよ」

「うむ」

 

流れ出すイントロのギターリフ。

 

このギターは、

このバンドは……!

 

「さあバンド名をお答えください」

「よし――、

 レッド・ツェッペリン

バカなのお兄ちゃん!?!?

「え、え、そんなにトンチンカンだったか、おれの答え!?」

 

妹はムスーーーッとして……、

 

ブラック・サバス

 

「あ、あっ、まずったか」

「まずったねー、完璧に」

 

イラつき気味に、右手の人差し指で、テーブルをひたすら叩き続け、

ツェッペリンとサバス、混同するレベルだったの!? お兄ちゃんの音楽知識」

「……ごめん」

「ごめんじゃすまされないよ。3年間も音楽鑑賞サークルにいて、なにを学んできたの」

「……すんません」

 

「イントロクイズ、続行」

「はい……」

 

こんどは……邦楽ロック。

これは、このバンド名は……わかるぞっ。

 

サニーデイ・サービスサニーデイ・サービスだな」

「バンド名だけじゃ正解じゃないよ」

「嘘だろ」

「本当。曲名も」

「……」

「曲名答えられたら、100円あげる」

「………………『東京』か?」

おしい!! 50円

 

妹よ……。

 

「『青春狂走曲』だよ。『東京』は、『青春狂走曲』が入ってるアルバム」

「あっ」

「――けど、いい線行ってた。50円だけ、見直した

「――うれしそうだな」

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】「大きな器は、磨かなきゃ」

 

借りていた本を図書館に返しに、文学部キャンパスまでやってきた。

 

9月になっても、夏休み。

大学ならではだ。

したがって、キャンパスに人もまばら。

 

図書館の開館時間も短縮されているし、

カフェテリアの営業時間も短縮されている。

 

…短縮されてはいるけれども、ちょうど、カフェテリアの営業時間中だった。

せっかくなので、お昼ごはんを食べて帰ろうと思い、本を返却したあと、カフェテリアに直行した。

 

すると、

知った顔の女子学生が、いまにも、カフェテリアに足を踏み入れようとしているではありませんか!

 

紬子(つむぎこ)ちゃん!

 

大きな声で、呼び止めた。

大声すぎたかな。

 

振り向く、古木紬子(ふるき つむぎこ)ちゃん。

彼女は、政治経済学部

政治経済学部なのに、なぜ、違うキャンパスのカフェテリアに赴いているのか……それには、ワケがある。

 

ワケあり紬子ちゃんは微笑して、

「愛さんじゃないの、こんにちは」

「こんにちはー」

「奇遇ねぇ」

「エヘヘ……図書館に、本を返す用事があって」

「ほんとうに読書家なのねぇ」

「そうともいう」

「――あなたも、文カフェ?」

「だめだよ紬子ちゃん。早稲田大学戸山キャンパスのカフェテリアみたいな略しかたしちゃ」

「――かも、しれないわね」

 

わかって、くれたかなあ。

…もとい。

 

「…太陽くんと、きょうも、バトルするのね」

「そうよ」

「紬子ちゃんの舌が勝つか、太陽くんの味が勝つか…」

「私は負けないわ」

 

……この自信。

 

 

× × ×

 

げえっコムギコ

ちょっと!! 失礼ね

 

紬子ちゃんの顔を見たとたん、太陽くんが「コムギコ」呼ばわりした瞬間から、バトルの火ぶたは切って落とされていた。

 

「私は、小麦粉じゃなくて、紬子よ!?」

「けっ」

「名前ぐらい、ちゃんと憶えなさいよ」

 

忠告する紬子ちゃんを、ジロリ、と見たかと思えば――、

 

「――紬子、注文は?」

 

いきなりいきなり、下の名前を、呼んだ……!

 

100%不意を突かれて、絶句したのち、

 

「……馴れ馴れしいわ」

「じゃー、なんて呼べばいい? やっぱ、コムギコのほうがいいか?」

「……いいえ、苗字の、古木で」

「古木、ね」

「私は……『及川くん』って呼ぶ」

「ほほーっ。俺の苗字、知ってんだな」

「知らないほうがおかしいでしょう」

「ほお」

「『ほお』じゃないわよ」

「――で、古木の注文は?」

「……コロッケうどん」

 

 

 

わたしも紬子ちゃんと同じく、コロッケうどんを注文した。

 

美味しくいただいたあと、

「文句のつけようもない美味しさ。サクサクコロッケとコシのあるうどん、そしてお出汁(だし)の奇跡的なハーモニー」

と、食レポのごとく、感想を言ったわたしであった、のだが、

 

「愛さんは――ずいぶん、ベタボメするのね」

 

腕を組みながら、不穏さまんまんに紬子ちゃんが言ってきたから、つらい。

 

 

紬子ちゃんは席を立って厨房の方角に突進する。

 

「なんだよ、文句あっか」

「――麺が、弱点だわ」

「は!?」

「うどんの茹でかたに、工夫の余地があるはずよ」

「し、素人がなめくさりやがって」

「私の舌は――素人じゃないから」

「……この、評論家ッ」

「言わせておくわ……」

 

 

あ~。

泥仕合だ。

 

× × ×

 

食器を返却するわたし。

 

そこに、太陽くんが近づいてくる。

 

「どうしたの太陽くん? 厨房から出てきて」

「――折り入って、頼みがあるんだ」

「え、え、頼み?」

 

ずいぶん突然な。

 

