【愛の◯◯】愛兄弁当(あいあにべんとう)

 

目覚まし時計が鳴るよりも早く、目が覚めた。

 

朝だ。

誕生日の朝。

 

むくり、とゆっくり起き上がる。

ホエール君(1号)を取りに行って、ベッドに座りながら、彼のぬいぐるみを、ふぎゅ~っ、と胸に抱きしめる。

 

「ホエール君~っ。わたし誕生日だよ~っ。

 18歳~~。

 18歳になった~。

 だから、5ヶ月間だけ、おねーさんと同い年!」

 

抱きしめながら、ホエール君ぬいぐるみに語りかける。

ひとりごと、だけど、どうせだれにも聞こえていない。

 

――18歳か。

18歳になったら、できることって、なんだっけ?

――思いつかないや。

それはともかく、

オトナの階段、またひとつ、のぼっちゃった感じ。

 

誕生日なのがうれしくて、お気に入りの楽曲を詰め合わせたプレイリストを再生して、テンションを上げていった。

お気に入りのなかでも、とくにお気に入りな曲の、厳選プレイリストだ。

 

× × ×

 

「ホエール君、これからもがんばっていくね、わたし」

そう言って、ホエール君をナデナデして、

それからわたしは、階下(した)に行くことにした。

 

おねーさんは早起きだから、もう階下にいるかな?

 

 

…で、ダイニングの近くに来てみたら、

なんと、お兄ちゃんが、もう起きていて、

わたしを待ち受けるようにして、立っていた。

 

「どうしたの!? そんな早起きで。お兄ちゃんらしくないじゃん」

「あすか。『おはよう』は?」

「…おはよう……」

「はい、おはよう」

 

笑顔のお兄ちゃん。

不気味なくらい、笑顔。

 

「……おねーさんは?」

「朝飯作ってる」

「なら、キッチンに行って、おねーさんにも『おはよう』って言ってくる」

おーーっとっと!

「な、なに、なに」

「『きょうはなんの日?』って話だよな、あすか」

「……決まってるじゃん、なんの日かは」

「なんの日だぁ~」

「……誕生日っ。わたしの、誕生日っ」

「そうだよなぁ!!」

「……どうしちゃったのお兄ちゃん? 変なテンションで」

 

不審がっているわたしに向かい、

 

「兄として言わせてもらう」

「……え?」

「――おめでとう、誕生日。あすか」

「前置き……必要あった? 『言わせてもらう』とか」

「おれが『おめでとう』と言ってるんだから――もっと、よろこべよ」

「――ありがとう、とりあえず」

「『とりあえず』とか、余計な」

「……わ、わたしっ、おねーさんにも祝福してもらいたいから、早くキッチンにっ」

「まあまあ、そう、あわてんな」

「あわててないよ! …わたしを引き留める理由でもあるわけ? お兄ちゃん」

「ある」

「なんなの、もしかしたら、プレゼント、用意してたりとか」

「惜しいな~。でも、ちがう」

「ほかになにがあるわけ」

「…おれさ、さっきまで、キッチン使ってたんだ」

「…おねーさんの前に?」

「ああ。早起きして」

「…なに作ってたの」

「わからんか?」

 

そこはかとなくイヤな予感がするけど、

「わかんない…」

と言っておく。

 

「――プレゼントよりも先の、プレゼント、ってところかな」

 

いつもよりだいぶ早起きの兄。

そしてキッチンを使っていた兄。

なんのためか――。

 

『プレゼントよりも先の、プレゼント』

 

兄の言っている意味が、徐々に呑みこめてきてしまって……怖くなってきた。

 

動揺を隠せないわたしに、構うことなく、

 

――弁当、作ってみた

 

と、衝撃の事実を、明るい笑顔で伝えてくる、兄。

 

「弁当、作ったから、学校に持っていけ。ダイニングテーブルに置いてある」

 

お兄ちゃんが……わたしの……お弁当を……

 

「なんだよあすか。のたうち回るみたいになって」

 

だって……こんなの、はじめてだし……

 

「あーっ、はじめてかもなあ。

 名付けて、愛兄弁当だ」

 

「あいあにべんとう……???」

 

 

兄がお弁当を作ってくれたのが、大ショックで、

愛兄弁当』という響きの気持ち悪さすら、感じなくなっている。

 

 

「…せっかくの『愛兄弁当』なんだ。おれもがんばったんだから、感謝してくれよな?」

「感謝は……食べてから。」

「なぜに」

「食べて……美味しかったら……『ありがとう』、って言うから」

「美味しいに決まってんじゃんかよ~。なにせ、おれの、兄の、愛情が――」

それ以上言わないでえっ

「なんで?」

「――恥ずいから」

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】じぶんで考えろ――妹の誕生日は、すぐそこだ。

 

『MINT JAMS』のサークル部屋。

お気に入り曲のプレイリストをかけて、心地よさに浸っていたら、

 

「ずいぶんとハッピーな感じね、戸部くん」

と、八木に指摘された。

「モラトリアム満喫、って感じ」

「…これは『つかの間の休息』なんだ、八木よ」

「カッコつけたこと言って…」

「八木は昔っから、あまり、余裕がないよな」

「…そう思ってたの?」

「勉強がんばるのもいいけど、もっと、肩の力抜いて――」

「――戸部くんがノンビリしすぎなんだよ」

「あ~」

「なにその反応」

 

ほんとうにしょうがないんだから……という眼つきで八木は、

「……妹さん、元気?」

と訊くから、

「あすかはいたって元気だぞ」

と答える。

「新聞部の、部長なんだっけ?」

「『スポーツ』新聞部の部長な」

「おもしろい部活だね……。あと、彼女、バンドもやってるんでしょ」

「ギターだな」

「すごくない!? いろんな才能があるんじゃん。なんだか作文の賞ももらったっていうし」

「『作文オリンピック』の銀メダルだな」

「……」

「どうしたんだ、おれをジト目で見て」

「……戸部くんも、見習おうよ」

「あすかを?」

「あすかちゃんを。見習って、がんばってみたらどーなの」

「努力しろと?」

「うん。もっと」

 

説教モードの八木を見ていると、気づいたことがあって、

 

「…なあ、八木よ」

「突然なんなの」

「あすかは…割りに身長低めなんだが」

「身長がどうかしたの」

「おまえ……さては、あすかより、背が低いな?」

「ななななにそれっ、挑発!?」

「挑発ではない。思ったことを口に出したまでだ」

「……『デリカシー』ってことば知ってる??」

「知ってるさ」

 

 

茶番が起こっている。

 

あすか――か。

あすかといえば。

 

兄として、絶対忘れてはいけないことが、ある。

 

 

腰を上げて、

「八木、悪いがきょうはもう帰る」

「さんざんわたしを引っかき回しておいて…トンズラ?」

「ごめんよ、トンズラで」

「どこ行くの」

「それは、言えない約束だ」

 

 

× × ×

 

東西線に乗り込み、

早稲田駅で下車する。

早稲田のキャンパスとは逆方向に、どんどん歩みを進めていく。

 

――あしたが、あすかの、誕生日なのだ。

 

プレゼント買うとしたら、もうきょうしかない。

なにを買うか?

