【愛の◯◯】平塚駅にて……

 

小学生かと思ったら、麻井先輩だった。

……いや、さすがにそれは、あまりにも失礼か。

もうすぐ、大学生になろうというお人(ひと)に……。

 

 

「羽田」

「はい」

「……子どもっぽいって思う? アタシ」

ぼくは歯切れ悪く、

「そんなことは……ありませんが」

「それは、否定できないっていう口調ね」

「……」

「どうして、背が伸びなかったんだろ……くやしい。どこまで行っても、お子様に見られる」

「し、身長のせいにしないでください」

ぼくは、必死に言う。

「麻井先輩は……ぼくより、大人です」

「――なんの根拠があって?」

んん……。

「た、たとえば。

 行動力……とか」

「あー」

「…先輩?」

「――ごめん、『なんの根拠があって?』とか訊いたアタシがバカだった」

これまではなかなか見せることのなかった柔らかい笑い顔で、

「さっさと電車、乗ろうよ。

 日が暮れちゃうよ」

 

× × ×

 

新宿や渋谷に出るまでもない……という麻井先輩の意向で、南武線に乗って川崎を目指した。

 

「どんな映画観ますか?」

電車が武蔵小杉を過ぎたとき、ぼくは麻井先輩に尋ねた。

「あー」

……あの、その反応は困るんですけど。

 

車窓を見ながら先輩は、予想外のことを言ってきた。

「川崎で映画観るって約束してたじゃん」

「……違うんですか?」

「あれは、口から出まかせだった」

はいぃ!?

「……声が大きい」

「だって、驚くじゃあないですか」

「そうだね、アタシ嘘つき」

「映画じゃなかったら、いったいなにがしたくって、ぼくを――」

東海道線乗りたい」

「――横浜にでも、行きたかったんですか?」

「アンタ、横浜、詳しい?」

「…わりと」

「へぇ」

「羽田家はベイスターズファンなんです。だから、横浜の地理には明るいほうだと思います」

「そーなんだ」

「横浜観光…するんですか?」

「ちょっと、心が動いたけど――、

 でもやっぱやめた」

 

せ、先輩。

ワガママかな?

 

「アタシが、行きたいところまで、行かせてよ」

 

横浜を突き抜けるつもりだ。

ワガママだ……!

 

 

× × ×

 

 

東海道線が快調に飛ばしている。

 

不安になってぼくは、

「まさか……平塚より西まで行きませんよね?」

「気分次第。ぜんぶアタシの気分次第」

「そんなぁ」

「勘違いしてほしくないのは――、

 受験がうまくいかなくて、やけっぱちになってるとか、そういうわけじゃないってこと」

 

ならば――いったい、なぜ??

 

「お願いだよ、羽田。

 アタシの自分勝手に……つきあって」

「……。

 麻井先輩。

 どこまでも行く、といっても、限度、はあると思いますが」

 

彼女の意図がわからなくて、

なおさら不安、

だから、

真面目にならなきゃ、と思い始めて。

 

「静岡まで行く、とか言われたって、困るんですよ、こっちも」

 

……となりに立つ麻井先輩の期待がしぼんでいくのを、感じ取る。

心苦しいが。

 

平塚に停車した。

ぼくは吊り革から手を離した。

開いた扉にずんずんと進んでいくぼくを、あわてて麻井先輩が追いかける。

 

× × ×

 

「――ここらへんで、あきらめましょうよ、先輩」

ぼくを見てくれない麻井先輩。

「あきらめてくれないと。だって先輩、帰られなくなるところまで、ぼくを引っ張っていきそうな勢いだったんで」

まだ、顔をそむけている。

「もうじゅうぶん、遠くまで来たじゃないですか」

 

「……けっきょく、お子様あつかい」

 

「え?」

 

「お子様あつかい、するんだね、羽田も。……たかが平塚まで来たぐらいで」

 

「――違います。誤解です。そんなこと思っていません、お子様あつかいだとか――」

 

うるさい!!

 

「……やめてください、先輩、どなるのは」

 

「アンタの言うことなんか金輪際聞かない、アンタがなにをどう言おうと、もっと先までアンタといっしょに行くんだから」

 

「……ダメです」

 

「拒否権なんて、許さない」

 

「ダメです。ダメなものはダメなんです」

 

「なんでよ、羽田、なんでよぉっ」

 

彼女が、袖を、つかんできた。

 

――、

構わず、

 

帰られなくなってもいいんですかっ!

 

ぼくは――彼女を、先輩を、

叱っていた。

 

突き放された彼女の、

顔の、雲行きが、

どんどん、

どんどん、

怪しくなっていくのがわかった。

 

やがて、

彼女の眼が、ぶわぁっ、と、うるみ始めて――、

悲しそうに、

心から、悲しそうに、

泣きじゃくり始めてしまった。

 

 

精一杯に彼女は言った、

どうして……どうして……わかってくんないの、

 初めて会ったときから……いっつもそう、アンタは、

 アタシを、裏切って、裏切り続けて…………

 

 

ぼくの、良心が、

ナイフでえぐられていた。

 

心苦しい、という次元じゃなくて。

 

泣かせた。

――その事実を、超えて、

これまでになく――彼女の感情が、

ダイレクトに、響いてきている。

 

これは……どういうことなんだ。

なんなんだろう……。

 

 

もしや。

もしや――本気で泣きじゃくる、彼女の気持ちは――つまり、

ぼくに対して――そう、

彼女は、

麻井先輩は、

 

ぼくのことを。

 

 

 

× × ×

 

なだめるのに2時間かかった。

 

× × ×

 

 

東京方面の東海道線

 

 

自己嫌悪が、ジンジンと、うずくようにぼくを、襲う。

 

 

……泣いて疲れた麻井先輩が、

ぼくのとなりに寄り添って座りながらも、

寝入っている。

 

 

麻井先輩の、温かみが、

確実に……ぼくより、温かい。

 

その体温が――、

いまは、つらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】手紙ならA判定確実

 

「引き継ぎが遅れてごめんね、川又さん」

『いえいえ、センパイの受験が優先でしたし』

「卒業式に間に合わなかったね」

『気にしなくても、いいですよ』

「――どこでやろっか?」

『引き継ぎをですか?』

「そ」

『ん~、どうしましょうか』

「『メルカド』とか」

『……『メルカド』もいいんですけど、わたしの実家のお店でやるっていうのも』

「あ」

『な、なんですか』

「『メルカド』と、張り合ってる?」

『そ、それはどういう』

「自分の家の喫茶店のほうが、『メルカド』より美味しいコーヒーを出してるんだ……って」

『そんなこと、ぜんぜん思ってませんよっ』

「ほんとに~?