「頼む。――営業時間終わったあとで、もう一度、ここに来てくれないか…?」

 

「――愛さんに、愛の告白でもするのかしら?」

るせぇよコムギコ!! んなわけねえだろが

 

わたしたちの背後からやってきた紬子ちゃん。

紬子ちゃんのからかいにブチ切れの太陽くん。

 

またもや、にらみ合いだ…。

 

「及川くんがあまりにも短気だから――営業時間のあとで、私もここに戻ってくるわ」

「信じられない理屈の不可解さだな」

「だって、及川くんと愛さんのふたりだけじゃ、安心できないもの」

「どういう意味だよ安心できないって……」

 

しかし、若干表情を和らげて、太陽くんは、

「でもまあ……古木も、いたほうが、俺にとっては助かるかもな」

 

「……?」

「……?」

 

紬子ちゃんと、わたし、

ふたりそろって、キョトンとしてしまう。

 

 

× × ×

 

勉強が――したい!?

 

ついつい、驚きの声を上げてしまうわたしだった。

 

「俺、中卒だから。高校でやる勉強に、興味があって――いまからでも、勉強、してみたいと思って」

 

並んで座るわたしと紬子ちゃんをまじまじと見て、

 

「あんたら――かしこいだろ」

 

「……」

「……」

 

「――時間があれば、でいいんだが」

 

「時間なら――いくらでもあるよ」

そう言ったのは、わたし。

 

「マジか愛さん!? …なんだか、俺に勉強教えるのに、前向きみたいだな」

「前向きよ。前向きに、決まってる」

「…どうしてだよ?」

「太陽くんが……偉い、から」

「偉い???」

「偉いというか、凄いというか。並大抵じゃない、向上心よね」

「向上心……」

「勉強に関する向上心だから、『向学心』」

「向学心……」

「天才、なのかも。太陽くんって」

「!? いきなりな」

「わたしは本心だよ。

 料理の才能はもちろんだし、料理の才能以外も、ぜーんぶひっくるめて、あなたは天才的だな…って、思うの」

「……困っちまうよ。いきなり、俺が、天才だとか」

 

「――私は、愛さんとは違って、及川くんが天才だとは、とても言えないと思うけれど」

 

「……なにが言いてぇんだよ。古木」

 

「大きな器(うつわ)、だとは……思うわ」

 

「大きな……器……」

 

「高校の勉強をいまからやってみたい、と思い立つ時点で、並大抵の器じゃ、ないわよね」

 

「ホメてんのか……?」

 

「そういう器ならば……なおさら、磨いてあげなきゃ」

 

「お、俺の質問を素通りすんな」

 

「してないわよ」

 

「は?」

 

「まず、磨くべきは……『読解力』、みたいね」

 

× × ×

 

こうして、わたしと紬子ちゃんは――、

太陽くんの、『先生』に、

なることになった。

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】「きみを見てきた」

 

渡り廊下を歩いていたら、放送部の北崎部長に出くわした。

 

「あ、どうも…」

「羽田くんだー。これから、KHK?」

「そうですね」

「夏休みのあいだも、けっこう活動してたんだよね」

「していましたね」

「大丈夫だった?」

「え? なにが、ですか」

「なぎさに――イジメられてなかった?」

 

そこを、気にしてるのか。

 

「――前よりは、板東さんも脅威ではなくなりましたよ」

「脅威って。面白いことばづかいするね、羽田くんって」

「んっ……」

「日本語が、独特だ。帰国子女だからかな?」

「……関係ないと思いますが」

 

「まあ、なぎさが怖くないのなら、いいんだよ」

「はあ……。」

「けど、なぎさにイジメられたりしたのなら、いつでも、放送部に駆け込んできてね

「駆け込むって……北崎さぁん」

駆け込み寺ですか。

「受け入れ体制は整ってるから」

「……」

「なんでそんな、あきれた顔つき?」

なにも答えずにいると、

「もっと頼ってよ、お姉さんを――、羽田くんっ」

「――勝手に『お姉さん』を自認してもらわないでくれますか」

「は、羽田くんが怒った」

怒った、は大げさですよ……。

「反抗期!? 羽田くん、反抗期!?」

だから、大げさですって……!

 

「素朴な疑問、いいですか」

「なに??」

「北崎さんは、いつまで部長を辞めないんですか」

「そろそろ辞めるよ。2学期になったし」

「あ、辞める気あったんですね」

「ないと思ってたの!?」

「…本音を言えば」

「なぎさほど、往生際は悪くないから」

「…だけど、卒業まで、名誉職みたいに、部に居座るパターン」

どうしてわかったの!?

「わかりますから!」

 

 

× × ×

 

「ねーねー羽田くん」

 

【第2放送室】。

だれがどう見ても往生際の悪い、板東さんが、ぼくに声をかけてきた。

 

「なんですか? なにかの、提案ですか?」

「うん。『ランチタイムメガミックス(仮)』に関する――」

打ち切るんですか?