文房具がいいんではないか、と思った。

去年、11月の愛の誕生日のときも、同じ店で文房具を買ってプレゼントしたんだが、

あすかもことし、受験生であるし、

やはり、文房具を買ってやるのが、無難というか……ベターなんではないか。

 

そう思って、例の文具店に、向かったわけである。

実は、2ヶ月ほど前に、愛といっしょに来たことがあった。

あのときは大変だった。

愛が、恩師の保健室の先生に出くわして――大変だった。

一ノ瀬先生。

たいへん素敵なお方だった。

まさか――また平日の昼間に、この文具店に彼女が来ているとは、考えられないが。

 

 

一ノ瀬先生は、いなかった。

まあ、そりゃそうだ。

知り合いにバッタリ出くわすことなく…ノビノビと買い物ができると思っていたんだが、

11月に愛へのプレゼントを選んだときと同様……若いお兄さん店員の『谷崎さん』につかまってしまった。

 

「4月にも来てたよね?」

「エッ、どうしてそれを」

「筆記用具コーナーで、彼女さんといっしょにいたろ」

「目撃してたんですね…ちゃっかり」

「素敵な娘(こ)だな、きみの彼女さんは……一ノ瀬も霞(かす)んじゃうぐらいに」

「エッ、谷崎さん、一ノ瀬先生のこと、ご存知だったんですか」

「そうなんだよ、実は」

「学校の…同級生だった、とか?」

「オオーッ」

「え……なんですか、『オオーッ』って」

「あえて秘密にしとく、そこんところは」

「…はい」

「――で、きょうはなんだ、また、彼女さんになにか、買ってあげるのか?」

「愛に、じゃ、ないんです。今回は」

「ほほーっ」

「妹が、いて……あしたが、妹の誕生日なんで」

「あしたなのか。それは、急いでプレゼントを選んであげないと、だな」

「オススメとか……ありませんかね? あいつも……妹もことし受験生なんで、ペンとかマーカーとか、やっぱり筆記用具かなー、って思ってるんですけど」

「――土壇場(どたんば)で人まかせにするのか、きみは」

「よ、よくないですかね!?」

「じぶんの頭で考えるべきじゃないか? そもそも、おれの専門はペンやマーカーじゃなくて、画材なんだが」

「画材……」

「もっとも、ペンやマーカーにも、詳しくないわけじゃないぞ。

 だけども、きみ、妹さんへのプレゼントを選ぶわけだよな?

 妹さんのことを、いちばん理解(わか)っているのは――だれなんだい?」

 

たしかに……。

 

「すんません、甘かったです、おれ。谷崎さんに頼りっきりになる場面じゃ、なかった」

「うむ、うむ」

「おれ、愛も大事だけど……妹のことも、大切で。当たり前な話、ですけど」

「妹さんが好きなんだな」

「好き、というか。あっちは、気づいてくれたりくれなかったり…なんですけど、割りに、妹思いなんで」

「いいことだ、妹思いがいちばんだ」

「なので……おれのプレゼント選び、谷崎さんには見守ってもらうだけで、じゅうぶんです」

「よく言った!!」

「ははは……」

「それでこそ、兄だっ」

 

 

× × ×

 

「――お兄ちゃん、なんか隠しごとしてる?」

「ば、ばかいうな、あすか」

「あやしい~」

「疑わないでほしいな。な??」

「ふ~~~ん」

 

好奇心満ち満ちの眼で見るなよ……。

 

あすかは豆乳を飲んでいる。

豆乳を飲みながら兄をからかってくる妹と――向かい合いに座ってるわけなのだが、

 

「おまえも――あしたでとうとう、18か」

さりげなく、誕生日のことに触れてみる。

「そだよ」

そっけない反応をいただいてしまった。

「――うれしいよな?」

「ん~、ど~だろ?」

…ボソリと、

「うれしい、って、言ってくれたっていいだろ」

「わたしに、もっとうれしがってほしいの?」

「だって誕生日なんだぞ」

「そっか。…どうしよっかな」

「どうするもこうするも…なくないか」

「まあ本番はあしたなんだし」

「……」

「プレゼントが渡したくてウズウズしてる、って顔だね、お兄ちゃん」

 

うぐ……。

 

「楽しみにしてるよ~」

 

おれに背を向けて、ダイニングのほうに去っていってしまった、あすか。

 

 

『ほんとうに、文房具のプレゼントだけで、いいんだろうか?』

おれは思ってしまった。

兄として、プレゼントを渡すのは、大切だ。

けれども……プラスアルファ、というか、

もっと、あすかのために、なにかが、できないんだろうか?

 

――できるはずだよな。

 

じぶんで、考えろ。

考えるんだ。

あしたになる前に、なってしまう前に、

『妹思いの証(あかし)』として、してあげられることを――!

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】完全なる誕生日の忘却と、完璧なる誕生日の記憶と。

 

「…はいっ、ランチタイムメガミックス(仮)、お送りしているわけなんですが、続いてのおたより。

 

 ラジオネーム『水際でふんばる』さんから。

 

先日ボク、誕生日だったんです。お祝いしてください!!

 

 お~~。

 それは、おめでとう、だなぁ~~。

 

 でも、ただ『おめでとう』言うだけじゃあ、物足りませんよねぇ。

 

 ――歌でも歌う?

 即興で作った歌でもいいなら、歌うよ?

