清水幾太郎 論文の書き方

経験と抽象との間を往復しよう

 年下の ぼくの若い友だち 大学の教師

 かれは 学生に 1年に何回かレポートを書かせる

 文章の勉強をさせるためだ

 

『レポートは1年生から4年生まで提出します

 気づいたことがあって……

 1・2年生が書いたレポートと3・4年生が書いたレポートとの間には 大変に大きな溝があるのです』

 

『1・2年生は 自分の経験を書きます

 ハッキリ言って読んでいて退屈です

 でも……そんな退屈な文章を読んでいると 経験の ある【断面】について 実に生き生きとした描写に出くわすことがあるのです』

 

 その他の部分が灰色の背景になって ある【断面】だけが そこへ強くなおかつ鋭く浮かび上がってくる--

 

『3・4年生は反対です 経験の記述が減ります かわりに抽象的なことばをふんだんに盛り込んできます その抽象的なことばと 経験の接続は ほとんどありません なんだかこういうレポートはよそよそしく感じられます』

 

『長い間 学生のレポートを読んできましたが 自分の経験をダラダラと書いていた学生が とつぜんのように 抽象的なことばが充満した文章を書くようになる こうなるのは優れた学生のパターンで 優れた学生だけが 経験の世界から抽象の世界へ飛び移っていく そういうふうにわたしは思うのです』

 

 

 

 別の友人 かれは 子どもの文章 子どものための読み物を研究している

 

『世界中で文章を書くという点にかけては日本の子どもほど恵まれた事情にある者はない アイウエオ……の50音を知っておればどんな幼い子どもでも文章が書ける』

 

  • ボクノヘヤハチイサイ

 

『僕の部屋は小さい と書こうと思えば こう書けばいい

 しかし西洋は違う room Zimmer chambre こういうことばを綴るのは 日本の子どもより 困難なことだ』

 

『でも--

 日本の子どもはやがて漢字を勉強する

 こうなると日本の子どもは文章を書くのが途端に難しくなる」

 

 だが この友人が言うように 日本の子どもが文章を書きにくくなるのは 果たして 漢字のせいだけなのだろうか?

 ぼくはこう思う 漢字だけの問題なのではない いちばん重要な問題は 日本の抽象的なことばが 漢字で書かれていることだ 

  • 概念
  • 構造

 こういった 抽象的なことばを表す漢字こそが 日本の子どもにとって 重荷なのだ

 

 この友人の話は さっき出てきた若い友だちの大学教師 かれの話と結びついてくる

 

『優れた学生だけが 経験の世界から抽象の世界へ飛び移っていく』

 

 

参考文献 清水幾太郎著『論文の書き方』岩波新書(青) 1959 150-153ページ