 ――『メルカド』でも、あなたの家の喫茶店でも、いいんだけど、さ。

 川又さん、

 わたしの邸(いえ)に――、来てみない?」

『センパイの邸(いえ)で――引き継ぎですか?』

「川又さんまた来てほしかったし」

『センパイの、邸(いえ)まで……』

「気が進まない?」

『や、わたし、わたしは……むしろ、お邪魔したいほうですが』

「じゃあ決まりだ」

『……決まっちゃった』

「待ってる」

『……どこで、やりましょうか? センパイの、お邸(やしき)の』

「その場の、ノリ」

『えぇ……』

「だいじょうぶよ、アツマくんとか、どっかに放り投げておくから」

『放り投げるって、そんな』

「引き継ぎに悪影響でしょ」

『アツマさんを、そんなにイジめなくても……』

「――珍しいね、あなたが彼の肩を持つなんて」

『だって』

「――苦手意識、あったんじゃなかったっけ?」

『……もうないですから』

 

「文芸部は、どう?」

『変わりないですよ。平和です』

「――部員のほうは、変わんないかもしれないけど、」

『はい、』

「伊吹先生は――」

『――はい。『変わりない』の反対で』

「ま、そういうことでしょ」

『そういうこと、ですね』

「川又さんは、2月も、伊吹先生の様子を、間近でちゃんと観(み)てきてるから――」

『わかっちゃいました』

「気づかない、ってほうが無理か」

『気づいてるけど、あえてなんにも言わない』

「卒業式まで、とっておく」

『それもまた一興(いっきょう)、と』

「――で、手筈(てはず)は整ってるのよね」

『オッケーです』

「さすがだ」

『センパイも、うまくやってくださいよ』

「言わずとも……」

 

 

× × ×

 

川又さんと『密約』を交わしてる感じで、

電話の最後のほうは、なんだか可笑(おか)しかった。

 

さて――、

次の電話相手。

 

× × ×

 

 

「ハローさやか」

『ハロー』

「お、『ハロー』に『ハロー』で返してくれた」

『どういたしまして』

「……きょうは、起きるの、遅かったんじゃない?」

『なぜにわかるの』

「2次試験明けの土曜日じゃない」

『――まあね』

「おつかれ」

『ありがと、愛』

「ホントのホントに、おつかれ」

『……しょうがないなあ。でも、ありがと』

「前祝い、する?」

『まーた突拍子もなく』

「わたしは前祝いに前向き」

『急ぎすぎだよ、愛』

「そっかなあ?」

『…わたしは、あんたのほうを、もっと祝ってあげたいよ』

「えー、『おめでとう』なら、もう十分言われたよぉ」

『あんたはそう思ってるかも、だけど…』

「さやかだって、言ってくれたじゃない、合格した日に」

『……あらためて、『おめでとう』って、言いたい気分なんだよ』

「なにそれぇ」

『……まだ、祝い足りないと思って』

「――ふぅむ」

『愛?』

「――さやかが女の子にモテる理由が、またひとつわかった」

『だから、唐突だってあんたは!』

 

あはは。

 

「そうだよね、そこでつっぱねるよね、さやかは」

『わ・ら・い・す・ぎ』

「もう、さやかのつっぱねるタイミング、完全に把握しちゃってる、わたし」

『ろくでもないんだから……』

「あはははは」

『あんたのそーいうとこ、ほんっっとーに『玉にキズ』だって思うよ』

「実感がこもってる口ぶりね」

『あたりまえでしょ。親友なんだから!!』

 

あはははは……。

 

……うれしい。

うれしいな。

さりげない、

『親友なんだから』、が――。

 

 

「――さやか」

『――ん』

「ここから、本題」

『――、

 本題、来ちゃったか』

「来ちゃったんだよ。

 

 ――告白したのまでは、教えてくれたよね。

 そのあと、進展してないってのも、なんとなくわたしは感じ取ってる」

『――――愛が、感じ取ってるとおり』

「告白できたのは、よかった。

 わたしが、家庭科室で、カツ丼作って食べさせた甲斐があった」

『なんてことしてんの、って、最初聞いたときは思ったけど』

「そうでもしないと、動いてくれないでしょ。荒木先生なんだから」

『ま、荒木先生も、変わってくれたと思ってる――あんたのカツ丼のおかげかどうかは別として』

「だけど――まだ、荒木先生を動かせるチャンスは、ある」

『……』

「そしてそのチャンスは、もう、卒業式ぐらいしか、残っていない」

『……』

「どうしたい? さやか」

『……』

「……」

『……』

「……」

『……』

「……我慢比べみたいになっちゃうの、イヤよ」

『――――思い出してたんだよ』

「なにを??」

『『手紙を書いたら、どうかな?』って。

 アツマさんが、そう提案しててくれてたなーって』

「あー。

 12月に、邸(ここ)で、わたしとさやかとアツマくんの3人で、『作戦会議』したときか――」

『終業式の日だったよね?』

「たぶん。詳しくは、過去ログ」

『こらっ』

「だって、過去ログ読んでくれないと、背景がわからないって確率が高いでしょ」

『こっちの努力不足も大きいよ』

「こっちって、どっち?」

『……過去ログ読んでほしいなアピールは、やめようね。

 

 と・も・か・く!!

