【愛の◯◯】青春ブレイクタイム

 

「……ここに参加してるひと、小さな頃から本を読むのがずっと好きだったというひとも多いと思います。

 けれど、わたしは違って――『はねっ返り』ってことばがお似合いな――絵本を読んだりするより、お外で遊ぶのが好きで、公園でしょっちゅう男の子とケンカしてるような子どもでした。

 そんな、本が嫌いだったわたしの行く末を危惧したのか――小学校低学年のわたしを、親が書店に連れていきました。

 児童書コーナーで、『なんでもいいから読みたい本を自分で選びなさい』と言われて。わたしは直感で、講談社青い鳥文庫の棚から、松原秀行の『パスワードは、ひ・み・つ』とはやみねかおるの『そして五人がいなくなる』を抜き取りました。

『パスワード』シリーズと『夢水清志郎』シリーズの第1巻です。

『愛にはまだ早いかもしれないけど、読めるんだろうか?』とか親は思ってたらしいですけど、要らない心配で、あっという間に次々と両方のシリーズを読破していってしまいました。わたしの読書の原点は、松原先生の『パスワード』とはやみね先生の『夢水清志郎』なんだと思います。とにかく面白くて――ためになるとか教育的だとかそういうのよりも、前提として読書の取っ掛かりは、面白くなきゃダメだと思うんです! …個人の意見ですけどね。

 

 大人が読むような本を読み始めたのは――たぶん小学校3年か4年だったと思う。ミステリー繋がりで、新潮文庫の延原(のぶはら)訳のシャーロック・ホームズ。家のソファかどこかに、文庫本が置いてあるのを見つけて……漢字を覚えるのは、比較的早かったのかな。……」

 

セミナー2日目。

きょうのディスカッションのお題は、「読書の原点」。

つまり、本が好きになったきっかけとか、そういうのを話し合うことになって――羽田愛さんという、とある名門女子校の文芸部部長が、いま話し終わったところだ。

きのう羽田愛さんが自己紹介したとき、場が一瞬だけ静まり返った。

それは、彼女が「好きな作家」として、古今東西の名だたる大作家を鬼のようにひたすら挙げまくったからだ。

こんな高校生――いるんだって思った。

名前しか知らない作家ばかり増えていく、僕なんかとは大違いだな。

文学少女って、実在したんだ。

元・男子校で、女子生徒のほとんどいない学校に通っている僕にとって、羽田愛さんの出現は…カルチャーショックだった。

文学少女なだけじゃない。

才色兼備だ――彼女は。

とくに、綺麗な色の髪。

サラサラの髪が長く長く伸びているのが、眼を見張る。

繰り返しになるけど、

こんな高校生――いるんだって思った。

 

× × ×

 

休憩が入った。

自販機に向かう僕。

すると、綺麗でサラサラの長髪が、眼に飛び込んでくる。

彼女の背中。

羽田愛さんの、背中。

なにを買おうとしてるんだろう――と思っていたら、彼女はブラック缶コーヒーのボタンを押した。

意外すぎる。

「あ、どうぞ。」

僕に気づいて、自販機を譲ろうとする羽田さん。

「どうも」

軽く会釈して、羽田さんは会場に戻る。

 

× × ×

 

どうしたことか。

僕が会場に戻ってきたら――自分の席の隣に、羽田さんが座っている。

 

「ごめんね、わたしの席が取られちゃってるみたいで。休憩時間だから仕方ないんだけど」

気さくに羽田さんは話しかける。

動揺を隠せぬまま、オズオズと僕は羽田さんの隣に着席する。

「――脇本くん、だよね。脇本浩平(わきもと こうへい)くん」

「え、僕の名前、覚えたの」

「覚えちゃった。」

羽田さん、満面の笑顔。

右手にブラックコーヒーの缶を携えてのその笑顏は、破壊力がすごい。

――ここで、思ってたことを言うべきか。

言わざるべきか。

僕は迷った。

迷ったが、意を決した。

「…………羽田さんは、」

「なーに?」

「頭が………いいんだね。」

「どうしてそう思ったの?」

「さっき、発言してるのを聴きながら――ずっと思ってた」

「ずっと、か」

軽く照れ笑いになった彼女は、

「ありがとう」

と僕に感謝した。

 

「羽田さんは、たぶん…なんでも読んでるんだね」

「なんでもじゃないよぉ~」

「でも、自己紹介で」

「ドン引きした?」

「し、してないしてない」

「いわゆる、20世紀文学! とか、いちおう読んでるだけ。

 クンデラとか正直わかんないし。

 あー、でも最近読み返したガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』は、面白かったかな」

『読み返した』のか――。

「やっぱり、いちばんは19世紀ヨーロッパ文学かも。

 現代に行くにつれて、わかんなくなってくる」

――僕は、なにもかもわかんないよ。

作家の名前だけ知ってるから、なんとかついていってるだけ。

なんだか、右隣の羽田さんが、途方もなく、途轍もない、そんな存在に思えてきてしまう。

ホントにおんなじ高3なのか……??

打ちのめされる。

それでも。

羽田さんと、『共有』できる領域もあって。

「さっきのディスカッションで、羽田さんも名前を出してたけど。

 僕も好きだったんだ、

『パスワード』と『夢水清志郎』。」

エッ!? そうなんだぁ!!