「ちょ、ちょっ、なんでそんなヒドイことをっ」

「8割は冗談ですよ」

「に、2割は本気だったの、ヒドすぎだよ」

 

板東さんをじーっと見るぼく。

 

「…そんなにコワい眼つきしないで」

「してませんが」

「…わたしが言いたかったのはね、

 いい加減、『ランチタイムメガミックス(仮)』っていう、長ったらしい番組名を変えてみたらどうか、ってこと」

「ぼくに、うかがいを立てなくても……パーソナリティの板東さんが、自由に改変すればいいんじゃないですか」

「いちおう、うかがいは立てておくの」

「はぁ…」

「――『板東なぎさのナギちゃんスマイル!』とか、どう??」

「――どうと言われましても」

「つ、つれない、つれなさすぎ」

「板東さん、『長ったらしい番組名』とか、言ってましたけど」

「う、うん、」

「短くなってないじゃないですか」

「あ、あっ!」

「……提案する前に、気づいてくださいよ。

『板東なぎさのナギちゃんスマイル!』じゃ、『ランチタイムメガミックス(仮)』と同等に、長いですよ」

 

ぼくが、新タイトル案たる『板東なぎさのナギちゃんスマイル!』を復唱したのが、気恥ずかしかったのか、少し照れ顔になる、板東さん。

あんまり照れないでくださいっ。

 

 

 

「新タイトル案もいいけど、次の番組企画は、どうするの?」

 

クリティカルな発言をしたのは、黒柳さんである。

さすがは黒柳さんだ。

次に作る番組の企画を立てるほうが、KHKにとって、より重要だ。

 

「板東さんのことなら、きっと、夏休みのあいだに、企画案をいくつも――」

と黒柳さんが言った。

 

言ったのだが、

「――頭になかった。企画案、頭になかった」

と、板東さんが黒柳さんの期待を裏切る。

 

「えっ、きみらしくないね」

 

きみらしくないね、がシャクにさわったのか、仏頂面で黒柳さんを見やりつつ、

「いろいろ忙しかったんだよ」

と言い訳の板東さん。

「黒柳くんだって――3年のわたしたちが置かれてる立場とか、わかるでしょ?」

「まあねぇ。受験勉強とか、ね――」

 

板東さん、忙しいと言う割には、再三休み中に登校してましたよね――というツッコミは……野暮だろうか?

 

「どうせ、黒柳くんだって、な~んにも次の番組企画のこととか、考えてなかったんでしょ」

 

「――って、思うよね?」

 

「え、え、なに、黒柳くん。フェイントかけないで」

 

「フェイントってなに」と、苦笑してから、

「ぼくだって、なんにも考えてないわけじゃ、ないんだよ」

 

硬直する板東さん。

 

硬直お構いなしに、

「企画のひとつかふたつなら、考えるさ――ぼくだって。長い休みで、それなりに時間はあったんだから」

 

…かっこいい。

かっこいいですよ、いまの、黒柳さん…!!

 

「番組プラン、言っていいかな?」

 

「どうぞ……」と、タジタジの板東さん。

 

「あのね、ひとことでいえば、『読書会』」

 

「……読書会?」

 

「読書会をセッティングして、その模様を撮(うつ)して、番組にしたらどうかなあ…と思って」

「撮すって、テレビ番組?」と板東さん。

「そうだよ。たぶん、テレビ番組にしたほうが、面白いと思う」と黒柳さん。

 

読書会を、テレビ番組に、か。

いいアイディアだな、と、素直に思う。

 

「近年流行りのビブリオバトル形式なんかにしてもいいし」

 

黒柳さん――深く、考えてる。

 

「……でもなんで、読書会なの。テーマをそれにした、理由は?」

「それはね、」

黒柳さんは言う、

「板東さん、きみが――やりやすいだろう、と、思ってだ」

 

「やりやすい、って……どういうこと!?」

 

「だって。きみは読書が、好きだろう」

 

「そんなに……本読みなわけじゃないよ、わたし……」

 

あたたかな苦笑いで、

「説得力がなさすぎるって」

と、黒柳さん。

 

「わ、わたしの読んでる本の数なんて、たかが知れてるもん」

「――読書は、数じゃない」

「数も――関係するよ」

「するにしても。

 …きみが、どんなに謙遜したって。

 謙遜すればするほど、きみの読書好きは、揺るがなくなる」

「リクツに……なってないじゃん」

 

「板東さん。」

「な……なにかな?」

「ぼくは、数え切れないぐらい――見てきたんだよ」

「……なにを。」

「板東さん、きみが――学校の図書館に、入っていくのを」

「――なんで、数え切れないぐらい、見るの。」

「見えちゃっただけさ」

「ホントに!? そんなに目撃機会多いなんて、不自然――」

「――区立図書館でも見た」

「!?」

「学校近くのブックカフェでも、ジュン◯堂でも、◯おい書店でも――見た」

 

呆然とする板東さん。

 

 

 

× × ×

 

――彼女は、

『つきまとってるの!?』とか、『ストーキング!?』とか、

黒柳さんに、いっさい、言わなかった。

 

心の底では、黒柳さんを信頼しているという、裏返しなのか。

 

あるいは……『まんざらでもない』、のか……。

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】新学期はトライアングル的に

 

「加賀くん、読書感想文出さなくって、椛島先生に怒られたんだって?」

「ゲッ、あ、あすかさんが、なぜそんなことを」

「狭い世界なんだよ。あっという間に伝わるよ」

「……にしたって、どういう情報網なんだよ」

 

いかにも不審げな顔つきの加賀くん。

 

――構わず、

 

「ねえねえ」

「な、なに」

椛島先生、きょう、ここに来るよ」

ここ、とは、活動教室のこと。

「――なんといっても、2学期初日だからねぇ。部活の様子を見に来たくなるでしょ、顧問として」

「……いつ、来んの?」

「4時だって」

 