 

 わたし……アツマさんの提案を、実行してみようと思う』

「『手紙』?」

『そう、手紙。』

「……そんなすぐに、手紙って書けるかなぁ」

『なめないでよ、わたしを』

「さやか――」

『ちゃんと書いて、ちゃんと渡せる』

「――どこからそんな自信が」

『わかんない』

「……わかんないのもひっくるめて、自信なのね」

『東大合格よりも……自信ある』

「さささやかっ、そっそんなこと言っちゃダメっ」

『愛』

「――」

『あわてない』

「――」

『ねっ?』

「卒業式、卒業式――ちゃんと来るのよ」

『とーぜん』

 

 

 

 

さやか……、

変なところで、図太いんだから……。

 

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】いざとなるとおとうさんと素直におしゃべりできない

 

昼下がり。

わたしは――海の向こうの母と、ビデオ通話していた。

 

『元気そうね』

「そう?」

『受験から解放されて、上機嫌、って感じだわ、あなた』

「そうかも――たしかに」

『とにかく、無事受かって、こっちも安心してる』

「うん」

『安心してるし――、うれしくて、幸せな気分』

「幸せ、ねぇ……」

『お父さんも、喜びっぱなし』

 

おとうさん――!!

 

「……ひょっとして、おとうさん、そこにいるの?」

『いるけど……どうしたのよ、とたんに眼を輝かせて』

「あとで、おとうさんと、話せるよね!?」

『……一刻も早く、『代わってほしい』って勢いね』

「ち、違うよっ」

『顔に出てるじゃないの』

「んーっ……」

『しょーがない子ねぇ、愛は』

「……」

『お父さん子(ご)なんだから』

「…ごめん」

『あら、素直に認めてるみたい』

「……」

『――わかったわよ。あとでお父さん呼んであげるから』

「…はい」

『ところで――』

「なに?」

『相変わらず、長い髪ね』

「…勝手に伸ばして、ごめんなさい」

『謝らなくてもいいんだけど――、

 切らないの? そろそろ』

「――実はね。

 大学受かったら、切ろうって、前から思ってて。

 だから――もうすぐ、短くなる」

『やっぱり。

 そんなことだろうと思ってた』

「ほんとぉ??」

『ほんとよ。

 どこにいたって、娘の考えてることは、わかるのよ』

「それもちょっと、コワいかも……」

『あら~、お母さんこわがっちゃダメよ~、愛』

 

……負けそう。

 

そのあと、利比古の近況などについても話していたのだが、

いきなり母が、

『……それで、アツマくんとは、順調?』

と言ってきたから、ドッキリ。

 

『ちょっとー、なにか言ってよー』

「だって……」

『……最近、彼になにか、してあげたことは?』

「なによ、その質問……」

『いいから、答えなさいよ』

「……、

 カツ丼を……作ってあげた」

『あら。』

「……そんな顔しないでよっ」

 

× × ×

 

『――うまくいってるみたいね』

「……正直、これ以上、細かくは訊かれたくないけど」

『わかった、わかったからっ』

「……なんでそんなにお母さんがテンション高いの?」

 

『ま、大学でも、がんばりすぎない程度に、がんばるのよ』

「うん」

『あなたは突っ走りすぎるところがあるからね』

「うん……」

『ちからの入れどころと抜きどころ、そろそろ覚えるといいと思う』

「そうね……」

『そこんとこは、明日美子なんか、相当上手いから。明日美子に見習うといいと思うわよ』

「わかる」

『でしょ?』

「でも……やっぱり、ブレーキがきかなくなることも、あるのかも」

『頼るのよ、人に』

「……頼れるかな」

『不安?』

「うーん…」

『煮え切らないねぇ』

「……」

『手始めに、アツマくんに、なにかおねだりしてみたら?』

「あ、あのねえっ、お母さん!」

 

おねだり、って。

 

『こんなことしてほしいなー、とか、言ってみたらいいじゃない、彼に』

「……考えてみる。

 だから――、お母さん、」

『?』

「おとうさんと――早くしゃべらせて」

『ええ~っ』

「も、もう結構しゃべったでしょっ、お母さん」

『つれないわね』

「お母さんが……焦(じ)らすみたいに、するんだもん」

『反抗期?』

「違いますから」

『じゃあ、思春期か』

「なにいってんのよ……」

 

× × ×

 

そして!

とうとう!

おとうさんと、話せる時間が、やってきた!!

 

「おとうさん――あの、おはようっ!」

『おはよう、愛』

「わたし、元気だよ、おとうさん」

『わかるよ――声を聞けば。

 それに、顔色もいい』

「おとうさんだって、顔色いいじゃないの」

『お? わかるか』

「わたしのおとうさんだもん」

『ハハハ……変わらないな、愛は。

 そっちで、寂しくなることは、ないか?』

「おとうさんがいなくて?」

『お父さんとお母さんがいなくて、だよ』

「だいじょうぶ。おとうさんと撮った写真見たら、寂しさも吹き飛ぶ」

『――そういうところは、変わんないなあ、いつまでたっても』

「利比古も、いるんだし」

『そうだな。それにアツマくんもいる』

 

「……えっ」

 

『カツ丼を作ってあげたそうじゃないか』

「聞こえてたの……さっきの会話」

『カツ丼のくだりは、印象に残った』

 

恥ずかしさで――どうにもならなくなるわたし。

 

『おいおい、熱でも出ちゃったか?』

「――いじわる」

『あちゃー、愛に反抗されてしまった』

「ほ、ほんきでおこってるわけじゃないから」

『恥ずかしさを拭おうとして、つい言っちゃったんだろ』

「どうしてわかるの……」

『わかる、わかる』

「ごかいしないでおとうさん、はんこうきじゃ、ないんだから」

『イジワルで、ごめんなあ~』

「おとうさん……」

 

 

× × ×

 

「そんなところに突っ立ってどうしたー? 愛」

「アツマくん」

「ご両親と話してたんだろ?」

「アツマくん、

 わたし……、

 おとうさんと……いまいち、うまく、話せなくって。

 お母さんとは、あんがい、うまく、話せたのにっ」

「それが、悔しいのか?」

「悔しいの」

「――そんなときだってあるだろ。あんま抱えんな」

「――、

 そう言ってくれるの、素直にうれしい」

「――抱きかかえられちまった」

「寒いから、つい、ぎゅっとしたくて」

「ところかまわずだな」

「自分でも、そこはどうしようもないと思ってる」

「どうしようもないけど…、しょうがないってもんだろ」

「わかってくれるの?」

「――何年いっしょに住んでると思ってんだ」

 