叫ぶように言って、喜ぶ彼女。

「テンション高いんだね……。

 ま、シリーズの途中で読まなくなっちゃったんだけどさ、

『卒業』というか…なんというか」

「『夢水清志郎』シリーズの最終巻のタイトル、『卒業』だった」

「そ、そうみたいだね。

 それで――延原(のぶはら)訳の新潮文庫シャーロック・ホームズ』も、いま、読んでる」

「脇本くんとわたし、趣味が合うじゃない」

嬉しそうに彼女は言う。

「趣味が合うじゃない」なんて、女の子に言われたのは、もちろん生まれてはじめてだ。

これから先、こんなシチュエーション、あるんだろうか……。

ないんだろうな……。

この場限りの関係か。

彼女と、羽田さんと隣り合うのも、この休憩時間だけ。

さみしい。

青春、さみしい。

 

 

× × ×

 

セミナーもつつがなく終了。

そそくさと、出口に向かおうとしていたら、またもや鮮やかなサラサラロングヘアが眼に入ってきた。

(ロングヘア…どころじゃないよな。スカートの辺りまで伸びてる、超・ロングヘアだ…校則とはなんだったのか)

羽田さんの立ち姿は、単純に『まぶしい』と思った。

見とれてるのも変だし、さっさと帰ろうとしたら――、

大学生っぽい、背が高くてたくましそうな男の人が、羽田さんの眼の前にあらわれた。

「お~い愛、来てやったぞ」

「ヤダっほんとうに来たの?」

「迎えに来ちゃ悪いか……大学、すぐそこなんだよ」

「あいにく、ね」

「おみやげがあるぞ。2日間ごくろうさまだ」

「マジ!?」

「マジに決まってんだろが」

「どうして今日に限ってそんなにアツマくん気配りきいてるの!?」

「心外だなあ…」

「ほらすぐおこる~」

「大学生をナメるもんじゃない」

「え~、なによそれ~~」

 

これは……。

この関係は……どう見ても。

 

講師の、大手出版社の編集さんが、声をかけた。

「君――もしかして、戸部明日美子さんの、息子さんじゃあないか!?」

「あ、はい、そうですけど」

「いや~奇遇だなあ~、明日美子さんにはむかし、そりゃもう大変お世話になってねぇ」

「タハ……」

「名刺渡すから、明日美子さんによろしく言っといてくれよ」

「わかりました」

「彼女が現役だったら、オレなんかより、明日美子さんのほうが、よっぽど今回の講師にはふさわしかったと思うけどな~~」

「ええええ!? 明日美子さんって、そんなにスゴいひとだったんですか!?」

「うちらの業界だと、伝説だよ。――ところで君たちふたりは、つまるところ、」

「あ、おれはただのコイツの保護者です」

「戸部くん。正直だね、君は」

「……」

「羽田さんが照れちゃってるよ」

「……」

 

照れてしまった羽田さんは、『彼』のシャツの端っこを引っ張って、早く帰ろうと促している。

 

 

――、

住む世界の違いって、あるんだな、

ほんとうに。

 

 

 

【愛の◯◯】青春ディスカッション

 

「夏休みなのに制服着てどこ行くんだ、学校か?」

「あれ、言ってなかったっけ。

 セミナーに行くの」

セミナー??」

「うん。都内の高校の文芸部員が集まって。

『読書』っていうテーマで」

「初耳…しかしそりゃ愛にぴったりなテーマだ」

「でしょ? でしょ? アツマくん」

「きょうだけなの」

「違うよ、2日間。明日もあるの」

「マジか」

「マジよ」

 

× × ×

 

都内某駅で、松若さんと待ち合わせ。

「あ~っ羽田さんおはよう~」

「おはよう! 松若さん」

よかった。

松若さん、すこぶる元気。

 

それでも、会場への道を歩きながら、思わず呟いてしまった。

「……わたし安心した」

「安心??」

はじめは何のことやら、というリアクションだった松若さんだったが、勘づいて、

「――あぁ、期末のことね~!

 お騒がせしちゃったねぇ、アハハハ」

「泣いてた、って言ってる子もいたから…」

「泣いたよ」

「だ、だいじょうぶなの!? ホントに」

「だいじょうぶ。だって、泣いたらスッキリして、全部飛んでいったから。立ち直ったから」

「そっか――。

 松若さんは、やっぱり元気で明るいほうがいいよ」

「そうだね――」

 

× × ×

 

会場では伊吹先生が待ち構えていた。

「偉いね2人とも。遅刻せずに、しかも5分前行動」

「『誰かさん』と違って、普段からちゃんとしてますので」

ええ~ん羽田さんがいじめる~~

 

――言い過ぎたかな。

「羽田さん厳しいねぇ伊吹先生に」

「長いつきあいだから……。

 この前、邸(ウチ)にも来たし」

――やばっ。

うっかり口を滑らせちゃった。

「え、家庭訪問!?」

「まっ松若さん、内緒だよ、これ……」

「わかってるよぉ」

「ホントに、内緒ね、これ」

「伊吹先生、羽田さんのことが好きなんだね」

「――わたしも好きだよ」

 

 

他校の生徒といっしょになるのは、なんだか新鮮。

他校の文芸部、女子も多いけれど、男子もそれなりにいる。

当たり前だよね。共学校も多く来てるんだし。

男子校だって来てる。

 

きょうのセミナー、共学校の教室で授業を受けているような感じになるんだろう。

すごく新鮮。

男女一緒に勉強するなんて、小学校以来。

6年ぶりってことか。

つかの間の共学校体験――か。

貴重だな。

さっきはヒドいこと言っちゃったけど、こういう場に連れてきてくれた伊吹先生に、感謝したい。

 

 

× × ×

 

セミナーはまず、大手出版社の編集者さんの講演から始まった。

 

「中高生の読書調査」的なプリントが配られた。

中高生が読んでる本ベスト10が学年別にリストアップされている。

けれども、リストアップされているのは、まったく見たこともないようなタイトルの作品ばかり。

講演を聴くに、これらが「ライトノベル」という方面の作品群らしい。

 

休憩時間に、松若さんに、プリントを見せながら訊いてみた。

「――わかった? 松若さん。わたし全然こういうのチンプンカンプンなんだけど。巷(ちまた)の中高生の読書傾向と、著しくズレてるみたい」

「あたしは知ってたよ、読んではいないけど」

「全部、『ライトノベル』なんだよね」

「まあそんなところだろうね。略すと『ラノベ』」

「『ラノベ』…」

「略すとキレるひともいるから要注意だけど」

「エッ」

「実はね――ここに載ってるタイトルって、全部アニメ化されてるんだよ」

「エエッ、どうして知ってるの!? 松若さん」

「父がアニメ好きなの」

「松若さんの、お父さんが!?」

「そうなんだよね~」

――松若さんのお父さんって、何歳なんだろう。

――ま、何歳だっていいよね。

趣味に年齢関係なし。

 

× × ×

 

そして自己紹介タイム。

こういう場なので、読書をからめた自己紹介になるわけだが、みんな、なかなかの本を読んでいる。

さっきのプリントに挙げられていたようなライトノベルは、いっさい名前が出なかった。

なんというか、みんな、硬派。

わたしももちろん自己紹介をしたんだけど――場が一瞬静まり返ったのは、どうしてなんだろう??