 や、もちろん、テキトーに歌う歌、なんだけどさあ。

 

 …行ってみようか、歌ってみようかあ。

 

 おめで~と~う~♫

 おめで~と~う~♫

 こころを込めて~ まごころを~♫

 キミの未来に~~ 幸せあれ~~♫

 

 

 ……どうよ。

 わたしの歌唱力……なかなかじゃない?

 曲は、どうあれ。

 ね?」

 

 

× × ×

 

「お誕生日の歌を即興で作って歌うなんて、すごいじゃないですか」

 

ランチタイムメガミックス(仮)の模様を聴いていたぼくが、感心して板東さんに言うと、

「ま、テキトーな歌だけどね」

「歌唱力、自信あるんですか?」

「他人(ひと)と比べて歌唱力がどうか…はわかんないけど、歌声のキレイさには、ちょっと自信あるよん」

「アナウンスのトレーニングで、鍛えてるんですもんね」

「そゆこと」

「にしても……校内放送でとつぜん歌い出すなんて、度胸、ありますね」

「度胸がなきゃ、毎日、放送なんかしてないよ」

「なるほど…」

 

「ところで、『お誕生日』といえば、さあ……」

「? なんですか、板東さん」

「羽田くん、羽田くんのお姉さんの誕生日、いつだっけ」

「……なんでぼくより先に、ぼくの姉の誕生日を」

「教えてよぉ」

「……11月14日、ですけど」

「ほーーっ。…ちょっとまって、わたしメモっておきたい」

「メモはご自由に…」

 

メモ帳を見ながら――、

ついでに羽田くんの誕生日は?」

「ヒドくないですか……?」

「なんで急激に仏頂面になるの」

「なりますよ」

「――で、羽田くんの誕生日は、教えてくんないの??」

「板東さんが――もう少し、イジワルじゃなかったら、よろこんで教えてるところなんですけどね」

えええ~~なにそれ

 

× × ×

 

「8月14日ですよ」と、けっきょく――最後には、板東さんに教えてあげた。

 

誕生日って、大事だよね。

じぶんの誕生日を忘れるようなオトナには――なりたくない。

姉の誕生日だって、忘れたくない。

 

 

ところで。

――あすかさんの誕生日って、いつだっけ?

なんだか、

彼女の誕生日が、差し迫っていたような、そんな記憶も……。

 

……。

……。

 

待てよ?

たしか、

『差し迫っていた』どころの話じゃ、なかったような。

 

ええっと、

記憶のすみっこを、ほじくってみれば――、

 

6月……。

6月だったはずだ。

つまり、今月……。

今月の、

今月の、

 

 

 

――今週ッ!?

 

 

あ、

まずい、

最上級のまずさだ、これ。

 

今週が、あすかさんの誕生日だったはずなのに、

ぼく、なんにもプレゼントとか、用意、してないよ。

 

手遅れ、ってやつだ……!!

 

 

× × ×

 

「…どうしたの利比古くん? そんなに肩落としちゃって。テレビでも、見ればいいのに」

「あすかさん……」

「うずくまってるみたいに、してないでさ」

「……」

「どーしたっての。絶望がやってきたみたいに」

「……あすかさんに、謝らなきゃいけないんです」

「なぜに??」

「ぼくは、

 ぼくは、

 ぼくは……あすかさんのお誕生日を、完全忘却していました……!!」

 

懺悔のぼく。

しかし、意外なくらい柔らかな表情で、『懺悔くん』状態のぼくを、じっくりと眺めて、それから彼女は、

 

「それは――わたしのほうにも、落ち度があったから」

「いいえ。ぼくが忘れていたのが、悪くって」

「じぶんを責めすぎないでよ、利比古くん。

 わたしが予告してなかったのが――悪かったよね。

 ちゃんと『もうすぐ』って予告してれば、利比古くんも深刻になることはなかった」

 

「……もうひとつ、あすかさんに謝りたいのは。

 貯金が、いま、あまり貯まっておらず……主に金銭的な理由で、誕生日プレゼントを贈ることができない、ということです……」

 

「…そんなこと、気にしなくたって、いいよ?」

 

「ですけど!! あすかさんの18歳の誕生日は、一度しかなくって、」

「28歳の誕生日だって38歳の誕生日だって、一度しかないじゃん。特別、って意味では、どの誕生日も、変わらない」

「もったいないことをしました……ぼくは」

「……どこまでクヨクヨするかなあ」

 

あすかさんは、ずっと笑顔だ。

 

「ま、こういうクヨクヨも、利比古くんらしいか」

「あすかさん……」

「いまの、利比古くんの、反省っぷりが――、

 もしかしたら、わたしに対する、プレゼントみたいなものに、なってるのかもねえ」

「おっしゃる意味が……」

「わかんない?

『まごころ』。

『まごころ』が、伝わってますよ! ってことだよ」

「伝えられてる自信……ないです」

「こらこら」

「……」

「弱気なままだと、叱りたくなっちゃうじゃない」

「……」

「凹(へこ)みっぱなしだったら、利比古くんの誕生日のとき、お祝いしてあげないよ?」

「……それは、困るかも」

「でしょ?

 バッチリおぼえてる。

 8月14日」

!!!

「わたしは……きちんと、おぼえてるよ。」

 

 

ぼくの誕生日を、

あすかさんが、知っている。

 

『8月14日』だと、一発で、言える――。

 

正直、予想外だった。

 

――ぼくのこと、あすかさんは、ちゃんと見てくれていて。

 

やっぱり、あすかさんは、スゴいんだ。

ぼくの100万倍、スゴくて――頼りになって。

 

あすかさんが、ひとつ屋根の下にいる、ということ。

恵まれているんだなあ……と、こころから、実感する、月曜の夜だった。

 

 

 

 

【愛の◯◯】カフェの開店準備と、こころの『吹っ切れ』の準備。

 

わたしの実家の喫茶店は、珈琲専門店という色彩が強く、モーニングを出さない。

だから、開店時間は、比較的遅い。

 

――それとは関係なしに、早い時間に目覚めてしまった。

『日曜日なのに……』と、じぶんの睡眠リズムを少しだけ呪う。

 

喫茶『しゅとらうす』の開店まで、そうとう時間がある。

眠気覚ましがてら、自発的に、『しゅとらうす』店内の掃除を始める。

 