 

「ねえ、アツマくん――おとうさんとの、ことなんだけど、」

「なんだよ、引きずるのはよくないぞ」

「わたし……おとうさんに対しては、いくつになっても思春期みたい」

「なんじゃあそりゃ!?」

「そんな思春期が……あったって、いいよね?」

「いいよねと言われても」

「アツマくんは――卒業した? 思春期」

「おれ、ハタチなんですけど」

「――そういえば、そうだったね」

「おい」

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】流さんの左手とあすかちゃんの◯◯

 

しゃきりと起きた。

 

合格発表から、一夜明けた朝。

 

合格したんだな――わたし。

春から、大学生なんだ。

 

× × ×

 

 

流さんが、新聞を読んでいる。

 

きのうは、邸(いえ)のみんなに祝福されて、

流さんも、もちろん、「おめでとう」を言ってくれて。

 

新聞を読む流さんの近くに行き、

「なんだか――そうしてる流さん、お父さんみたいですね」

「えっ!? だれの」

「特定のだれかのお父さんじゃなくって、一般的な」

「??」

ふふ……とわたしは笑う。

 

「……愛ちゃんは元気だね」

「元気ですよ」

「元気だし、有言実行だ」

「なんですかー、それ」

「合格するって言って、合格したんだし……」

新聞から、顔をわたしのほうに移して、

「ぼくも、見習わないとね」

見習われちゃうのかー。

「がんばっていくよ、これから」

 

わたしは、ソファに座っている流さんの左隣に腰を下ろした。

 

「じゃあがんばってくださいね」

「んっ」

「そのリアクションは、いったい……」

不満の口調でわたしは言った。

でも、わざと。

「流さん」

「んっ?」

 

流さんの左手を、右手で握ってみる。

 

「ど…どうしたの、愛ちゃん」

「なんとなくです」

「心臓に…悪いよ」

「…この程度で心臓悪くしちゃダメですよっ」

 

すぐ満足して、すぐ右手を離した。

 

「すみませんでした、いきなり」

「……」

「大学に入ってからもわたし、有言実行でいきたいと思います」

「……」

 

× × ×

 

流さんの手首。

一度、触れてみたかっただけ。

 

流さんには、彼女さんがいて、

いまのわたしには、アツマくんがいる。

 

それだけ。

 

× × ×

 

ふらふらと邸(いえ)で木曜日を過ごしていたら、夕方になった。

あすかちゃんとの約束の時刻に間に合うように、わたしは自転車に乗って約束の場所へと向かっていった。

さいきん、自転車乗る機会、多いな。

 

× × ×

 

意外にも、わたしのほうが、はやく着いた。

 

「ごめんなさい、待たせちゃいました?」

制服姿のあすかちゃんが、やってくるなり言う。

「わたしがフライングしちゃったんだよ」

「――待ち切れなくて?」

「それも、ある」

「UFOキャッチャー解禁日ですもんね」

「ゲームセンター自体が、解禁日だよ」

 

 

『合格するまでゲームセンターに行かない』という戒(いまし)めを、わたしは守り通していた。

やっとゲームセンターの空気が吸える……。

この開放感。

爽快感。

 

「さっそくUFOキャッチャーしますか、おねーさん」

クレーンゲームというものは、入口付近にあるものだ。

だけど、

「先に、さ――プリクラ、撮(と)らない?」

「え、珍しいですね、おねーさんのほうから、『プリクラ撮ろう』なんて」

「たしかにね。

 でもさ、

 こんなに長い髪のわたしも――あと少し、だから。

 長い髪のわたしを、記念に写真に残しておきたくて」

「そっかあ――言ってましたよね、もうすぐ切っちゃうって」

「そう……近いうちに、サナさんに切ってもらおうと思う」

「名残惜しいな、おねーさんの長髪」

「限界まで、伸ばしちゃったから」

「素敵でしたよ」

「ありがとう」

「――自分でも、『素敵だ』って、思わないんですか?」

「それは――自意識が、強すぎるよ」

「素直に、自分の髪を、好きって思えばいいじゃないですか」

「……そういうもの?」

「長くても、短くても――おねーさんの髪は、わたしのあこがれ」

「そういうもの……?」

「――ほら、くっちゃべってないで、撮ると決めたら行きましょーよ」

「……そうだね」

 

 

あすかちゃんがあこがれてくれたわたしの髪を、無事プリクラにおさめた。

そっか。

そんなに素敵なのか、わたしの髪。

 

『わたし、髪もキレイだし』って、

今度、アツマくんに、言ってあげようかしら。

 

――若干浮いた気分で、UFOキャッチャーに投資した。

いくら投資したかは……秘密。

 

 

× × ×

 

 

で、邸(いえ)に帰って、ゲーセンの疲れを癒やすため、いっしょにお風呂に入っている。

 

「……ふぅ」

「お疲れですか? おねーさん」

「疲れたというより、肩の荷が下りた」

「あ~」

「いろいろと、展望が広がって……登山みたいね」

「頂上にたどり着いた、ってわけですか」

「そんな、達成感」

「山ガールになりますか? おねーさん」

「なにそれ、唐突」

「冗談、冗談」

「しょーがないんだから」

「えへへ……」

「……」

「おねーさん?」

「わたしも、唐突……なんだけどさ」

「はい……」

「応援してくれて、ホントにありがとう、あすかちゃん」

 

「……」

「……」

 

「――こんなときに、言わなくったって」

「お湯につかると言えることもあるのよ」

「入浴中は、わたしが照れるようなセリフは自重してくださいよ」

「のぼせちゃうか……。」

「……『ありがとう』って言ってくれるのは、『ありがとう』ですけど」

 

お湯で、あったまってきた、ついでに。

 

「――あすかちゃんってさ」

「はい?」

「言うまでもないけどさ――、

 胸、大きいよね」

 

照れ隠しで、

「どうしてそんなことゆーんですかっ」

「わたしはとうとう……Bカップのままだった。それにひきかえ……」

「おねーさんっ!」

悲鳴のような声だ。

「――これは初めて指摘するんだけど、」

「なにを?!」

「遺伝だよね? 正直」

「遺伝、って――お母さん――あ、あっ、」

「理解がすぐでうれしい」

「――」

「あったまっちゃったねえ」

「――バカ」

 