にわかにホッとした表情になる加賀くん。

『なんだー、まだ先じゃねえか……』と、顔が言っている。

よくないなー。

 

たしかに、時刻はまだ3時前だけど。

きょうは始業式、だけではなかった。

始業式に加え、何教科かの授業の、おまけ付きだった。

『始業式の日に授業なんてやるのか――?』

という疑問は、織り込み済み。

 

――とにかく、少し授業もあって、2時半から放課後だった、というわけ。

 

それはそうと。

 

「安心してる場合じゃないよ加賀くん、まだ椛島先生のご到着まで時間があるからって」

「ん……」

「先生、怒ってるよ。加賀くんの顔見たら、怒ると思うよ」

「んん……」

「説教、されたくないでしょ?」

「……」

「説教されないためには、どうしたらいいと思う?」

「……」

「誠意を見せなきゃね」

「誠意、って」

「かたちだけでも、がんばってるふうに見せるんだよ」

「それが、『誠意』に、なるか?」

「…読書感想文やってますオーラを、漂わせるんだよ」

「…おれのツッコミは無視か」

 

かくなる上は――。

 

「わたし、図書館行ってくる」

「あすかさんが!? なんで!?」

「キミが読書感想文書くための、本探しに決まってるじゃん」

 

× × ×

 

問答無用で、図書館におもむき、

そしてさっそうと、活動教室に帰ってきた。

 

「……早かったな」と加賀くん。

「早いよ」とわたし。

 

わたしは、

フランツ・カフカの『変身』を、借りてきた。

 

「なんだこりゃ」

「なんだこりゃ、じゃないよ。…これ、わたしが、高1のときに読んで、読書感想文書いた小説」

カフカ、って――翻訳ものなのかよ、それ」

「翻訳はヤダ?」

「ヤダ、ってわけじゃ……」

 

ま、そもそも加賀くんの『読書力』なんて、たかが知れてるんだよね。

いまは、そんなことを云々してる場合じゃないんだけども。

 

「ホラ、読むの」

「いま!?」

「読んで、椛島先生を待つ。で、先生が来たとき、『感想文書くためにがんばって読書してるんです』アピールを、する!」

「アピール、ねぇ…」

「薄いでしょ? その文庫本。『変身』って、長くない小説だから、加賀くんでもがんばれば読めるよ。がんばって、読もうよ」

 

『変身』を、差し出すわたし。

 

受け取った加賀くんが、ページを開く。

 

しかし、

ページとにらめっこしたかと思えば、3分ともたずに……あっけなく、本を閉じてしまう。

 

「ちょっちょっとお!! あきらめるのが早すぎるよ!!」

「だるい。めんどい」

 

なんなの、この子。

ふだん、あんなに分厚い詰将棋の本を、読みふけっていて、

上級者向けの将棋戦術本だって、読みこなしてる、

そんな加賀くんなのに。

 

将棋以外の本になると、ものの3分で、あっさり、投げ出す――。

 

「――あきれた」

 

急速に、加賀くんを読書に向かわせる気力が萎えていって、

 

「本は持っといてよ。

 どうせ、読まないにしても。

 ――わたし、キミが椛島先生になに言われたって、知らないんだからね」

 

と、加賀くんのテリトリーから、離れる。

 

勝手に詰将棋でも解いてればいいんだ。

で、勝手に、椛島先生にお説教されてればいいんだ……!

 

× × ×

 

気分転換、気分転換。

 

1年生3人の様子をウオッチングして――気分転換だ。

 

 

会津くんの席に、ヒナちゃんが近づく。

「あのね、えっとね、会津くん」

「――『アメちゃん』、か?」

「! そ、そうだよよくわかったねっ、きょうは、大盛りサービス」

 

ほんとうに、両手いっぱいに、キャンディを、持っていた。

 

「ありがたく受け取るが、こんなにいっぱいキャンディを舐めたら、糖分の過剰摂取になるような気が――」

「な、舐めきれなかったぶんは、お、お持ち帰りで…いいでしょ??」

「日高」

会津くんは、するどく、

「どうしてきょうの君は、そんなに歯切れが悪いんだ?」

 

ドッキリと眼を見開くヒナちゃん。

あーあー。

 

「…なぜそこで固まる」

「……。

 あ、あ、あ、会津くんっ」

「どうした」

 

いっしゅん間を置いて、ヒナちゃんは、

 

「『エクレーるん』……ありがとうっ」

 

「『エクレーるん』? ――夏祭りのとき、ガラガラの抽選で当てた、キャラクターのことか?」

 

彼女はうなずく。

うなずいたあと、目線が、上がらない。

 

「よろこんでくれてるなら、良かったよ」

 

「……」

 

「もしや、こんなにたくさんキャンディをくれるのは、『エクレーるん』のお返しの気持ちを込めて――だったり?」

 

するどいなー、会津くん。

冴えてる冴えてる。

 

「……そんなところ」

 

受け答えのあとで、

ヒナちゃんは、会津くんと、反対向きに。

窓を、見つめているみたい。

なんとなく、黄昏(たそがれ)モード。

 

や、黄昏、とまでは――行かないか。

わたしの意識が過剰かな。

 

 

こんどは会津くんのそばに、ソラちゃんがやってきた。

 

会津くん、キャンディちょっともらうね」

いきなり言う。

言って、すばやくキャンディを、つかみ取る。

 

