【愛の◯◯】あすかのシリアスな胸のうち

きのう、中学の同級生の久里香(くりか)と会った。

 

久里香が髪をバッサリ短く切っていたのでびっくりした。

どんな心境の変化だろうと思って、「どうしたの!?」と思わず久里香に向かって声が出た。

そしたら久里香は、

「スッキリしたくて。」

と、笑顏で応えたのだった。

 

久里香は、髪を切ることで、なにかを拭い去りたかったんだろうか。

なにか、って、なに?

ストレス?

不安?

悲しみ?

絶望?

 

ーーいずれにせよ、自分にまとわりつく、「不穏なもの」を拭い去って、久里香は気分を一新したかったんだと思う。

久里香は高校に入って、なにかに挫折したんだと思う。そうでなきゃ、髪なんて切らない。

 

わたしが、久里香の立場だったらーー?

 

じつは、

「スッキリしたくて。」

という、髪を切った理由を説明する久里香のことばに、わたし、共鳴するような感覚を覚えた。

共鳴、っていうのは、どういうことかっていうとーー、なにかモヤモヤしたもの、もっというと、不穏さとか苦しさとかを、わたし自身も抱え込んでいるんじゃないかっていう、そんな意識があったから、久里香にシンパシーを感じたっていう、まあそういうところ。

シンパシーをお互いに感じてなきゃ、親友になってないけどさ。

 

不穏なものや、苦しいっていう感覚が、胸にぐーっ、とせり上がってくることが、自分の部屋で独りでいるときとかに、さいきんは結構な頻度で、ある。

そんな息の詰まった感覚を、おねーさんやお兄ちゃんに投げ出したいという気持ちが、時にこころをかすめてーーでも、この問題は自己責任なんだって、思い直して、投げ出せない。

『この問題』って、どんな問題か? っていうと。

…久里香が髪を切ってしまったのと、事情が絡み合うような気がしてならないけど、これは火を見るより明らかで、つまりーー。

 

ハルさんとのあいだの問題と、

アカ子さんとのあいだの問題とで、

わたしは、袋小路に入ってしまっているのだ。

 

きょうは、ひたすら邸(いえ)のテレビで夏の甲子園中継を観ていた。 

星稜vs智弁和歌山みたいに、ドキドキする試合展開になったとき、ドキドキするのに混じって、こころの疼(うず)きを感じ取ってしまい、思わず胸を手で押さえることがあった。

高校野球とは、もちろん何らの関係もない、個人的なこころの疼(うず)き。

 

ーーわたしが、久里香同様、髪を切る日も、近いのかもしれない。

 

あ。

久里香と会って、ショックだったこと。

 

帰ったあとで、

 

あすか、また胸が大きくなったね

 

って、LINEで指摘された。

LINEだからって、言っていいことと悪いことがあるでしょ? 

久里香……。