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】よろこび記念日

 

いよいよ、愛の合格発表の時間がやってきた。

 

電話での合格発表。

愛は、スマホ片手にダイニングへ。

 

「ひとりで確かめたいの」とかなんとか、言っていたが。

べつに、リビングで、おれたちといっしょに確認してもよかったと思うのだが……。

 

ダイニングに消えていく愛を見送りながらも、

「わざわざ、ひとりにならなくったって……」

とおれが不平をこぼしたら、

「合格発表って――そういうものなのよ」

と、母さんに言われた。

 

母さんとふたりで、愛を待ち受ける。

なかなか戻らない。

気をもむ。

 

「あなたがそんなに緊張してどーすんのよ、アツマ」

「だってよ……母さん」

笑いながら、流し目でおれを見て、

「――アツマらしいけど」

と言う母さん。

「大切な女の子のことを、そこまで気にすることができるのも――才能よ」

「才能じゃないって。気にするのは、あたりまえ」

「気にしすぎて、震えてるけどね」

 

ぐぅっ……。

たしかに、母さんの指摘通り、落ち着かなくて、震えてきてる。

 

手のひらが、汗でじっとりとなるのを、感じた瞬間、

ようやく、愛が、おれと母さんの前に戻ってきた。

 

心臓がバクバク。

 

 

「ど、どうだったんだ」

おれは上(うわ)ずる声で訊いた。

 

小さく笑って、愛は、

 

 

「――受かってた」

 

 

 

 

声にならなかった。

きっと受かるって、信じてたけど。

それでも、声にならなかった、ことばにならなかった。

ホッとしたけど、それ以上に、おれはうれしかった。

 

愛がこっちに近づいてくる。

 

うれしくて、よろこびで抱きしめてやりたくって、

近づく愛を受け入れる体勢を作った。

 

ところが――、

 

真っ先に、愛が抱きついたのは――母さんだった。

 

「おめでとう――愛ちゃん。信じてたよ、わたし」

愛を優しく抱きとめながら、母さんは、優しい声で、包みこむ。

母さんの胸のなかで、涙まじりの声で、

ありがとう、ありがとう、明日美子さん……。

 わたし……明日美子さんのおかげで、ここまで来れた……。

 ダメになりそうなときも、いつも、明日美子さんが、この邸(いえ)にいてくれたから……。

 居候のわたしを、いつもいつも、大事にしてくれて……。

よしよし、と背中をなでながら、

「わたしひとりだけで、がんばったわけじゃ、ないんだけどな」

でもっ、明日美子さんが、いてくれなかったら、わたし……どうなってたか

「一生分、感謝されてるみたい」

なんど感謝したって……感謝しきれないですっ

「あらあら……」

 

母さんから愛が離れない。

困ったように笑いながら、母さんはおれに向かって、

「……弱ったな、アツマ」

「いいだろ……しばらく、ひっつかせてやれば」

 

……そうなるよな。

第一に、感謝すべき相手は、母さん……。

 

ま、

そんなもんだ。

 

感動的な情景だけど――、

ただ眺めてるだけってのも、ちょっぴし物足りない。

けれど、いまは、気が済むまで、母さんにひっつかせておこう。

おれだって、しみじみ余韻に、ひたりたい。

 

 

 

 

 

……愛が「受かってた」と言ってから、何分経ったかわからないぐらい、時間は過ぎていっていた。

 

「愛ちゃん、いま、『ありがとう』って言いたい相手は、もうひとりいるでしょ?」

そのことばを合図に、とうとう愛は顔を上げ、母さんからからだをほどいた。

「……ごめんなさい、取り乱しちゃって、わたし」

「謝っちゃイヤよ、愛ちゃん」

「……」

「大切なひとが、そこにもうひとり、いるじゃないの」

「……はい。」

「ね? アツマにも気持ち、伝えてあげよう?」

うなずく愛。

母さんはおだやかに、

「……合格!」

 

 

 

そして、おれと愛は、見つめ合った。

「……あのさ。

 遅まきながら……『おめでとう』って、おれは言いたい」

 

奇妙な口ぶりに、どうしてもなってしまう。

なってしまうものは、もう、仕方がない。

 

3秒後に、愛は、おれの胸に飛びついてきた。

 

大好きだよ。アツマくん

 

わかってるよ……。

 

愛からの『ありがとう』は、お預けになりそうな気配だけど。

『大好きだよ』だって――、

『ありがとう』に、勝るとも劣らない。

いいことばだ。

『ありがとう』より、うれしいまである。

 

だから……。

 

「合格だ、愛」

 

自然と、そう言うことができた。

 

 

ことば数(かず)は少なく、

お互い、抱き合うだけ。

 

包みこんで。

包みこまれて。

 

よろこびの体温を――、

確かめ合うだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】わきまえなかったりわきまえたりの夜

 

「アツマくん、アカちゃんと背くらべしたんだってね」

「うっ……」

「なによその反応。背くらべで、緊張でもしたの?」

「……」

「したのね」

「だってよぉ……」

「緊張する必要もないと思うんだけど」

「いきなりだったし……」

「あのね。

 アカちゃん、お兄さんみたいな存在がほしいときもあるんだって」

「それは……彼女も、言ってた」

「言われたのなら、お兄さん役になってあげるべきでしょ、なおさら!」

「んんっ……」

「どうしてアカちゃんのためにもっとがんばれないの!?」

「そう言われたって……」

 

「まあ、それはそうとして」

と言ったかと思うと、

愛は、おれの正面に立ち、

「わたしたちも――背くらべ、してみよっか」

「なぜに」

「いままで、背くらべとか、したことなかったじゃない――長い付き合いにもかかわらず」

「――そもそも、背くらべって、向き合ってやるものなんか」

「なによっ。アカちゃんとは、向き合って背の高さを比較したんでしょう!?」

「…そうだが」

「じゃあ同じようにしようよ」

 

そして、おれの頭頂部のあたりをじ~~~~~っと見上げる愛。

 