「夏祭りのときわたし、イチゴのかき氷、おごったでしょ?」

 

へー、そうなんだあ。

 

「だから、会津くんのぶんのキャンディを、少しだけ分けてもらったって、いいよね?」

 

「構わないが……」

会津くんが答えた、

のと、ほぼ同時に、

 

ソラちゃんのことばに敏感に反応したかのごとく、

クルリ、と、ヒナちゃんが、顔を振り向けた。

 

そしてその振り向けた視線は――ソラちゃんの顔に、注がれる。

 

「――ヒナちゃん?」

 

困り始めた顔つきのソラちゃん。

 

難儀なことになってしまうような、不穏さが――、

わたしのもとにも、やってくる。

 

「――も、もしかして、ヒナちゃん、

 会津くんのキャンディ取っちゃうの……ダメだった?」

 

なぜか、悩ましげな眼つきで――ヒナちゃんは、

 

「そんなこと……思ってないし、言うつもりも、なかったよ」

 

「じゃ、じゃあ、どうして、どうして急にこっち見たの」

 

「……」

 

なおも、眼つきが悩ましげなまま、

ヒナちゃんは、ソラちゃんに、沈黙……。

 

……うろたえ半分、いらだたしさ半分に、

 

「なにか言ってくれないとわかんないよっ、しゃべってよ、ヒナちゃんっ」

 

と、ソラちゃんが……。

 

 

いま、いちばんつらいのは……間違いなく、会津くんだ。

 

部長のつとめ、果たさなきゃ、いけないか……と、思い始めた、

その刹那、

 

ガラーッと入り口扉が開き、

われらが顧問・椛島先生が……入室して来られたのである。

 

……1年生トライアングルの不穏さには眼もくれず、

手早く、加賀くんを発見した椛島先生は、

『おかんむり』な顔で、あたかも突進するかのように、将棋盤を前にした彼に、向かっていった……。

 

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】真夏のピークはとっくに去って……

 

シナモロールのぬいぐるみに寄り添いながら、ウトウトと浅い眠りに落ちていた。

 

…眼が覚めた。

しまったな。

クーラーでちょうどよく冷やされたお布団が気持ちよくって、つい…。

まだ、午前なのに。

 

まっしろなシナモロールの頭をナデナデしながら、反省。

 

顔でも洗って、気合を入れよう……と思いながら、部屋を出た。

 

そしたら、利比古くんとバッタリ。

 

ずいぶん『よそゆき』な、彼の格好が、眼につく。

 

「……出かけるの、どっか?」

とりあえずわたしは問う。

 

そしたらば、

「ハイ。ごはんを、食べに」

と彼は答える。

 

――こころなしか、照れくさそうに、

彼は、答えた。

 

「その様子だと――、

『だれかと』、ごはんを食べるんだね」

 

「さすがあすかさんですね。ご名答」

 

……。

 

「はあ」

「え、その反応は、なんですか」

「ご名答、じゃないよっ、利比古くん」

「えーっ」

「えーっ、じゃないよっ!」

 

利比古くんのハンサム顔をぎょろり、と見て、

 

「――ほのかちゃんと、でしょ?」

 

「ご、ご名答っ…」

 

「そっか、そっかぁ~」

「あすかさん…?」

「やっぱり、スミにおけないや。利比古くんも」

 

それからわたしは、

「ごはんだけじゃ、ないでしょ。ごはんのあとで、どっかに行くんでしょ」

 

「……はい。本屋さんめぐりを、する予定で」

「まー、そんなところだよねー」

 

わざと、ニヤけた表情を作りつつ、

「いってらっしゃい。頑張ってきなよ」

と激励。

 

「いってきます……」と彼は応答。

いくぶん、わたしの勢いに押され気味に。

 

 

 

――うまく、ニヤけられてたかな? わたし。

 

× × ×

 

それにしても。

 

この前の夏祭り、利比古くんとほのかちゃんをハメて、

わざとふたりきり状態にした、『主犯格』は、

他ならぬ、わたしなわけなんだけど、

 

――トントン拍子だな。

 

 

さっきの会話の中で、『デート』という単語は、いちども出なかった。

だけど、出なかったからこそ、

『デート』する、という事実が、

強く、浮き彫りになる。

 

――そっかぁ。

 

利比古くんとほのかちゃんが、そういう仲に……ねぇ。

 

おねーさんに、報告すべき?

いや、おねーさんなら、自然に気づいちゃうか。

 

わたしの出る幕ないな。

すこっしも、ない。

 

 

 

……おめでたいこと、なんだよね?? これって。

 

 

 

× × ×

 

顔を洗って、部屋に戻った。

 

利比古くんはとっくに出かけた。

 

 

…本棚から、文庫本を取った。

 

なにか読みたい気分だった。

本の世界に、没入したい気分だった……。

 

教養を育(はぐく)むために自腹で買った、

フランツ・カフカの小説。

 

勉強机にきちんと座り、カフカをわたしは読んでいった。

でも、少しも、少しも、カフカの世界に、没入できない。

カフカの世界とわたしのコンディションが、うまく噛み合わないのか。

 

「…そもそもカフカで気晴らししようなんて思ったのが、間違いだったのかな」

 

独(ひと)りごちる。

 

「…はーぁ」

 

ヘンなため息、ついちゃった。

どうやら、

読書って調子じゃ――ないみたい。

 

 