 

× × ×

 

次は、お待ちかねのディスカッション。

お題は、『読書の苦しみ』。

読書の楽しみではなく、苦しみ。

たしかに、読書の「苦しみ」という側面は、もっともっとピックアップされてもいいと思う。

わたし自身が、いろいろな「苦しみ」を体験した。

本が思うように読めなくなる「苦しみ」が、定期的に来る。

高1のときも、高2のときも、その「苦しみ」を味わった。

克服した、と思ったら、また壁が立ちはだかって。

高3のいまの苦しみ――というより「悩み」かな――は、読書量が急降下するみたいに減少していること。

中等部時代ならいざ知らず、高3にもなって今更読書量の多い少ないでジタバタしないけどさ。

でも、読むペースがなかなか上がらないと、つらいよね。

 

そういうことをディスカッションで発言しようかどうか迷っていたら、松若さんが挙手した。

先手を取られたかー。

「松若響子です。

 えーっと、これは読書の『苦しみ』っていうより、『悩み』っていったほうが正しいのかもしれないけど、聞いてもらえないでしょうか?」

隅っこで生徒同士のディスカッションを見守っている伊吹先生が、「いいんじゃないの」というサインを眼で送る。

「――こういう場で打ち明けるのも、少し恥ずかしいんですけど。

 でも言います。

 あたし――『本を最後まで読み終えられない症候群』なんです。

 本を読み始めても、最後のページまで読むことのできたことが、ほとんどないんです。

 ナポレオン・ボナパルトも、そうだったみたいですけど。

 でもあたしナポレオンじゃないし、出来るなら、本を最後まで読み終えたいんです。

 あたし、ナポレオンとは違った道を歩きたいので…なんだか大仰なたとえになっちゃいましたけど。

 本を途中で挫折しない方法、だれか知りませんか?

 本を最後まで読めない『ナポレオン症候群』への対処法に限定しなくってもいいんです。

 読書法――っていうのかな。みんなが、どんな読書の『コツ』を知っているか。秘伝の読書メソッドみたいなものを、せっかくだからこの場で教えてもらえたら、あたし――うれしいかな」

 

だんだん話すにつれて、松若さんはくだけた口調になっていった。

彼女がくだけた話し方になっていくのに比例するように、ディスカッションの雰囲気も――気のおけない雰囲気、というかなんというか――緊張感が緩んでいき、場が打ち解けていく。

そして、ショウペンハウエル『読書について』・加藤周一『読書術』・永江朗『不良のための読書術』のようなメジャーどころから始まって、古今東西のいろいろな読書指南の名前が、みんなから次々と挙がっていく。

ほかにも、自分が実際に使っている「読書メソッド」を打ち明ける子もいたりして、場はこれ以上ないほど盛り上がってくるのだった。

松若さんもやるなあ。

男女混じって、ディスカッションで意見を交わしあって、白熱――。

こんな体験、今しかできない。

後にも先にも、こんな時間、こんな空間はなくって。

熱い時間と空間、心躍(おど)る時間と空間。

 

――わたしたち、

いま、ここで、青春してるんだ。

 

 

 

【愛の◯◯】ジーパンとお昼寝

 

夏休みなんだけど、いつもどおり起きて、食卓へ。

 

父さんが、新聞を読みながら、朝食を食べている。

「おはようさやか」

「おはよう」

「なんだ、休み始まったのに、ずいぶん早いじゃないか」

「生活リズムって、大事だし」

「まじめだなぁ」

 

× × ×

 

そして父さんが家を出る時刻に。

「ねえ父さん、兄さん今度いつ帰ってくるか知らない?」

「さあ、知らないなあ」

「…そっか」

「相変わらずさやかはお兄ちゃん大好きだなあ」

「…そうだよっ」

「きょうは勉強か?」

「勿論」

おもむろに、わたしの頭に手を乗せて、

「おまえは真面目でほんとうに偉いなあ」

……朝っぱらから、ちょっと恥ずかしい。

「じゃあ父さん行ってくるよ」

「いってらっしゃい」と父さんを見送ったあとで、少しだけ溜め息をつく。

そこに母さんがやってきて、

「どしたの? さやか」

「父さんが激甘だったー」

「ほめられたんならいいじゃない」

そうやって、ニコニコ顔で「お昼ごはんなにがいい?」とか訊いてくる。

「さやかの好きなもの作ってあげるよ」

――これが、わたしの両親。

 

× × ×

 

激甘だけど、

嫌いな甘さじゃない。

両親は、わたしをあたたかく育ててくれた。

 

だから、志望大学に受かって――恩返しがしたい。

問題は、わたしの志望校が、日本でいちばん難しい大学だということ。

模試の結果は――まぁ、上々なんだけど。

気を抜きたくない。

 

というわけで、勉強机の前に座りしだい、すぐさま参考書を開き、受験勉強を始める。

 

× × ×

 

ところが、しばらく勉強していると、無性に参考書や問題集以外の本が読みたくなる。

テスト前に無性に本が読みたくなって延々と読んでしまう現象って有名だけど、それの大学受験バージョン?