わたしの要領が思ったよりいいのか? 比較的短時間でお掃除が終わってしまう。

 

今度は、自発的にコーヒーを淹(い)れた。

豆挽きからちゃんと始めて、コーヒーを淹れた。

それでも、時刻はまだ、朝早くで、

コーヒーの入ったカップを置きながら時計を眺めたわたしは、

フライング気味に日曜朝を過ごしていることに、ため息をつき、

木作りのテーブルに頬杖をついて、コーヒーカップをもてあそんでいた。

 

……あまりにも早いお目覚めだった。

そのせいで、

きのう、高田馬場某書店で、利比古くんと出くわしたことが……、

うまく、こころのなかで、整理できないままになっている。

 

 

× × ×

 

高田馬場駅で、羽田センパイと落ち合えたのはよかった。

改札の前で、ふたり並んで利比古くんと立って待っていたときは……気持ちが穏やかじゃなかったけど。

『早くセンパイ来て』、って思っちゃった。

男の子とふたり肩を並べることに、慣れてない。

それは、ずっと女子校にいるからなのか――。

ともかく、改札を出てきた羽田センパイは、すっごく美人な顔でわたしに笑いかけてくれて――それで、穏やかじゃない気持ちも、少し落ち着いた。

 

近場のルノ◯ールでセンパイが飲み物をおごってくれたのも、まあよかった。

ただ……センパイが、

「利比古と川又さんがとなり同士で座ったら?」

と、からかうように言ってきて、

「きょ、きょうだいは、となり同士で座ってくださいよっ」

とあわてるように言うしかないわたしだった。

センパイと利比古くんの姉弟(きょうだい)を眼の前にして、やはり気持ちは不安定だった。

気持ちが、ブレている、というか――センパイと、軽いことばのやり取りを交わしていても、半分うわの空、みたいで。

やっぱりそれは、利比古くんが、センパイのとなりの席に座っていたからだけど。

 

きのうの、ルノ◯ールでの、ハイライト。

出し抜けに、羽田センパイが、

 

「これからも利比古をよろしくね」

 

とおっしゃってきたのである。

これからもよろしく……と言われましても……と、

そういう戸惑いが、表に出てしまって、

わたしは赤面してしまっていたと思う。

 

「あら? どうしてそんなにカタくなっちゃってるの? 川又さん。もっと、リラックスしてもいいのに」

わたしの心情を知ってか知らずか、ゆったりとホットコーヒーを口に運んだあとで、

「肩の力を抜かないと――損よ」

 

× × ×

 

「…ごめんなさい、センパイ……。きのうのわたし、わたしがわたしじゃないみたいで」

そうつぶやきながら、コーヒースプーンで、カップの中をぐるぐるぐるぐると掻き回していた。

 

そうしていたら、父が、いつの間にやら、ホールに入ってきていたみたいで、

「なにしてんだ? ほのか」

と背後から、言ってきた。

 

「……とりあえずおはよう。おとーさん」

「あ、おはよう」

「……」

「――そうか。じぶんでコーヒー淹れて、飲んでたか」

「……ホールのお掃除もした。」

「そりゃ助かる」

「……」

「ふむふむ――」

「な、なにっ!? おとーさんっ。わたしのコーヒー、のぞきこんでこないでっ」

「コーヒーを見てるんじゃあない」

「だったらなんなの!? やたら距離詰めて…」

「いや、ほのかが、物思いにふけってるみたいだったから、それが気になってな」

 

う。

……お見通し?

父の、娘に対してはたらく、『第六感』みたいな!?

 

「いったい、なにがあったのさ? ほのか」

「教えたくないですっ」

「ほ~ん」

「…おとーさんのそーいう相づちの打ちかた、わたし、キライだから」

「アチャー、ほのかに嫌われちゃったか」

「…ふん。」

「きっと――こころをかき乱すような出来事でも、あったんだな」

「さぁねえ?? あったかなあ???」

「ほのかが、そういう大声を出し始めるってことは――なにかがあったってことだな」

「あんまりわたしの世界を侵略してこないで」

「侵略? 侵略なんかしてない」

「……じゅ、じゅんびをしなくてもいいのっ、おとーさん。お店開ける、準備」

「まだ早いよ」

「『まだ早い』なんて言ってたら、あっという間に時間が来ちゃうよ」

「…焦る必要もないのに焦っちゃってるのは…どうしたことかなぁ。疑問だ。お父さんは」

 

うるさいなあ……。

 

「ほれ、プリキュアでも観てたら、気持ちもほぐれるかもしれないぞ?」

 

あーもう、うるさいっ!!

 

「テレビなんか……観ないよっ」

 

まだコーヒーはカップに少しだけ残っていたが、立ち上がる。

カップとお皿をキッチンに運んで、さっさと洗ってしまおうと思った。

 

でも、あえなく呼び止められて、

「もうちょっとマッタリしてたっていいのに」

「やだ」

「『急いては事を仕損じる』ってことわざ知ってるか」

「知ってるけど?」

「マッタリとした気持ちの余裕がないと、試験の成績だって下がっちゃうぞ」

「…余計なお世話さま。」

「テレビでも、観てこいよ」

「だーからーっ、観ないって言ってるじゃん!」

「若者のテレビばなれ、ってやつかあ」

なのかもね!!

 

 

 

ストレスフルに…食器を片付けに行く。

 

キッチンで、入念にカップやお皿を洗っても、

まだ、どうしようもない気持ちのグラつきは残っていて。

 

それで、わたしは、思い立って、

ふたたびホールの父のもとに戻っていき、

 

「おとーさん。わたし、きょうお店、手伝うから」

「日曜日だぞ? いつもは、手伝わないで、部屋にいたり出かけたりしてるクセに――」

どうでもいいでしょっ

「おいおーい、こわがらせるなよーっ、ほのかぁ」

「――吹っ切れたいの。」

「吹っ切れたい、??」

「吹っ切れないと、どうしようもなくなっちゃう。だから」

「ほーほー」

「他人事(ひとごと)って思ってくれていいからね――おとーさんは」

 

 

じぶんの仕事というか、なんというか――、

こうでもしないと、

吹っ切れて、前進することも、できないし、

利比古くんに関する、グッチャグチャな感情だって、整理がつけられない。

 