「文学がだめなら、ロックだ、ロック」

また不要な独(ひと)りごと言って、スマホをスタンドに立てる。

 

例によって、90年代&00年代邦楽ロックのプレイリストを再生開始。

ベッドに腰かけ、楽曲に耳を委(ゆだ)ねる。

 

このブログを昔から読まれている方々は、ご存知かもだけど――、

時代遅れの90年代&00年代邦楽ロックほど、わたしの耳には心地よくて。

リアルタイムで聴かなかった曲ばっかだから、後追いといえば後追い。

だけどそんな、後追いでたどり着いた楽曲ほど、不思議と耳にしっくりくる。

 

もっとも、わたしの趣味を延々と語るタイミングでは、ない。

 

初期のくるりの曲を聴く。

初期のサニーデイ・サービスの曲を聴く。

 

……なんでだろう、

初期のくるり、初期のサニーデイ・サービスが、

いつもの5割増しぐらいで……感傷的に、耳に響く。

 

響いてしまう。

 

せつなくて、さみしい音の響きを、

肌に敏感に感じてしまって――。

 

聴き続けるのが、ちょっとだけ、つらくなる。

 

なんで?

 

どこから、出てきてるっていうの、

わたしの寂寥感(せきりょうかん)。

 

 

…勉強机に歩み寄り、スマホを操作して、プレイリストを一時停止。

 

ベッドにまた座って、大きく息を吐く。

 

やけっぱちみたいに、

モーモールルギャバンの『サイケな恋人』の歌詞を…口ずさむ。

 

この楽曲も、最近なようで、そうとう昔からある曲。

 

だからどうした、って、感じだけど……。

 

 

モヤモヤを晴らすためみたいに、『サイケな恋人』を口ずさみ続ける。

だけど、モヤモヤが、しぶとくって、バカらしくなり、口ずさむのをやめる。

 

 

この、空回りみたいな感情は……なに?

 

 

……答えが出ないまま、

『もうすぐ秋になってしまう』ということを、ことし初めて……自覚する。

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】卒業アルバム強奪お嬢さま

 

わたしが作った昼ごはんを、ハルくんと食べている。

 

箸を置き、

料理をひたすら口に運んでいるハルくんを、眺める。

 

――日焼け。

よく、焼けていること。

夏だから、しょうがないわよね――。

 

「…アカ子? 食べないの?」

 

無言でハルくんに視線を送る。

『気持ち』を込めた、視線を。

視線に込めた『気持ち』――わかってくれたかしら?

 

――たぶんわかってくれてる。

ちょっとドギマギし始めてるから、彼。

 

× × ×

 

「ごちそうさま。美味しかったよ」

「なにか、意見は?」

「意見…?」

「わたしの作った料理に対する」

「……そうだなあ」

 

ハルくんは平らげたお皿をまじまじと見て、

 

「美味しかったけど、量が多かった」

「……痛いところを突くわね」

「ま、きみの胃袋に、ちょうどいい量だったんだろう」

「なに言うのハルくん」

「きみのほうが大食いだし」

 

余すところなく食べつくした、わたしのぶんのお皿を、あわてて猛スピードで重ねて、

 

「か、かたづけを、するわよ」

「アカ子…声、震えてない?」

片づけよ! てつだって」

「あ、はい」

 

 

× × ×

 

「チャームポイントだと思って言ったんだけどな」

「大食いのどこがチャームポイントなのよ」

「わからないかあ」

「……あなたにしたって、チャームポイントが」

「え?」

「こんがりと、日焼けした、肌……」

「そんなに、こんがり焼けてる?」

「……焼けてるわよ」

「チャームポイントとは、ちょっと違うんじゃないかなあ」

「――八百屋さんで、朝から、力仕事のバイトだから、そんなに焼けてるのかしら」

「ずいぶん強引に八百屋バイトの話題に持っていくんだねぇ」

「悪い?」

「悪くは、ない」

「どうかしら? ――続けて、いけそうかしら?」

「いけそうだよ。思ったほど、しんどくないし」

「サッカーで鍛えた体力も、伊達じゃないのね」

「オヤジさんは、頑固一徹! って感じだけど」

「あら、コワいのね」

「基本、厳しいんだけど……」

「?」

スマホの、某アイドル育成ゲームにはまり込んでいて」

「……ご主人が?」

「オヤジさんが。――で、部屋に、アイドルキャラのポスターを貼ってたりするんだよ」

「……裏があるのね」

「ないほうが、珍しいんじゃない? 裏」

 

わたしの部屋、

ハルくんはわたしのベッドに、

わたしはわたしの勉強机に、

それぞれ腰かけ、こういったやり取りを交わしている。

 

わたしの模型店バイトについて訊くハルくん。

順調よ、と答える。

それからバイトでの順調ぶりをひとしきり話す。

ときに生意気なミニ四駆少年の男の子たちについての愚痴は――避けて。

 

「なら、続けていけそうだね」

「ええ。とうぶんお世話になると思うわ」

 

 

…机に置いていた、わたしのスマートフォンが、震えた。

たぶん、蜜柑からの、LINEメッセージ。

おそらく、『もうすぐ邸(いえ)に帰りますよ』という連絡だろう。

 

ところが……、

蜜柑からのLINEメッセージは、

予想だにしない内容だった。

 

「どうしたのアカ子? 左手で頭を押さえて。頭痛?」

「頭痛……じゃ、ないけれど」

「だったらなんなのさ」

「蜜柑が……」

「蜜柑さん、?」

「そう。

 ……蜜柑、しばらく帰ってこない、って」

「夜まで?」

「そう。夜遅くなっちゃうのかも、しれない……。高校時代のお友だちとバッタリ会って、いまから遊ぶことになったらしく……」

 

予定が狂った、というより、蜜柑がじぶんで予定を狂わせた。

 

『15時までには帰ります』って言ってたじゃないの、蜜柑!