誘惑に負けて、本棚に手を伸ばす。

それで、参考書そっちのけで小説を読みふけっていたら――昼食ができたことを、母さんが知らせてきた。

 

× × ×

 

昼食に、集中できず。

そして、数ⅡBにも集中できない。

あっという間に読み終わった小説。

その一方で、一向に終わらない問題集。

 

――どうしよっかな。

手詰まりだ。

これ以上やっても、能率が上がらない。

「……音楽でも聴くか」

 

夏休みのあいだは、

荒木先生に、会えない。

その点、愛やアカ子は、うらやましい。

「それはそうと…」

荒木先生、どんな音楽が好きなんだろ。

クラシック以外で。

ロックやポップスで、荒木先生が、好きな音楽って……。

長年授業を受けてきたなかで、ある程度察しはつくけど。

 

これかなあ?

それとも、これ?

…と、CD棚とにらめっこするけど、わたしは荒木先生が好きそうなアルバムを選ぶことができない。

1時間近く棚の前で悩んでも、最適解が得られない。

 

荒木先生が好きなロックバンドとか――訊こうとしても、2学期まで訊けないのか。

つらいなあ。

 

いつの間にか、

荒木先生のことばっかし考えてる、

自分が、つらい。

 

受験生じゃなくなってる。

 

――仕方なく、クラシックのCDを棚から引き抜いてラジカセにセットする。

こんなことじゃダメだな~と思いつつ、ジーパンを脱いでベッドに横になり、眼をつむりながら音楽に耳を澄ませる。

 

 

 

 

 

 

 

 

『さやか~~??

 さやかちゃ~~ん???』

 

 

あ。

わたし、完全に寝落ちしてた。

 

 

「……ごめん母さん。寝てた」

「もう夕方よ」

「……やばっ」

母さんはおっとりと、

「疲れてるんじゃないの?」

「んー、肉体疲労のほうはだいじょうぶなんだけど」

キョトンとする母さんをよそに、ベッドに腰を下ろして、

「ナーバスにもなってないんだけど、」

「だけど、?」

「母さんには――まだ秘密かな」

笑って言う。

すると、ジーパンを脱いだままベッドに腰掛けているわたしを見かねて、

「――履きなよ、ジーパン」

「あ、はいはい」

わたしの、いつものクセ。

高3になっても直らない。

しょうがないなあ、といった表情の母さん。

…そんな母さんが、ジーパンを履いている最中のわたしを、なぜか興味深く見ているような気がする。

なぜだか、ジーパンに脚を通すのに、まごつくわたし。

わたしがジーパンと格闘していたら、

「…かわいい」

え!?

なにが!?

かわいいって、なにが!?!?

わたしがジーパン履くのに手間取ってるのが、かわいいのか。

そ、それとも――。

うろたえているわたしに、追い打ちをかけるように、

「はやく履いちゃいなよ~♫」

わ、わかってるからっ!!

……うろたえにうろたえながら、わたしはジーパンを引き上げ、ファスナーを閉め、ベルトを念入りに締めるのだった。

 

 

 

ほんとに、もう……。

 

 

【愛の◯◯】いいかげん高校生になってくれてもいいじゃないのっ加賀くん

 

「『手のない時は端歩を突け』」

「――は!?」

「知ってるでしょ加賀くん、将棋の格言で、さ」

「いきなりなんだよ」

「『歩のない将棋は負け将棋』って格言もあるよね」

「……もしかして、覚えたての将棋格言を、言ってみたかっただけ?」

「ぎくっ」

「そんなに、将棋のお勉強してますアピールがしたいのか」

「ぎくっ」

「……言っとくけど、その端歩はたいして意味ないぞ」

「ギョッ」

 

突いた端歩が、皮肉にも悪手だったのか、その後一方的に加賀くんに攻められ――わたしは負けた。

連敗記録、またもや更新中である。

小型サイズのノートに、黒星をメモする。

盤面を見ながら加賀くんが、

「いちいち対戦記録メモしてんのか」

「そうだよ」

「…むなしくならないか?」

ひどいなー。

「ひどいなー、せっかく将棋専用ノート作って、がんばってるのに」

「ふうん」

「関心ないんだ」

「ノートに書くより駒を動かしたほうが上達するぞ」

「よ、容赦ないね…将棋になると」

「おれは正論を言ったまでだ」

生意気なくらい…容赦ない。

「あのなー。

 格言覚えたからって、勝ち負けにつながるわけじゃないだろー。

 実戦だよ実戦。

 勝つか負けるかどうかが肝心なんだから。

 勝たなきゃ……意味ないだろ」

う~ん。

「…勝たなきゃ意味ないってキミは言うけど、負けから得られるものだって大きいんじゃないの? 負けてこそ、強くなれるのかもしれないし。

 それにさ、

 将棋って――勝ち負けがすべてなのかな。

 勝つか負けるかだけじゃ、やっぱ物足りなくない?

 もっと奥が深いんじゃないの?」

加賀くんは顔をしかめて将棋盤を見つめている。

「わたしも――よくわかんないけどさ」

 

『手のない時は端歩を突け』か。

「何をすべきかわからないときでも、とりあえず何かに取りかかったほうがいい」っていう考えを含んでいるような気がする。

たとえば、文章が思うように書き進まないときも、とりあえず何か書いてみる――そういうときってある、『案ずるより産むがやすし』とはちょっとズレるかもしれないけど、悩むよりも書く、『最善の手』ではないにしても。

 

――先に進みたければ、端歩でもなんでも突く。

 

「端歩でもなんでも、突かなきゃ始まんないよね」

「あんたのさっきの端歩は終わりの始まりだったけどな」

「ガクッ」

 

駒箱に駒をしまいながら、加賀くんが、

「ところでさ…あすかさん」

「なーに? 加賀くん」

「その……言いにくいんだけど」

「え?」

「あんたはさ、」

「…?」

「どうして最近……岡崎センパイのことを、『お兄ちゃん』って言いかけるようになっちまったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…やっぱ、訊いたらマズかったのかな」

これまでにないくらい、申し訳無さそうな表情の加賀くん。

「か、かがくんは、さっしがいいというか――いがいにかんづくんだね、そーゆーとこ、たはは」

「……テンパらないでくれよ」

「てんぱってないよ~? わたし。ほら、ふつーだよふつー」

「この話はもうやらない」

「そ、そーしてくれると、うれしいかも~~、なーんてっ」

「おれじゃなくても気づくと思うけどな」

ど、どうしてわかるのかな~!?

