10世紀の名作文学 紀貫之『土佐日記』

「をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみむとてするなり」貴女もきっと 高校の古典の授業でこの書き出しを習ったことがあるでしょう

 

 貴女は文学部ではなかったからよくわからないかもしれませんが 文学部での文学教育はテクスト論です いや 正確にはこういう言い方は軽率であって よりやわらかく具体的に言うと 高校教育までの「作者の意図」を汲む読み方を180度回転させるのです 「作者の意図」という概念は高校までで終わりなのです 「何をいいたいのか?」という読み方は高校までで終わりなのです

 

 わたしは文学部で海外文学を学んでいました そして外国語が少しもできませんでした だからテクスト論的読み方なるものが卒業するまで少しもわかりませんでした

 

 しかしながら 最近この本を読んで (文学の)文献を読むとはどういうことかが少しわかった気がします

 

 

土左日記 (岩波文庫)

土左日記 (岩波文庫)

 

 

 この本は 『土左日記』本文の下に1/4ぐらいのスペースがあり 逐一注釈がなされています それは単なる口語訳だけにとどまりません

 上に係助詞もなく、次に続く歌もないのに連体形「ける」で止めたのは、この日記では異例の用法

(55ページ 注釈12より)

  ほかにも「『漢詩を書くことはできません』というのは筆者が女性であるのを印象づける手法」とか「『似たり』は訓読語で仮名文学ではこの日記だけに見られる」とか「『めり』の使用例はこの一例だけ」とか 

 これがテクストを読むことでなければ なにがテクストを読むことなのでしょうか? わたしは英語やフランス語やドイツ語やロシア語は読めなくても日本語は読めます 大学に入ってから10年が過ぎましたが あのころ教授の言っていた意味がようやくわかった気がします

 

 外は雨風が強まっています 貴女は東日本に住んでおられますから天気はいいでしょう ちょうどいま 貫之のいた高知の風景がNHKで映っています 台風は四国に爪痕を残しそうです

 

 

出典・参考文献 紀貫之作 鈴木知太郎校注 『土左日記』 岩波文庫 1979