「こうして見ると、高いね、アツマくん」

「…そうですか」

「わたしが低いんじゃなくて、アツマくんが高いんだ」

 

愛は、160.5センチ、だったっけか。

たしかに、特別低くはない。

 

……問題は、愛が、どんどんおれに向かって近寄ってるという、いまの状況だ。

 

「おいおい、背くらべ、関係なくなってないか?」

「そうかも」

 

これ以上近づけないという距離まで近づき、

おれの眼を見てくる。

 

「――ドキドキしてるでしょ、アツマくん」

 

うるせぇよおい。

 

「わたしは――満足」

 

なにがだよ。

 

× × ×

 

 

祝日返上でアルバイトだった。

その代わり、あしたは休みにしてもらった。

なぜなら――、

 

「いよいよあしたが……おまえの合格発表なんだな」

「そうだけど?」

「なんだよ、他人事みたいに。おまえの人生がかかってんだぞ」

「あなたはいつも大げさねぇ」

「おれ、あした、ずっと邸(いえ)にいるから」

「いっしょに合格発表を待つってこと?」

「そうだ――母さんとも、いっしょにな」

「明日美子さんも――いてくれるんだ」

「そりゃそーだろ」

「……」

「お、おい」

「わたしが、この邸(いえ)に来てから……4年半、ってところだけど。

 明日美子さんは……いつもそばに、いてくれた」

「なんだあ? 急にしみじみと」

「そんなに、センチメンタル? いまのわたし」

「だって回想モードに入りかけてるだろ」

「――長々と『これまでの歩み』を振り返るつもりなんて、ないよ」

 

やにわにベッドから立ち上がり、

「お風呂――入っちゃおっと」

そう言って、おれの部屋から、愛は出ていった。

 

× × ×

 

 

その夜。

おれは……なかなか寝付けなかった。

 

運動会や遠足の前日なわけじゃない。

そういった楽しいイベントとは、性質が違うのが、合格発表だ。

 

おれの合格発表じゃなくて、愛の合格発表なのに。

 

なんでこんなテンパってんだ。

なあ?

おい!

愛の、合格発表なんだぞ。

愛の。

愛の……。

 

もしかして、

あいつの合格発表……『だから』なのか?

 

身体(からだ)が、むずむずする。

 

とても落ち着いて寝てられない。

 

そうだ……。

 

いまごろ愛は、どう過ごしているんだろうか。

 

 

× × ×

 

 

あんがい、早めに寝入っているかもしれない。

ノックに反応がなかったら、大人しく引き下がるつもりだった。

 

テンパり気味に、ドアを何回か叩く。

 

そしたら、『ガチャリ』という音が、耳に入ってきた。

 

「どしたのー?」

 

呑気(のんき)な顔、しやがって。

 

「…起きてたか」

「うん。起きてた」

「あのさあ…」

「なにー?」

「恥ずかしいんだけど、さ……」

「ん?」

「眠れなくって……おれ」

 

愛が声を出して笑い出した。

 

しばらく爆笑に浸(ひた)っていたかと思うと、

「ど、ど、どんだけ、心配性なのっ、あなた」

これ以上ないくらい可笑(おか)しそうに、言ってくるのだ。

 

「不眠は切実な問題だろーがっ」

「無理に、そんなことばで、恥ずかしさを隠そうとしなくったって」

「っるさい」

 

わかったわかった…という勢いで、愛はおれの手首をつかみ、部屋に引き入れる。

 

× × ×

 

「アツマくん、いっしょに寝ようか?」

 

は!?

 

「アツマくんとふたりでもだいじょーぶだよ、このベッド」

「愛、わかるよな……? そういう問題じゃないって」

「たぶん、いまのアツマくんは、ひとりだと朝まで眠れないよ。わたしといっしょに寝たほうがいいって」

「……床で寝る、って選択肢は、存在しないんか」

「『わたしの部屋に居続けたい』っていう気持ちは、否定しないんだ」

 

……うまくリアクションを返せない。

 

「ベッドのほうが、グッスリだよ、絶対」

「愛……、

 放送コードって、わかるか?」

「わかるよ?」

「なら、もっと、わきまえたっていいだろが」

「……」

「わきまえろ。

 な?」

「……床で寝ると、からだが痛くなるかもよ」

 

往生際の……最悪さ。

 

「おまえのベッドに入らされるほうが、よっぽど不都合だっ!」

 

む~~~っとした表情で、

床にあぐらをかいているおれの左隣に、にじり寄ってきて、

「そういう、不必要にマジメなところ……わたしはもう少しなんとかしてほしい」

そう言いつつも、肩をくっつけて、寄り添ってくる。

 

 

 

――やがて、その体勢のまま、眠そうにしてくる愛。

 

睡魔に負けてしまったのか、いつの間にか、寝息が聞こえてくる。

 

ったく。

 

愛のからだを持ち上げて、ベッドに運び、寝かせる。

軽かった。

 

すやすや眠る愛を、横から眺める。

 

なんにもするつもりなんかない。

眺めるだけ。

 

思わず、こう、つぶやいた――、

「こいつの髪……ほんと長いな」

 

 

 

 

【愛の◯◯】背くらべを許して

 

「愛ちゃん、受験、お疲れさま」

 

受験が終わった愛ちゃんに会いに、彼女のお邸(やしき)に来た。

 

「うん、ありがとう、アカちゃん」

 

よかった。

いつもと変わらない。

愛ちゃん、元気。

 

これなら――きっと。

 

わたしが愛ちゃんの顔を見て安心していたら、

「おや、アカ子さん」

アツマさんが、ひょいっ、と姿を現した。

 

「……いつもながら、空気読めないんだから」

「なんだよそれー、愛」

「せっかくアカちゃんが来てくれたんだから、アツマくんはどっかに引っ込んどいて」

「どこに行きゃーいいんだよ、おれ」

「……さあねぇ?」

「おい」

「自分で考えて」

「おい」

「自分で考えられないほど、お子さまじゃないでしょ?」

「お子さまって、なんだと思ってんだ、おれを」

 

ツン、とそっぽを向いてしまう愛ちゃん。

 