 

 

深呼吸して、

平静さを、

徐々に取り戻し。

「――わたしに兄がいるって、加賀くんに話したっけ?」

「あんたから言われたかどうかはわかんねーけど、知ってはいる」

「そう。

 ――兄はここの卒業生なの。

 3つ上でね…背が高くて、運動神経がよくて」

そうだ――岡崎さんもけっこう背が高いけど、それでもお兄ちゃんには、少し及ばない。

「――お兄ちゃんだけズルい、って思うことあるの。自分だけ身長高くて。なんでわたしも背が伸びなかったのかな~って、うらやんだり」

「そういうこと気にしたりすんの?」

「ときどき」

「あんた身長何cmなんだ」

 

あ。

加賀くんナマイキ。

 

「…子どもだねぇ、加賀くんも」

「いきなりガキ扱いかよ!?」

「それはけっこうデリケートな質問だよー?」

「そう…なんか。失礼……だったか、年上の、女子に」

 

キョドっちゃって。

 

「キミは部員だから特別に教えてあげるね。

 155センチ。

 高校に入ってから、1ミリも伸びてない」

「155…。

 …そんな気にするほど、低くはないんじゃないのか?」

「えっ、うそっ」

「!? なんだよその反応」

「――お兄ちゃん基準だったからかも。お兄ちゃんより20センチ以上低かったから、世間一般が考えるより『自分は小柄なんだ』って思い込んでたのかも」

「要するに、意識しすぎだったんだろ」

「うん…」

「引け目を感じる必要ないんじゃないの」

「…そういうこと言ってくれたの、加賀くんが初めて」

きょとん、とする加賀くん。

…少しは照れくさそうにしてくれてもいいのに。

鈍感なのか、それとも単にお子様なのか…。

お子様だとしたら、この子は中学4年生くんだ。

「…まるで中学校を留年してるみたい。」

思わずそうけしかけたら、何を言ってるんだこのひとは……というふうな最高に微妙な顔をする。

早く高校生になってよ!!

ほんとにもうっ。

 

× × ×

 

「――ところで、なんで唐突に自分の兄貴の話、し始めたんだ? あんた」

「それこそ、『手のない時は端歩を突け』だよ」

「???」

「端歩を突いたの」

「よくわかんねーよ」

「キミが一人前の大人なのは将棋だけなのね」

「…あっそ。」

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】高校3年の夏っぽいダークブルーのシャツ

 

日曜朝の子供番組をボーッと見て、それから部屋に戻ってウダウダしていたら、もう昼前。

4連休の最終日も、あっという間に過ぎていく。

明日から、本格的に長期休暇モードで、またもや喫茶店「リュクサンブール」でのアルバイトの日々が始まる。

バイトだけど、楽しみだな――と思っていたら、コンコンコン…とおれの部屋を誰かがノックしてくる。

この音は、愛だ。

 

× × ×

 

勉強机にからだをもたせ掛けるようにして、愛はベッドに座るおれと向き合っている。

「日曜朝のアニメって11時ぐらいまであるのね」

「観てたの?」

「チャンネル回してたら気づいただけ」

「あ、そうですか」

「……お昼ごはんだけど、」

「はい、」

「ごはんモノか麺類か、どっちがいい?」

「どっちでも」

「それがいちばん困るんですけどっ」

「おまえが好きなほうで」

「えーっ」

「えーっ、じゃねえよ」

そもそも、何の話したくておれの部屋に来たのか。

「昼飯のリクエストをもらいたくて、ここに来たわけでもないんだろ?」

「そうねぇ」

そうねぇ、じゃないだろっ。

愛は少し目線を低くして、

「明日からの…アツマくんの予定を…知りたかったから…」

「予定? バイトだよバイト、いつものところで」

「『リュクサンブール』?」

「そう。話さんかったか?」

申し訳なさそうに舌を出す愛。

「あすかみたいなリアクションするんだな」

「…ホールスタッフって、ずっと立ってたり動き回ってたり、大変じゃない?」

「そんなでもないぞ」

「…あー。愚問だったか。アツマくん疲れないもんね」

「体力だけはあるからな」

「自虐に走らないっ!」

――やれやれ。

「――楽しいよ、バイト。もう辛くなんかない」

「それはよかった。

 がんばってね」

「ああ」

 

「――ところで、おまえの夏休みの予定は?」

「まず受験勉強だよね」

「そう言うと思った。

 けどさ。

 高校最後の夏休みなのに、勉強勉強の勉強漬けで終わらせるのは、もったいなくないか?」

「ごもっともよ。

 ――まぁ8割が勉強として、残りの2割をどう過ごすかだよね」

「どう過ごしたいんだ?」

「今しかできないことが、したいかな」

「たとえば?」

「まだ思いついてないの」

目線を上げた愛は、遠くを見るような眼になって、

「実質半年、か」

「なにが」

「今の学校に、通うのも」

卒業が…見えてきたってことか。

「あっという間に――終わっちゃうんだよね」

「名残惜しいか」

「当然でしょ」

 

普通の高校生らしいことを、

愛にさせてやりたい、

とか、

そのときおれは、ふと思った。

 

「…考え事してるの?」

「あ、いや、ごめん」

「…典型的な、アツマくんが考え事してるときの顔つきだったから」

「なんじゃそりゃ」

なんじゃそりゃ。

 