――利比古くんに対する意識が、

そう簡単に、あたまから逃げていくはずはない。

 

わかってる。

 

だけど。

 

その意識を、いったん『お預け』にするぐらいに、精一杯、一生懸命、接客することに……決めたんだから。

 

30分かけて、お店の制服を着て、身だしなみをキチンと整えて、

わたしは――開店がさしせまった『しゅとらうす』のホールに、突き進んでいくのだった。

 

 

 

【愛の◯◯】高田馬場にて……

 

お小遣いをもらったので、高田馬場の書店に来た。

 

さっそく、文庫本コーナーに向かう。

文庫本を、3冊選ぶ。

 

そのうちの1冊は、歌人穂村弘さんのエッセイ。

文芸部部長で、なおかつ部内サークル『シイカの会』のリーダーたるわたくし、川又ほのか。

『シイカの会』の面々が目指しているのは、卒業までに、短歌の同人誌を作り上げること――。

だから、やっぱり、穂村弘さんの著作は、できるだけ漏らさず読んでおきたいのだ。

 

あと2冊は――小説。

え?

どんな小説を選んだのか、って??

それは、

それはですね、

女子高生の、秘密です。

 

 

レジに持っていって、会計を済ませ、

こんどは、漫画&学習参考書フロアに向かった。

 

とりあえず、某大人気少年漫画の最新刊を購入しておく。

大量の平積みに、『ムーブメント』というものを感じ取る。

 

それから、まじめにも、学習参考書コーナーへとわたしは足を運んでいく。

Z会♫ Z会♫』と鼻歌を歌うわけではもちろんないが、

わたしはなにを隠そう、Z会の歯ごたえのある参考書や問題集が好きだ。

高偏差値なんですねー、とか、イヤミを言われそうだけど。

はい、じぶんで言うのもなんですが、それなりに高偏差値です。

偉大な、羽田センパイとか――その域には達してない。

文芸部OGだったら、松若センパイよりも、ちょっぴし下。

理数系科目が不得意なので、私立大学文系に狙いをしぼることになるかもしれない。

いや――、『かもしれない』とか言ってる場合じゃない時期なのかも。

私立文系とは、具体的には、

ほら、ここ高田馬場から歩いて約20分そこそこの……あの大学とかですよ。

 

『国語は得意だから、早稲田は比較的わたしに向いてるのかなあ』

こころのなかでそうつぶやきながら、Z会の現代文参考書を、書棚から抜き取ろうとする。

…そしたら、わたしの近くを通りかかった人と、肩がぶつかってしまった。

少しよろめくわたし。

 

「あ! ごめんなさい」

あちらから謝ってきた。

 

…どうも、聞き知った声だ。

 

耳馴染みのある声に導かれるがごとく、わたしは…振り向いて、顔を見た。

 

見たら――、

 

 

とっとととととと利比古くんっ

 

 

 

素っ頓狂な大声を……こらえきれず。

 

なんで!?

なんで!?

なぜ利比古くんが、こんな場所に!?

 

 

「うわぁー、川又さん! こんな偶然、あるんですねえ!」

朗らかな表情で、

「……先週の木曜日以来だ! よく出会いますね、最近。なんでなんでしょうか?」

 

うろたえて、

「あの……どうして、利比古くんは、きょう、馬場に?」

「姉と、待ち合わせです」

答える彼。

「姉が大学に行っていて、帰りに馬場で落ち合うことになってて」

「センパイが、馬場に…」

「連絡まだないですけど、そろそろキャンパスから最寄りの駅に向かってるところじゃないでしょうか」

「……」

わたしがことばに迷っていると、

 

「川又さんも、姉に会いたいでしょう?」

「…え」

「いっしょに、駅で、待ち合わせ、しませんか?」

 

よ、予想外の、積極さ。

 

たしかに、

せっかく、羽田センパイに出会えるチャンスなのだから、

逃(のが)す道理はない。

高田馬場の駅に行けば、センパイがやってきてくれる。

 

けれども、

『いっしょに待ち合わせる』、って、

利比古くんとともに、高田馬場駅に行って、

利比古くんとふたりで、センパイが改札を通るのを待ちわびる――ってことであって、

それは、

そんな、シチュエーションは、

ぜったいに、わたし、テンパっちゃう、

利比古くんとふたりでセンパイ待ち合わせなんて、度を越して緊張しちゃいそうな……。

 

 

……ううん。

勇気。

勇気を、出す場面だよ、ここは。

そうだよ、ほのか。

がんばろうよ、ほのか。

わたし――勇気を出して、利比古くんとふたりで、センパイを待ち合わせることに、耐えてみる。

 

 

「…姉と無事、落ち合ったら、3人で、お茶でも」

「きょうの利比古くんは――グイグイですね」

「?」

「ぐ、グイグイ来ますね、ってこと」

「――姉のほうでも、川又さんに会えるのは、うれしいでしょうから。とっても」

「でっ、ですよねぇ~」

「でしょう?」

「……はいっ。」

「きっと、ルノ◯ールみたいな、高いけど腰を落ち着けられるお店に連れて行ってくれると思いますし」

「……はいっ」

「たぶん、お代もぜんぶ、姉が出してくれるはずです」

「……助かります。お小遣い出たばっかりで、きょう、本に使っちゃって」

「さすがですね川又さんは。姉ゆずりの、旺盛な読書を」

「はい……旺盛なんです」

「旺盛なんですねー」

「…アハハ」

 

諸々(もろもろ)おかしくなってきて、ついに「アハハ」と笑いが出てしまった。

もう既にテンパりすぎてる結果……なのかな。

テンパり状態で……彼と、利比古くんと、

うまく、駅前のロータリーを……渡れるかしら。

 

 

 

 

【愛の◯◯】「郡司くんと高2のとき2週間だけつきあってた」

 

「いい雰囲気の喫茶店を見つけたんだけど……」

 

サークルの上級生(2年)の高輪ミナさんに、そう誘われ、

誘われるがままにわたしは、キャンパスから少し遠めの喫茶店にやって来たのだった。

 

「羽田さんってコーヒーになにも入れないのね」

「ハイ」

「すごいね」

「…ハイ」

「尊敬しちゃう」

「…あはは」

 

ミナさんはアイスカフェオレを飲んでいる。

暑いものね。

 