 

蜜柑の帰りが遅くなった。

 

蜜柑はしばらく帰ってこない。

お父さんもお母さんも、しばらく帰ってこない。

 

……少なくとも、日が暮れるまで、

このお邸(やしき)で、ハルくんとふたりきり。

 

 

「蜜柑さんの、高校時代の、友だちかあ」

彼は、朗らかに、

「おれ、蜜柑さんが高校時代、どんな感じだったかとか、興味あるなあ~」

 

「――そういう問題じゃないでしょハルくん」

「?? なに言い出すの」

 

ああ……。

焦ってるんだ、わたし……!

 

「よかったら、教えてくんない? 高校生だったときの、蜜柑さんについて――」

「――期待しても、面白いエピソードとか、そんなには出てこないわよ」

 

これは、はんぶんは、本音。

 

――だけれど、

こうなったのは、こういう由々しき事態に陥ったのは、

蜜柑のせい。

 

それならば、

蜜柑のいないところで、

蜜柑のあんなことやこんなことをハルくんにバラしたって、

天罰は……当たらないはず。

 

「……そうねえ。アルバムを見たりするのは、面白いかもしれないわね」

「卒アル?」

「卒業アルバムもだけど、それだけじゃないわ」

「見してくれるの?」

「ええ。見せてあげる」

「いいの? 蜜柑さん怒んないの?」

「罰当たりなのは蜜柑のほうよ……」

「??」

 

× × ×

 

蜜柑の部屋におもむき、アルバム類を強奪。

 

わたしの部屋に戻り、勉強机とベッドのあいだのテーブルに、アルバムをどさり、と置く。

 

わたしとハルくんは、床座りの向かい合いで、蜜柑アルバムを物色していく。

 

うわーっ、制服姿の蜜柑さんだ!!

「そんなに……絶叫するほど、うれしいの?」

「こんな写真が見られるなんて、思ってなかった」

「……それは、高3の、卒業間際のときの」

「おれの母校より制服がかわいいや」

「どこに眼をつけるかと思いきや……」

 

「こっちは、高2の修学旅行での写真ね」

「修学旅行あったんだ」

「ゼータクよね」

「ゼータクだ」

「わたしもあなたも、修学旅行が存在しない学校で……」

「お互いさま、だな」

 

思わず微笑むわたし。

 

微笑みついでに、

 

「この写真見て」

「――これは、修学旅行での、『班』の集合写真、的なやつ?」

「きっとそうでしょうね」

 

人差し指で写真に触れ、

「――この、いちばん右の、男子生徒」

「彼がどうかしたの?」

「修学旅行が終わって程なくして……蜜柑の彼氏になった

「ま、マジか」

「短期間だったけれど、ね」

「別れたのは、どうして…」

「蜜柑のほうが、飽きちゃったみたいで」

「…すごいんだな、蜜柑さんは」

 

どういう意味合いで「すごい」のかしら。

 

「――垢抜けてるわね、それにしても」

「このころから、ってこと?」

「そう――あんまり、気づいてなかったけれど」

 

アルバムに眼を凝らし、

 

「すらりとした身体(からだ)の線……モデル並みの脚の長さ……プリーツスカートもよく似合っていて……」

「あ、アカ子、なんか、不穏だよ!?」

にしたって……わたしより、少しだけ……!」

「ど、どこに眼が行ってるの、ヘンなとこで張り合わなくたっていいじゃんか」

 

「……」

 

アルバムをぱたんっ、と閉じ、

姿勢を正しつつ、

 

「……あなたの言うとおりだわ。ヘンに興奮して、ごめんなさい」

 

「アカ子…」

 

「あと5時間くらい……ふたりきりね」

 

「…そうみたいだね、どうやら」

 

「耐えてちょうだい、あと5時間。わたしのヘンな、テンションに」

 

「ヘンなテンションって……お昼、食べ過ぎたからじゃ!?」

耐えてね

「……なにしよっか、つぎ」

「お好きなように……」

 

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】勇気を出して、『押しつけ女房』に!?

 

やっぱり、馴れ馴れしすぎたのかな? わたし。

 

夏祭りのとき、

終始いっしょだった、利比古くんに対して、

タメ口の分量が、どんどん増えていって。

 

花火が打ち上がるころには、

もう、ほとんど、タメ口オンリーだった。

 

…お姉さん風(かぜ)、吹かせちゃったのかも。

 

ガラにもなく。

 

わたしの見た目――、

『利比古くんより年上の女子』だっていう雰囲気を、

少しも、かもし出してないし。

 

ぜんぜん、利比古くんに対して、『年上のお姉さん』に、

なり切れてないよ。

 

 

でも――、

ひとりでに、タメ口になっていて。

 

なんでだったのかな。

 

女子校中等部に入学して以来、同年代の異性との接触が、ほとんどなかった、わたし。

 

同じ高校生の男の子に、タメ口で話しまくったのは……もちろん、初めて。

 

 

× × ×

 