愛の着ている服が、目に留まる。

青地(あおじ)のシャツ。

青といっても、ほとんど紺色に近いような色合い。

「――珍しいな」

「え、なにが」

「おまえがそんな色のシャツ着てるのが、珍しいなあと思って」

しだいに戸惑い始めた愛は、

「い、いきなりわたしの服の話するなんて、アツマくんがアツマくんじゃないみたい」

「おれはおれだ」

「似合って……ない??」

「その逆」

じぶんでじぶんのシャツを見回しながら、

「ほめられちゃった……た、たしかに、こういうダークブルーっぽい色合いのは、あんまり持ってなかったと思う」

「……高校3年の夏っぽくていいよな」

「なんなの、その感想…」

戸惑いながら、ふくれっ面(つら)になる。

愛にありがちなリアクションだ。

――こういう愛を眺めていると、つい本音が言いたくなって、

「そうやってすぐ怒りっぽくなるのも…愛らしくって、おれは好きだぞ」

と、コメントする。

すると、戸惑いに戸惑ったのか、みるみるうちに顔が赤くなっていって、

「そんなこといきなり言わないでよっ、心臓に悪いじゃないっ」

「悪かった。」

「ほんとにもう」

火照った顔を凝視されるのがイヤだったんだろう。

おれの左隣に場所移動して、腰掛ける。

同じ方向を向いて、ベッドで隣同士。

「アツマくん、怒ってるんだからね、わたし」

「そうは思えないな」

「…」

「じゃなんでそんなに密着してこようとするのか」

「わるい!?」

「典型的な過剰スキンシップ、ご苦労さま」

「ひどい!!」

「脈絡なく肩を寄せ合おうとする典型的な悪癖(あくへき)」

おこるよ!??!

「…でも、きらいじゃない」

んっ……

 

 

 

 

【愛の◯◯】たかが野球、されど野球

 

スポーツの日!

 

――ということで、KHKで制作したスポーツニュース番組の映像を、お邸(やしき)で観ている。

 

 

『はい! どうもこんにちは、キャスターの板東なぎさです。』

 

キャスターの板東さんが、解説役の先生とともに、桐原高校の運動部が参加した試合のVTRを振り返っていく、という流れ。

 

『それではまず野球部の練習試合の模様をお届けしたいと思います。…その前に嬉しいお知らせです。故障で離脱していたリリーフエースの平和台くんが部活に復帰しました』

 

そして平和台センパイの顔写真が映し出され、

 

『これからの平和台くんの活躍に期待したいですね!

 では練習試合。今回は泉学園との交流試合でした。観客人数は、およそ――』

 

アバウトな観客人数を読み上げる板東さん。

どうやって観客の数を調べたのか。

日本◯鳥の会でも雇ったというのか。

というか、観客数、言う必要あったのか――?

 

『解説は英語の駒沢先生です。よろしくお願いします』

『あ、よろしく、よろしくなんだけど、なんだけどさ……』

『なんですか? 駒沢先生』

『ぼく、野球部の顧問でもなんでもないんだよね。部外者なんだよね。正直、どうしてこの席に座ってるのかわかんないんだけど』

『それは、ウチの監督や顧問の先生が解説をすると、公平性が保てないからです』

『公平性…?』

『身内はどうしても桐原びいきの解説になっちゃいますから』

『身内っつったって、野球部関係者ではないけれど、ぼくだって桐原の教員だよ?』

『そうでした。――どうしましょうか?

 あ、麻井ディレクターから、『できるだけ公平にお願いします』とのお言葉いただきました』

『そう言われてもなぁ……あとどうでもいいけど麻井、おまえ顔色だいじょうぶか?』

『巻きでいきましょうよ駒沢先生~』

『ええっ……』

『先生はMLBのアスレチックスの試合を生で観戦されたことがおありとか』

『…あるよ。京浜じゃなくて、オークランドの』

『うちの麻井ディレクターはその実績を買ったんですよ』

『…麻井、おまえもこっちに来て話さんか?』

『おおっと!! なんと駒沢先生のよもやの出演依頼!! どうする麻井律!?

 ――ダメだそうです。

 ディレクターは、あくまでディレクターだからと。

 なんで、とっとと試合のVTR行きましょうね~』

『……板東、おまえ普段からそんなノリだったか!?』

 

あらためて、脱線が――多い。

これも、「味」といえば「味」なんだが――ううむ。

 

「なに唸(うな)ってるの、利比古」

「アッお姉ちゃんだ」

「コーヒーあるけど、飲む?」

「あ、飲むよ。砂糖とミルク忘れずに」

「はいはい♫」

 

ぼくに砂糖とミルク入りのコーヒーを手渡す姉、自分のほうはいつものようにブラックコーヒーである。

そのブラックコーヒーが入ったカップを持って、ドカッとソファに座り、テレビ画面を見やったと思ったら、とたんに姉は画面のほうに身を乗り出すのだ。

野球やってるじゃないの!

「そうだね。ウチの高校の練習試合だけどね」

「でも野球でしょ?」

「そ、そうだよ」

「野球ならなんでもいいわよ」

「あ、そう…」

「――なにこれ、『プロ野球ニュース』??」

「そんな番組が、むかしフジテレビであったらしいね」

「え、いまでもやってるけど」

「それは初耳」

「スカパーだけどね」

「なるほど」

「いまはBSとかCSとかほら、『棲(す)み分け』ってやつ」

「…詳しいんだね」

「小泉さんの影響で。少しは、ね」

「あー、小泉さんかぁ」

小泉さんはお姉ちゃんの学校のOGで、無類のテレビ好きなのである。

 

「……いいねえ、こういう雰囲気」

「雰囲気、って、番組の雰囲気?」

「そうよ。素人の自主制作番組、って感じがビンビン伝わってくるじゃないの」

「…会長が怒っちゃうよ」

「麻井さんにはナイショよ☆」

「…」

「解説の先生のたどたどしいしゃべりが何とも言えないわね」

そうだなあ。

急遽、解説の席に座らされた駒沢先生もお気の毒だけど、なかなかどうして、たどたどしいしゃべりではあるが、サマになっているのだ。

サマになっている、というのはちょっと失礼だけど――要するに、解説が解説として成立している。駒沢先生が、ちゃんと「解説者」になっている。

――不思議だ。

 