× × ×

 

そしてミナさんは『椿町ロンリープラネット』という少女漫画について熱く語り始めた。

 

「…幸せな気持ちになるというか、読み終えたとき、ほっこりとしてくるの」

「ほっこり、ですか…」

「ほっこり。」

「……」

「読んだことがないと……うまく、伝わりにくいよね」

「す、すみません」

「貸そうか?」

「単行本を?」

「うん。わたし全巻持ってるから」

 

『マーガレット』に連載されていたという。

ミナさん、少女漫画には、並々ならぬこだわりが、あるらしい。

…少女漫画、だけでなく、

少女漫画っぽい要素に対して、並々ならぬ熱意を持っているというか、なんというか……。

たとえば、

俗っぽいコトバで言うところの――『恋バナ』だったりとか。

 

きょうも、

アツマくんがらみのことで……なにか言われそうな、そんな気配がしてきている。

なぜって、

この喫茶店、山手線の外側にあって、

しかも大塚駅からも巣鴨駅からも相当歩かなきゃたどり着けないような、そんな立地。

わざわざこんな場所を指定したってことは、

知り合いの多い大学近辺では、はばかられるような、

『恋バナ』のような類(たぐい)のことを……振ってくる気、満々なんじゃないかって、

そう思われるのですが……。

どうでしょう!? 読者の皆さま。

 

 

「――羽田さ~ん??」

 

「あ、あ、ごめんなさい、ごめんなさいミナさん。意識があらぬ方向に飛んで行っちゃってて」

 

しょうがないな…と軽く笑ったあとで、

「漫画の話もいいんだけどさ」

「……はいっ」

「わたし、リアルの話も、してみたい」

「『リアル』?」

「現実のこと」

「それって……」

「たとえば、さ。

 ――現実に、現在進行形で、恋をしてるわけじゃん?」

「だ、だれが、ですか??

 主語が、主語が――ないですよね」

「羽田さんって――そんなにニブかったんだ」

 

う……。

 

……覚悟を決め、息を吸い、

「つまり、アツマくん情報が、もっと知りたいと、ミナさんは」

「ズバリぃ」

「お言葉を返すようですけど――ミナさんって、そんなにイジワルだったんですか」

「アツマさんがらみになると、アツくなるんだよ」

「――なんですかそれ」

「お。

 いままで見せたこともないような、表情。

 カワイイ。カワイイよその表情。羽田さん」

かわいくてわるかったですねぇ

「おおおっ?」

「…『わたしかわいいし』なんて、アツマくんに向かってしか言わないつもりだったのに」

 

ここが、大塚からも巣鴨からも遠い場所にある喫茶店だから、という理由かどうかはわからないが、

捨てゼリフっぽく、思わずわたしは言ってしまう。

 

「羽田さん、」

無言でコーヒーカップに視線を落とすわたしに、

「素敵だよ」

と言ってくるミナさん。

どこが、どう素敵なのか。

「それはどーも」

と、とりあえず突っぱねておくんだけど、

 

「――アツマさんとは、いつから?」

 

……そういうふうに、地球上でいちばん唐突なぐらい唐突な質問を投げつけてくるのだから、

その、『唐突な質問』という名の『ビーンボール』を……投げ返したくなってくる。

 

× × ×

 

「――そうだったんだね。あなたは高1で、彼のほうも、まだ高校生で」

「――長い付き合いでは、あります」

 

やられっぱなしは、つまらないし、

 

「うらやましいですか?」

「――んんっ?」

「だからっ、うらやましくないですか? って。わたしと、彼の、長い付き合いが。」

 

負けず嫌いらしく、

向かいの彼女を見据えて、笑ってみせる。

意地もあるから。

 

「うらやましいよ。そりゃ」

 

……よし、優越感。

 

「でも、わたしじゃなくったって、見守ってあげたくなるよね~~」

 

……あ、あれっ、なんか、違う?

 

 

ミナさんのときめきの持続が、

わたしになおも圧(あつ)を加える。

攻守が。

攻守が、なかなか逆転しない。

わたしとしては。

ミナさんに、もっと、踏み込んでいきたいんだけれど。

具体的には――、

同じ高校から、

同じ大学に進学し、

あまつさえ、同じサークルに、現在形で所属中の――。

 

「ミナさん。」

「? どしたのー」

「やられっぱなしじゃ、フェアじゃないと思うんですよね」

「なにがー」

「攻守……交代させてもらえますか」

 

齧(かじ)るように、ストローをくわえるミナさん。

なにを考えているのかは、わかんない…。

 

「…しちゃいます、攻守交代!」

「…どうぞ?」

「――郡司センパイとのことをお訊きしてもよろしいですか!?」

「少し早口になってる、羽田さん」

「き、訊いてもよろしいでしょうか!? ――たとえばですね、郡司センパイ『との』、高校時代のっ」

「関係?」

「………関係性、みたいなところまで、行かなくても。ほら、郡司センパイと、高校時代っ、どんな思い出があったり……とかっっ」

「落ち着こう? 羽田さん」

「………」

 

余裕をもって彼女は――、

 

「話してあげるけど、

 その代わり、ここの支払いは、別々になるよ。OKかな」

 

数回うなずくわたしに――、

 

「じゃ、話してあげる。

 あのね、わたしと郡司くん、高2のとき、おんなじクラスで」

 

「は、はい」

 

「それでもって、

 2週間だけつきあってた

 

?!?

 

「――梅雨明けごろから。

 そう。

 ほんの、2週間だけ――ね」

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】夏に向けて、テレビドラマ――作れるかな?

 

放課後。

旧校舎。

【第2放送室】。

 

『最近、手持ち無沙汰だなぁ。過去のKHK制作番組を観たり聴いたりして、今後の参考にしようか……』

とか思っていたら、

 

ハイ、注目!