ふたりのやり取りが、相変わらず面白くて、思わずクスリと笑ってしまう。

 

「――『お子さま』はひどいわよ~、愛ちゃん」

彼女は若干恥じらって、

「……だったかもね」

かわいい。

 

「アツマさん、一緒にいてくれても、いいんですよ」

「いやあ……、ふたりで、積もる話もあるんだろうし」

「優しいですね」

「そう?」

「アツマさんの優しさに……わたし、甘えてみます」

「!?」

「すみません、ことばがヘンでした。

 やっぱり、ふたりきりに、させてください」

 

× × ×

 

「コーヒーで、ほんとうに、よかったの?」

「よかったのよ。

 愛ちゃんの飲みかたとは違って――砂糖は必須だけれど」

 

そう言って、角砂糖とミルクを入れて、ぐるぐるかき回した。

 

愛ちゃんはブラックコーヒーをぐいっ、と飲んで、

「アツマくんの存在が邪魔でごめんね」

「そんなことないわよ」

「そんなことあるよ」

「…厳しいのね」

「厳しくするときは、厳しくするの」

「じゃあ、優しくするときもあるの?」

「…当然」

「――いまの愛ちゃんの顔、かわいい」

「あ、アカちゃんっ」

「からかっちゃったわね、ごめんなさい」

「べつにいいけど……」

 

「――ハルくんの話、してもいいかしら?」

「もちろん」

「あのね、

 一足先に――ハルくん、大学に受かっちゃって」

「よかったじゃないの!!

 もっと嬉しそうな顔してもいいんだよ、アカちゃん」

「でも、愛ちゃんの合格発表、まだだったから――」

「そんなの関係ないよ」

「愛ちゃん……」

「100%、アカちゃんのおかげよね。付きっきりで勉強教えてあげてたんだし」

「それは……違うわ」

「え、ええっ」

「むしろ100%、ハルくんのがんばりよ」

「け、謙遜しすぎじゃないの……」

「ハルくんのがんばりイコール、わたしのがんばりだから」

「アカちゃん??」

「レトリックよ」

「レトリック……」

 

うふふ、と笑ってみるわたし。

 

愛ちゃんは、

「とっとにかく、『おめでとう』って言ってた、って彼に伝えといて」

「わかったわ」

カップの取っ手に指をかけ、甘いコーヒーを味わい、

「彼を合格させるのも、甘くはなかった……初めは、大学に入ること自体、危ないってレベルだったから」

「『字が汚い』って、アカちゃん言ってたの、覚えてる」

「だけれど、人は3ヶ月あれば、変われるのね」

「おー」

「身にしみて、理解できた」

「ハルくんも、いっそう強くたくましくなった、と」

苦笑いして、

「それはどうかしら」

愛ちゃんは身を乗り出し気味に、

「ね、ね、」

「なぁに?」

「ハルくんのおうちに、アカちゃん行ったんだよね?」

「ええ、行ったわ」

「ドキドキしなかった!?」

「ドキドキ、って――」

「ほら……、彼の部屋に、入ったんでしょ」

 

なにを想像してるやら。

そして、なにを期待してるやら。

 

「入ったけれど……少し、トラブルがあってね」

トラブル!? どんな!?

「あ、愛ちゃんが期待してるようなことは、起こってなくってね、」

 

 

× × ×

 

「な~んだ、そんなことか。

 でも、その椎菜さんって女(ひと)には、注意しなきゃね」

「ハルくんにとっては、従姉妹だけれどね」

「従姉妹だからだよ」

「どういうこと…?」

「…レトリック。」

 

× × ×

 

「愛ちゃん、お庭の花を見せてもらいに行ってもいいかしら?」

「いいよ」

 

× × ×

 

ウッドデッキに腰を下ろして、

お庭をまったりと眺めていた。

 

陽当たりがよくて、いいお庭……。

 

「アカ子さんじゃないか」

背後から、呼びかけられた。

「なにゆえ、こんなところに?

 愛とケンカしちまった、とか」

「見当違いですよ、アツマさん」

「だったら、なにゆえ…」

「ここに咲いているお花を見てみたかったからです」

「そんなに…きれいかなあ」

「きれいですよ」

「…アカ子さんが、きれい、って言うんだったら、間違いなく、きれいなんだろうな」

「なんですか、それは」

 

面白くて、吹き出しそうになる。

 

アツマさんも、ウッドデッキに座る。

ただし、わたしと距離をあけて。

そんなに、遠慮しなくても。

 

「アツマさん。わたし、ひとりっ子なんです」

「……」

「すっかり姉妹みたいな同居人メイドなら、いるんですけれどね」

「蜜柑さんか」

「はい。年上ではあるんですけれど、ぜんぜんリスペクトできないのが困りものですが」

「……そうなの?」

 

片手で頬杖をついているアツマさんに、わたしは、

 

「お兄さん……ほしかったかも」

 

彼の、頬杖をついていた手が、離れた。

 

「ヘンテコな願いが、あって。

『1日だけ、あすかちゃんになってみたい』っていう。

 ヘンテコで、ぜいたくな願いですけれど」

 

あすかちゃんになりたい、

アツマさんの、妹ごっこがしたい――、

なんて。

 

口に出すまでのことでも、なかったのかしら。

でも、口に出しちゃった。

 

それに、

「こんなこと言うのは――アツマさんを、リスペクトしてるからです」

 

「マジ」

「はい。嘘偽りなく」

「だから……妹になってみたい、って、理屈に……なってるかなあ?」

 

悩ませてしまいそう。

 

「いまじゃなくていいんです。いつか」

「ん……」

 

アツマさんのこころを、そんなに乱したくはない。

 

「頭の片隅にでも置いておいてください」

とだけ言っておいて、

「さて」

と、わたしは立ち上がる。

 

それに呼応して、アツマさんも立ち上がる。

無言のアツマさんに、

「まっすぐ、愛ちゃんのところに戻ってもいいんですけれど、」

ついでのワガママで、

「アツマさん――、わたしの前に、立ってもらえますか?」

どっきりとなった彼は、

「ななな、なぜに」

「なにもおかしなこと、しません。ただ立ってもらうだけで、いいんです。

 アツマさんが――どれだけわたしより背が高いか、知りたいだけで」

「そ、そ、それ知ってどーすんの」

「目的も意味も、ありません」

 

愛ちゃんには……ちゃんと言う。

『アツマさんと背くらべした』って。

言わなきゃ、親友じゃない。

どういう反応、するかしら?