「――お姉ちゃん」

「ここでスクイズはないでしょっ」

「――お姉ちゃんってば」

「あ、ごめん☆」

「ねえ、疑問なんだけどさ――どうしてぼくたちは、スポーツってものに、こんなに熱くなれるんだろうね?」

「それは謎だよね。たかがスポーツなのにね、言っちゃえばさ」

「うん…」

「…たかがスポーツ、されどスポーツ、なんだよ。

 スポーツっていう、『おとぎ話』なんだけどさ」

「うん。野球だって、フィクションとも言えるわけじゃないか。フィクションとノンフィクションの境界線で、盛り上がれるだけ盛り上がってる」

「難しいこと言うようになったんだね」

 

『……駒沢先生がおっしゃられるように、平和台くんが抜けた穴はやはり大きかった。終盤に粘りを欠いた大きな要因であるわけなんですね……』

 

「フィクションといってしまえばフィクションだし、エンターテイメントにすぎないといってしまえば、そうなんだけどさ」

 

『……なんだか妙な感覚だな』

『どうしました? 先生』

『いや、この席に座ってるってこと自体が妙な感覚なんだけど。――それ以上に、野球を解説するってのが、なんだか『非日常』を演出している…そんな気がして』

『非日常を演出している……ですか。

 フーム、

 先生は解説者というより、詩人ですねえ!』

『詩人!?』

 

「――ぼくも野球、好きだよ。お姉ちゃん」

「――そっか」

 

× × ×

 

「ね、利比古、あんたと最後にハマスタに行ったの、いつだっけ?」

「え、もう忘れちゃったよ、だいぶ昔だよ」

「……またいつか、行けたらいいよね」

「そうだね……」

ラミレスをヤジってやるんだから

「    」

 

 

 

 

【愛の◯◯】「水着買ったんだ」

・音楽誌『開放弦』 公式ブログより

 

サザンオールスターズ 80年代中期の3枚のアルバム

 

輝三「『ステレオ太陽族』(81年)もいいんだけど、『綺麗』(83年)。大人な雰囲気が充満してるアルバムだ。おれは「赤い炎の女」とか好きだな」

 

小鳥遊「テル先輩!」

 

輝三「なんだ~?」

 

イチロー「いやテルよ、そこで『学生注目!』みたいなリアクション出さなくてもいいだろ」

 

小鳥遊「イチロー先輩……ちょっと言ってる意味がわからないです」

 

イチロー「世代間ギャップ!?」

 

輝三「『学生注目!』がどこでも通じるわけじゃないよ」

 

イチロー「しょぼーん」

 

輝三「…質問でもあるのかい、小鳥遊」

 

小鳥遊「「EMANON」って曲があるじゃないですか」

 

輝三「ああ、『綺麗』で唯一のシングルA面曲だね」

 

小鳥遊「「EMANON」ってどういう意味なんですかぁ?」

 

輝三「それはだね……文字を、ひっくり返してご覧」

 

小鳥遊「文字をひっくり返す…反対から読む…アッ、「NONAME」!!」

 

輝三「そういった仕掛けが、隠れているんだよ」

 

小鳥遊「すっごーい!!

 

イチロー「しょぼぼぼーん」

 

 

 

イチロー「ところでなんでいまサザンの80年代アルバムなの」

 

小鳥遊「勘が鈍いですね」

 

イチロー「何ィ!?」

 

小鳥遊「海の日が近いからに決まってるじゃないですかぁ!」

 

イチロー「あぁ…海の日が近い、海といえば湘南、湘南といえばサザン、そういうことであると」

 

輝三「『綺麗』も好きだけど『人気者で行こう』(84年)はもっと好きだなあ」

 

小鳥遊「「開きっ放しのマシュルーム」(4曲目)って、面白いタイトル」

 

輝三「……」

 

イチロー「……」

 

編集長「……」

 

小鳥遊「えっえっ、皆さんどうかしちゃったんですか」

 

イチロー「……小鳥遊、『人気者でいこう!』っていうテレ朝の番組、知らない?」

 

小鳥遊「しらないです」

 

イチロー「『格付けチェック』ならわかるだろ。あれはもともとあの番組が発祥なんだが…『人気者でいこう!』っていう番組タイトルは、たぶんこのアルバムが由来じゃあないかなあって思うんだ」

 

輝三「そうなの?」

 

イチロー「だって…」

 

小鳥遊「『だって…』じゃないですよ! サザンの話、しましょうよぉ~」

 

輝三「そうだな。『人気者で行こう』っていう名盤について、もっと語りたいや」

 

イチロー「(たいそう不満げに)南たいへいよ音頭!!

 

輝三「違うだろそれは。「南たいへいよ音頭」は『綺麗』の曲だろう?」

 

編集長「イチローなにがしたいんだお前」

 

イチロー「なにもしたくないです編集長」

 

編集長「海でも行ってくれば?」

 

イチロー「南太平洋……」

 

編集長「遠いなあw」

 

イチロー「遠いですかね」

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

「――『サザンオールスターズ 80年代中期の3枚のアルバム』っていう題なのに、いつまで経っても『KAMAKURA』の話に行かないんだもんなぁ」

 

「半笑いでひとりごとしないでよ、ギン」

「あっごめんルミナ」

「PCモニターに食いつきながら半笑いだといっそうオタクくさいよ」

「オタク……なのかなあ、おれって」

 

「どうしてそこで悩んじゃうの……ギン」

 

「反応がおおげさ」

「……ま、いっか。ギンがオタクでもオタクじゃなくっても。

 それ以前に、大事なことって、あるよね」

「あるの?」

「鈍感」

「エッ」

 

なぜか、拳を握りしめるルミナ。

おっかない。

おっかないなあ、と思っていたら、おもむろに話題を転換して、

「――ねぇ、ギンは戸部くんや鳴海とかとプール行ってんのよね」

「そうだよ。サークルのあとにな。音楽聴いてるだけじゃ身体がなまっちゃうからな」

「楽しい……?」

「楽しいぞ。…なんだ、ルミナも興味あんのか?」

「べ、べつに」

「来てもいいんだぞ」

 