 

――と、突然、板東さんが、立ち上がり、絶叫した。

 

「とくに羽田くんは、注目」

えっ、

ぼくが……ですか。

 

「こっち向いてよ」

「向いてますよ」

「もっと向いてよ」

「こ、これ以上、向けませんよぉ」

 

不可解なほどの、板東さんの無茶振り。

その無茶振りをこらえつつ、彼女と、真正面に向かい合う。

 

「羽田くん」

「……」

「なかなかいい顔だね。肝が据わってるって感じ」

「べつに、肝が据わってなんか……」

「あのね」

「……はい」

「羽田くんにだけ……秘密にしてたことがあるの」

「ぼく『にだけ』ってことは……黒柳さんは、知っていて」

「というか、黒柳くんといっしょに、秘密にしてた」

「…?」

「だよね? 黒柳くん」

 

板東さんのほど近く、ミキサーの手前の椅子に座っている黒柳さんが、小さく笑いながらうなずく。

 

「なんで、黒柳さんまで」

「ごめんよ、羽田くん。板東さんとの、約束だったんだ」

「いったい、秘密って? ――ふたりだけで、番組作っていたとか」

 

黒柳さんは図星みたいな顔になって、

 

「……す、するどすぎるぐらいするどいね、羽田くんは」

 

「そーなの。ふたりだけで、ドキュメンタリーみたいなのを作ってたの」

と板東さん。

「なんでぼくの手を借りてくれなかったんですか」

「不服?」

「い、いえ…」

「…黒柳くんの自信をつけるためでもあったんだ」

 

ふうん…。

 

「黒柳くんは、わたしの期待に応えて、よくがんばってくれた」

 

板東さんがそう言ったから、黒柳さんは照れる。

 

「もう、編集も、あらかた終わっていて――」

「板東さん」

「おっ?」

「肝心の、内容は?」

「あ~、内容言うのは、肝心だったねえ」

 

 

――板東さんの説明によると。

大規模な桐原高校演劇部のなかに、『チトセグミ』という部内サークルが存在する。

演劇部の有志が集まって、三軒茶屋の小劇場で公演を行ったりしているという。

『チトセグミ』の活動に興味を持った板東さんは、黒柳さんを引き連れて、密着取材を敢行した――というわけだ。

 

「いろいろ、歩き回ったよね」

「うん。三軒茶屋の劇場にも、お邪魔してみたり」

「黒柳くん、ヘバりかけてた」

「面目ない」

「それでも――最後まで、ついてきてくれたから、立派だよ」

「ハハ……」

 

思わず、

 

仲、いいですね

 

と、ふたりに対することばが、ポロッとこぼれてしまった。

 

えっ……どういうこと?

 

完全に想定外のことを言われた、という様子で、板東さんが言う。

 

黒柳さんは、なんにも言わない。

 

言ってしまったものは、仕方ないから、

苦笑いをするしかなくなる。

 

 

「――も、もうっ。

 羽田くん、足踏みさせないでよっ。いまから言うことのほうが、大事なんだからね」

「いまから言うこと、とは?」

 

あらたまったような表情になって、板東さんは、

「『チトセグミ』に密着取材したことで、演劇部とのコネクションができたの」

「コネクション、ですか」

「…具体的には、これからわたしたちが番組を作るときとかに、演劇部の子たちが助太刀(すけだち)になってくれる、ってこと」

 

黒柳さんが、横から、

「テレビドラマやラジオドラマに、出演してくれるんだよね」

「そう、黒柳くんの言ったとおり。素人じゃない役者が演じてくれるから、ドラマのクオリティも上がる。強力な助太刀」

「それはよかったですね」

演劇部との繋がりができるのは、素直に喜ばしいことだ。

「で、作ってみるんですか? ドラマを」

「作る、作る」

「…ワクワクしてますね、板東さん」

「ワクワクしないわけないよ」

「テレビですか? それとも、ラジオ?」

「テレビドラマ」

「おーっ」

「本格的なのを、夏休みまでには……」

「ストーリーとか、コンセプトとかは?」

ぼくが訊くと、

「なーんにもまだ、考えてないっ」

と板東さんは、あっけらかんと…答える。

 

楽天的なのはいいけど、速攻でストーリーなりコンセプトなりを考えないと……夏休みには間に合わない気がするんですが。

演劇部のかたがたの都合との、兼ね合いもあるし……。

 

「…なんで不安な顔つき? 羽田くん」

「…板東さんが、あまりにも前向きなので」

「イマイチわかんないや」

「ぼくとしては…わかってくれたほうが、うれしいんですけど」

「ゴメンね~」

 

 

× × ×

 

「……板東さんの見切り発車には、困っちゃうよ」

「いいじゃないの。それが、なぎさちゃんの個性でしょ? ガンガン前に進んでいこうとするのは、いい個性だと思う」

「ほんの少しだけ……お姉ちゃんに似てるよね」

「ほんとぉ!?」

「『猪突猛進(ちょとつもうしん)』ってことば、知ってるよね……お姉ちゃん」

「……あ~、利比古が言いたいこと、呑(の)みこめた」

「板東さん、あまりにも、前のめりすぎるから……テレビドラマのプランを自力で考えて、提案してみたいんだ」

「利比古だけで、考えられる?」

「正直、疑問で。できるなら、お姉ちゃんたちの助言もほしい…」

「助言か~~」

グラスに氷を浮かべたアイスコーヒーをゴクゴク飲んだかと思うと、姉は、

「『』」

「『夏』…??」

「これからどんどん暑くなっていくでしょ。テーマは『夏』がいいよ、『夏』」

「それは……世界でいちばん、漠然としたテーマじゃないかな」

「だったらさぁ」

「なに?」

「こうしようよ。

 利比古、あんたはノートかなにかを、部屋から持ってきなさい」

「……持ってきて、どうするの?」

「『夏』から連想することを、どんどんノートに書き込んでいくのよ。『ビーチ』とか『かき氷』とか『サーフィン』とか」

「あ。もしかして、ブレインストーミング的な?」

「……ブレインストーミングって、なんだっけ」

「そっそこでキョトンとされても困るよっ、お姉ちゃん」

 

 

 

 

【愛の◯◯】震える「姫ちゃんのリボン」と、食いつく茶々乃さん

 

児童文学サークル『虹北学園(こうほくがくえん)』との交流パーティーの模様を、星崎に話している。

「楽しかったぞ。あっちは、いい人ばっかりだった」

「……本当??」

訝(いぶか)しむ星崎。

「星崎、おまえはもっと人を信じろ」

「なにを言うの、戸部くん」

「――ま、話せばわかる、ってやつだな。おれはあっちのサークルと、すぐに打ち解けられたよ。

 見事に、『MINT JAMS』と『虹北学園』、友好関係、成立だ」

「……奇妙なくらい、トントン拍子ね」

「まだ疑うか。疑心暗鬼だと、生きるのがつらくなるぞ?」

「そんなニヤけながら言わないでよっ……」

 