怒るかな?

怒ったら……謝る。

謝れば、わかってくれるって、信じてる。

 

「――ちなみに。

 わたしの身長は、158センチです」

 

 

 

 

【愛の◯◯】姉に「ウブ」って言われたとたんに

 

姉の部屋をノック。

 

「利比古だ」

「利比古だよ」

「どうしたの」

「お姉ちゃんから借りてた本、返しに来た」

「あら、そう。――面白かった?」

「ん~、難しかったかな」

「そっか、利比古には、まだ早かったか」

「ハハ…」

「でも、素直で大変よろしい。それでこそ利比古だわ」

「ほめられた」

「ほめられついでに……」

「?」

「わたしの部屋で、お話しよーよ」

 

× × ×

 

テーブルを挟んで、向かい合う。

 

「きれいに整頓されてるね、お姉ちゃんの部屋は」

「あたりまえでしょ」

「ぼくの部屋より――きれいだ」

「散らかってるの!? あんたの部屋」

「そ、そんなに散らかってるわけじゃないけど」

「いつでも掃除しに行ってあげるよ」

「そっ……それは、どうかな」

「え」

「……」

「もしかして、部屋を細かく見られるの、恥ずかしかったりする?」

「ん……」

「否定できないんじゃん。

 ……利比古も思春期ねぇ」

「な、なんにも不都合なものは、持ってないよ、ぼくは」

「不都合なもの? エロ本?」

バカなこと言わないでよお姉ちゃん!!

 

「……利比古が、どなった」

 

「ごめんなさい……」

 

「……いいのよ、『エロ本』って言ったわたしが悪かった」

「……話題を変えない?」

「そうね。」

 

「なんの話しようか」

「KHKの様子とか、聞かせてよ」

「KHKの様子?」

「新体制になったんでしょ? りっちゃんが引退して」

 

りっちゃん? …ああ、麻井先輩のことか。

お姉ちゃんは…フレンドリーだなあ。

 

「なったよ。新会長は、板東さん」

「なぎさちゃんになるよねー」

「板東さんか、黒柳さんかだったんだけどね」

「黒柳くんは、なぎさちゃんに引っ張られるタイプでしょう」

「……わかる?」

「1度会ったらわかるよ」

「男子についての理解が早いんだね…」

「そうかも~♫」

…アツマさんとで、経験豊富だからか

 

「もうっ、どうしてそんなこと言うのよっ」

「ごめんごめん」

「男の子の話じゃなくて、KHKの活動の話をしよーよっ」

「活動?」

「番組、作ってるんじゃないの」

「あー、作ってるよー。ボクシング部の試合を収録したり」

「……いろんなスポーツを撮(と)るのね」

「板東さんの実況付きでね」

「なぎさちゃんも、いろんなことやってるわね……」

「お姉ちゃんは――ボクシング、好き?」

「んん、あんま詳しくないかも」

「へえ、腕っぷし強いのに

利比古っ!!

「――なぐったらイヤだよ」

「……この前、腕相撲で負けたこと、根に持ってるとか?」

「べつにそんなことないよ」

 

ふぅー、とため息ついて、姉は、

 

「ボクシングのことなら、アツマくんがよく知ってるよ」

「そうなんだ。

 さすがお姉ちゃん。アツマさんのこと、なんでも知ってるんだね」

「……彼、むかし、ボクシングジムで、トレーニングしてたことあるのよ」

 

なぜか、黄昏(たそが)れるような眼で、姉は語る。

 

「そんな過去が。でも、どうして?」

「――じきにわかるよ、あんたにも」

「――デリケートっぽいね」

「彼にもいろいろあったの……」

 

× × ×

 

「――お姉ちゃんが言うとおり、板東さんはなんでもやるんだよ。『ランチタイムメガミックス(仮)』っていう、お昼の校内放送のパーソナリティも、毎日担当するようになったし」

「――その番組タイトルは、なんとかなんないの?」

「なんないんだ、これが」

ラジオパーソナリティみたいなこともできるんだ、なぎさちゃん」

「面白いよ、彼女のトーク

「――、

 ところで――りっちゃんは?」

「!? な、なんで唐突に麻井先輩のこと――」

「気になるからよ。

 引退したっていっても……まったくKHKに姿を見せないとか、そういうことはたぶんないんでしょ?

 ほら、『偉大なるOG』的な」

「……ああ、先週、来てたね」

「やっぱり。名残惜しいんだ」

「そりゃ、そうでしょ……彼女がKHKを立ち上げたんだから」

「……りっちゃんも、波瀾万丈の高校生活だったのよねえ」

「行動力が、すごいと思うよ、彼女は」

「あんたも見習いなさいよ、利比古」

「見習えるかな…」

「尊敬してるんでしょ?」

「そりゃあ、してるよ…」

「じゃ、気持ちに応えなきゃ。

 それに――」

「それに、?」

 

――とたんに、意味深な笑みをたたえて、

 

「――彼女の『想い』にも、応えなきゃね」

 

「お、おもい!?」

「そ。想像するの『想』のほうの、『想い』」

「わ、わかんないよぼく。『気持ち』と『想い』に、どう違いがあるの」

「あらら」

「お姉ちゃん――?」

 

姉は、ひたすら意味ありげな笑顔でぼくを眺めたかと思えば、

ひとことだけ、

 

――ウブ。

 

と言ったのだった。

 

× × ×

 

 

「ウブ」ってなんだろう。

なんなんだろう。

 

こころなしか、

ここ数ヶ月の、

麻井先輩の、ぼくに対する接しかたと、

関係があるような気がする。

 

麻井先輩、なんだか、ぼくに対して、ヘンだし――。

 

 

自分の部屋に戻った。

 

スマホを見た。

 

すると――、

 

麻井先輩から、メッセージが届いていた。

 

 

 

その、内容は……。