――ルミナが不機嫌になっちまった。

ルミナとプール、か。

最後にルミナとプールに入ったのは――高校の水泳の授業だよな。

もっとも高校の水泳の授業だし、ほとんど男子と女子の接触なんてなかったが。

 

でもなんでプールのことなんか訊いたんだろう。

 

「――変な話、してもいいかな」

「??」

「あのさ…、

 もし、

 もしあたしが、

『ギンに見せたい水着がある』なんて言ったら、

 ギンは……ドン引きしちゃう?」

「どうせ冗談だろ。ドン引きしたりしないよ」

「冗談じゃなかったら」

「え」

「あたしさ……水着買ったんだ」

 

 

 

「……もしかして、普通の温水プールじゃ、着れないようなやつか」

「そゆこと。」

「レジャー施設としてのプールに行きたい、と?」

「うん……」

「まぁこのブログはフィクションだとして、」

「……」

「そんなことしてるヒマ、ないんじゃないのか」

「……もちろん今はないよ。

 ないんだけどさ。

 試験とか、いろいろ――ひと段落、したら」

「そっかぁ。

 見せたいかぁー、水着」

「なにそのビミョーな反応」

「見せたいから買うんだよなー」

「――あたしたち4年生なんだよ。

 もうこういう機会、あるかどうかビミョーでしょ。

 あんたと一緒に行って盛り上がるかどうか正直ビミョーだけど。

 これはビミョーなんだけどさ…でもあんたと、が、あんただけと、が、あたしは良いな~って、思ったりして…。

 も、もちろんスタイルとかビミョーだよ、あたし。

 でも……」

「『ビミョー』が口癖なのか? おまえ」

「ビミョー」

「…おい」

「…」

「…」

「…言って、後悔しちゃった」

「後悔とかするもんじゃない、ルミナ」

「……ビミョーな反応だね、ギン」

「デートがしたいなら、『デートがしたい』って素直に言えばいい」

「回りくどくなくていい。

 本音を言ってほしい。

 いつから顔なじみだと思ってんだ?

 腐れ縁だからこそ――本音で言い合えるんじゃないのか」

「――じゃ、本音の、約束。」

「なんだ~?」

「戸部くんにはナイショだよ」

「おー」

「『おー』、じゃないでしょ。

 まったく。

 鳴海にも、絶対ナイショにして」

「おー」

「まったく…」

 

『しょうがないなあ』と言いたげだったが、ルミナは柔らかい笑顏になっていた。

その柔らかい笑顏に、少しだけドキッ、となってしまったのは、

ナイショだ。

 

「わかったよ。

 約束は守るよ、ルミナ」

「男らしい声になっちゃって~」

「っるさい」

「素敵、素敵」

「ちぇっ」

ギンのそういうところ――素敵だから、あたしはスキ

「んっ……」

 

 

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】あすかのときめき夏休み!?

 

「お兄ちゃん、やけにくつろいでるね」

「悪いか?」

「大学は終わったの?」

「前期はもう終わりだ。レポートも全部出しちゃったからな~」

「…単位落としたら、お仕置きだよ」

「ヒエッ」

「わざとらしいリアクションやめてよ」

 

「夏休みは? バイト?」

「そうだな。いつもの喫茶店で」

「いつまで?」

「9月の終わりまでだな~」

「休み長くていいよね」

「すまんなあ」

「車の免許でもとったら?」

「なやむなあ」

「……もうちょっと本気で悩む仕草してよね」

 

「あすかは? 夏休みの予定は?」

「部活に行くよ」

「…スポーツ新聞部か」

「そ。新入部員がひとり入った。男の子」

「へー」

「加賀くんっていうんだけど、将棋がすごく強いから、将棋欄担当。藤井くんの棋聖戦のときとか、大助かりだった」

「へー」

「なんでそんな興味なさそうなの。少しは興味向けてよ」

「…だってスポーツ新聞部だし」

「どーして関わり合いになりたくなさそうなのかなあ」

「……経緯が」

「たしかに経緯は経緯だけどさぁ。――スポーツ新聞なのに将棋担当の新人とか、意外性があると思うでしょ? 思わないの!?」

「べつにぃ」

「しかも男の子の新人なんだよ!?」

「なぜそこを強調する」

 

「でも夏休みのいちばんのビッグイベントは作文オリンピックかな~」

「イベントって、応募するだけだろうに」

「でもオリンピックじゃん」

「そうですが…」

「書かないとね。すごい作文を。金メダル取れるようなやつを」

「おまえはいい線行くと思うな~」

「えっ!? ホント、お兄ちゃん」

「なぜ急にときめいてるんだ、妹よ」

「ときめくって――ちょっ、バカッ」

「うろたえるんじゃない」

「わたしときめいてなんかない」

「だって、さっきいきなりキラキラした顔になってるんだもの」

「うるさい、お兄ちゃんにそんな顔するわけない」

「照れんでも」

「――さ~てと、作文のアイディアをわたし練らないと、」

「すぐごまかす~~」

「うるさいっ黙れバカっ」

「まぁおちつけ。くれぐれも無理はすんな」

「……頭ナデナデしないで……落ち着けるわけないじゃん」

 

× × ×

 

「作文のアイディア練ってくるんじゃなかったんか?」

「ふんっっ」

「そんな遠くに座らんでもいいだろ。きょうだいだろう?」

「関係ありますかっっ」

「ツンツンしてんな」

「うるさい兄貴はこれでも見とけっ」

「チラシを投げんな……、ほほぉ夏祭りか」

「来月下旬」

「ずいぶん唐突だなぁ」

「いろんな事情があるんでしょ」

「だれの」

「事情というか……都合というか……」

「なんで去年はとくに夏祭り、描写されなかったんだろ」

「ツッコミはそこまでにしときなさい」

「はい」

「あと明日は休載」

「このブログ?」

「そう。管理人さんからの連絡」

「どこから連絡来るのやら」

「つべこべ言わないでそのチラシ100回読み返しなさいよっ」

「そんなに読み返したら頭が夏祭りになっちゃうぜっ」

「どうせお祭り男なんでしょっ!!」

「えぇ……」