『MINT JAMS』サークル部屋には、星崎だけでなく、茶々乃さんも来ていた。

おれはこんどは茶々乃さんに話を振って、

 

「楽しかったよね? 茶々乃さん」

茶々乃さんは、明朗快活に、

「ハイ! 有意義でした」

「だよな~」

「『虹北学園』の人たちにとっては、アツマさんが話す音楽の話が、とっても新鮮みたいでした」

「おれたちも、ふだんあまり関わりのない児童文学の話が聴けて、新鮮だったよ」

「…異なる分野のサークル同士が交流することで、化学反応が生まれたんですね!」

「ズバリだ。そういうことだ。いいこと言うね~、茶々乃さん。どこのだれかさんと大違いで」

 

険しい表情の星崎が、

「『どこのだれかさん』って、どうせ、わたしのことでしょ……」

せっかくの可愛らしい髪のリボンまで、ワナワナと震えている、星崎。

「ぱ、パンチしちゃうんだからね、戸部くん、それ以上言ったら」

いつもどおりの、おっかなさ、である。

 

見かねた茶々乃さんが、

「落ち着こうよ、姫ちゃん」

「……落ち着けないときだって……」

「姫ちゃん――もしかして、カルシウム不足?」

「えっ――なにそれ茶々乃ちゃん」

「牛乳飲んで、海藻食べるといいよ」

 

反応に困っている星崎。

ざまーみろ。

 

× × ×

 

「――で、2次会、ってことで、おれと八木は、『虹北学園』のハタチ以上の皆さんと、飲みに行ったんだ」

 

びっくりして眼を見開いた星崎が、

「ノンアルって言ってなかった!?」

「交流パーティーは、ノンアルだった」

「2次会も交流パーティーに含まれるんじゃないの!?」

「それは、どうかな……」

「話が違うよ」

「お? 『2次会で酒が飲めるんなら、わたしも参加しとくんだった』って顔になってるな、星崎」

なってないよっ!

 

どこからともなく取り出した大学ノートをおれ目がけ投げつける星崎。

 

「おー、こわ」

 

よりいっそうワナワナワナワナと震動している、星崎の髪のリボン……。

 

「……姫ちゃんのリボンが、震えちゃってる」

茶々乃さんのすかさずの指摘に、思わず吹き出しそうになってしまうおれ。

とくに、『姫ちゃんのリボン』という部分が、ツボにはまってしまった。

 

「な、なっ、なにがおかしいわけ戸部くん!? 意味わかんないよ」

「…わかんなくていいよ、星崎。」

 

警戒するような顔で、星崎は――、

「あ、あのさっ、」

「どうしたか」

「戸部くんに――ひとつ、質問していい?」

「なにを」

「もしかして、もしかして、さ、」

「ん?」

「その、2次会の、飲みのメンツって――戸部くん以外、みんな女子だったんじゃないの??」

「――よくわかったな。」

「ハーレム状態じゃん」

「人聞き悪い。そんなこと言ったら、こっちだって怒っちゃうぞ」

「じゃあ、言いかたを変える」

「どんなふうに」

「戸部くん、ギャルゲーの主人公状態だったんだよね」

「……なってるか? 言いかたを変えたことに」

 

「はぁ……」と肩を落としつつ、大げさなため息をついて星崎は、

「戸部くんの『そーゆーところ』は、すごいと思うよ」

「『そーゆーところ』って、どーゆーところだよ」

「……女子に囲まれて、お酒を飲んでいても、動じない」

「ああ。あいにく、テンパることなく、振る舞っていたぞ」

「……自画自賛?」

「八木にあとで訊いてみろよ。『戸部くん2次会で男子ひとりだけでも、いつもと変わることなく落ち着いていた』って言うと思うぞ」

「……真相は、あとで、八木さんに確かめてみるとして」

若干うつむきがちに、おれを見据え、

「どうして――戸部くんは、周りが女の子だらけでも、平気なの??」

「なんじゃいな、その疑問は」

「現在(いま)だってさ、こうやって、わたしと茶々乃ちゃんの女子ふたりに、『挟み撃ち』されてる状態なわけじゃん」

茶々乃さんは『挟み撃ち』なんかしてねぇだろ…と思いつつも、

「ま、男女比1:2は、慣れっこだしな」

「……男女比1:10みたいな状況でも、慣れっこみたいだよね」

「否定はしない」

「……どういうことなのよ、いったい」

「女子の知り合いが、もともと多いからじゃね?」

 

…星崎は、無言で1分間ぐらい物思いしていたかと思うと、

 

「……そっか」

「なんだよ」

「愛ちゃんと妹さんで、慣れてるんだ」

「なにに?」

「決まってる、女の子とふれ合うことに、よ」

「……たしかにそれは、いえるかもしれんな」

「かもしれない、じゃないっ。妹さんに加え、愛ちゃんとも、ひとつ屋根の下で――ねぇ戸部くん、あなた、愛ちゃんとの共同生活、何年目よ?」

「もうすぐ、丸5年」

「そんなに、愛ちゃんと、愛をはぐくんで――」

「星崎、そういう物言いは、自重だ、自重」

 

「あの」

たいへん興味深そうなお顔で、茶々乃さんが、

「あの、『愛ちゃん』、って――??」

あれっ。

愛のこと、茶々乃さんには、話してなかったっけ。

 

瞬時に星崎が、

「『愛ちゃん』は、戸部くんの、カノジョ」

「カノジョさんなんですか!? アツマさん」

「…肯定せざるを得ない」

「け、けど、『共同生活』って、いったい――」

「…不審がるのも無理ないよな、茶々乃さん」

「どんな、複雑な事情が――」

「複雑なんで、説明が長くなる。そんでもいいなら、説明するが」

「長くなってもいいです。聴かせてくださいアツマさん」

「お」

「わたし、じぶんで言うのもなんだけど、我慢強いんです。いくら長話になっても、大丈夫ですから!」

「お」

 

 

――頼もしい子だ、茶々乃さんは。

星崎も100回見習いやがれ、って感じだな。