――実は、じぶんひとりだけで考えをこねくり回している場合では、ないのだ。

 

『金曜日になったら、勇気を出して、利比古くんに電話をかけてみよう』

 

そう決めていた。

そして、その金曜日がやってきていた。

 

 

…話したいこと。

 

まず、

タメ口とか、夏祭りのときの態度についての、釈明…。

 

それがまず、最優先事項だけど、

それだけじゃ、釈明だけじゃ、終われない。

 

× × ×

 

「――だから、馴れ馴れしかったと思って。花火のあたりから、タメ口オンリーだったのを、いまだに――後悔したり、反省したり、で」

 

スマホの向こうの利比古くんは明るく、

 

『金曜日まで引きずる必要もないじゃないですか。もう1週間経つんですよ?』

 

ん……。

 

「……引きずります。利比古くんがどう思ったか? って、どうしても気になっちゃうんです」

『川又さん』

「は、はい」

『ぼくは――現在(いま)、川又さんが敬語に戻っちゃってるのが、気がかりですよ』

 

えっ。

 

「ど、どうしてほしいんですか……!? 利比古くんは、わたしに」

 

あわてるように言うと、

 

『花火のときみたいなしゃべりかたで――しゃべってほしいです』

 

「だ、だけど、それってタメ口ってことで、馴れ馴れしすぎになっちゃう――」

 

『――馴れ馴れしいことの、どこが悪いんでしょうか?

 余所余所(よそよそ)しいほうが、不自然じゃないですか』

 

あっ、

たしかに……。

 

『欲を言うと、もっと馴れ馴れしくなってほしいぐらいなんですよ――川又さんには。』

 

いま、たぶん、

スマホの向こうで、利比古くん、笑ってる。

 

反射的に、彼の笑顔を、思い浮かべ、

思い浮かべた笑顔のステキさに……、

戸惑う。

 

戸惑うけど……、

『戸惑ってるだけじゃダメなんだぞ、ほのか…』と、

じぶんでじぶんを、叱る。

 

 

「――わかった。敬語は、やめにするね」

『ハイ!』

「釈明のためだけに――電話をかけたわけじゃないの、わたし」

『話したいことが、いろいろあると?』

「……できるだけ、長電話にならないように」

『なってもいいですよ』

「……そうなの。通話料とか、気にしないのね」

『ハハ』

「あのね。…この前、誕生日のとき、郵送で、本をプレゼントしたじゃない?」

『あの本のことですか?』

「うん。……読んで、くれてるのかなー、って」

『そりゃー、読みますよー!!』

「ホント!?」

 

うれしくなるわたし。

 

『読んでます読んでます。もう読み終わりかけなんです』

「すごい……速読なんだね、利比古くん」

『とんでもない。元来、本を読むのは苦手なほうで』

「そうなの?」

『ですけど、なんといってもバースデープレゼントの本なんだし、はやく読み切らないと…という、使命感で』

「使命感……。立派なんだね」

『各方面からもハッパをかけられていて』

「各方面?? ハッパ??」

『――まあそういったことよりも、感想を聴きたいでしょう? 読んだ、感想を』

「そ、そ、そーね……。詩歌(しいか)のアンソロジーだったから、利比古くんピンとこないのかも、っていう不安ありありだったんだけど、その様子だと……感想、あるんだね」

『ぼくはですね、』

「うん、」

『まず、詩だと――北原白秋の『邪宗門』の詩が好きです』

「――意外。」

『意外ですかー?』

「『邪宗門』が好きになるなんて、すごい……センス。」

『ホメられてるんですよね、ぼく』

「――うん。ホメてるよ」

『短歌も、いろいろ収録されてましたけど、』

「だれの歌が好きとか、あるの?」

『はい。斎藤茂吉の、若い頃の短歌が、気に入りました』

「――そうなんだ。」

 

さすがは、文学少女のなかの文学少女の、弟。

 

「あなたも……文学青年になれる素質が、あるのかもね」

『とんでもないですよー』

 

……ここで、わたしは、呼吸を、ととのえ、

 

「ねえ」

 

『? なんでしょーかっ』

 

「これから、わたし……あなたに、ちょっとした『ワガママ』を言うんだけど、聴いてくれるかな?」

 

『聴かないわけがありませんよぉ』

 

「『ワガママ』っていうのはねっ、

 つまり……その、

 あさっての、日曜、

 ごはんを食べに……出かけたいの」

 

『ぼくと、ですよね? それって』

 

「そ、そうだよ、『利比古くんと』が、抜けてたね」

 

『川又さん』

「な、なぁに」

『もっと、落ち着いてくれても、いいのに』

「…善処するよ」

『してください』

「……。

 あなたとごはん食べに行きたいっていう、ワガママついでに。

 あなたの、文学の素養を見込んで――、

 本屋さんツアーが、してみたい」

『ツアー、ですか』

「某池袋の某巨大書店とかに行って、わたしがガイド役になって、いろんなフロアをまわって」

『――よっぽど、ぼくに、本を読ませたいんだ』

あたりまえっ!

『うわっ』

「今週最大のワガママ言わせて」

『……?』

本は、読もうよっ!! 利比古くん

『……まだまだ、不足してると?』

そうだよっ!! ポテンシャルを活かそうよ」

『ポテンシャル――』

「いくらだって本を押しつけちゃうんだから――わたしが持ってる、本とか。」

押しつけ女房?

あのねっっ